第4話 ファントムペイン

 ハジュが肉体やたましいを取り戻そうとしている一方で、私の隠居いんきょ生活の日々はつつがなく流れていった。深き森にまう人間嫌いの賢者のような生活は、私に静寂せいじゃく以外のなにも与えなかった。たずねてくる者もいなければ、私から話しかける者もいない。ただ静かな時間が私の側にあるだけだった。


 そんな静寂せいじゃくを望んだのは私であるし、私はその静寂を守るための忠実ちゅうじつな生活を、春夏秋冬、続けていった。


 よく思い出されたのが、〝未踏みとう領域りょういき〟へとみこんだ冒険である。そこでは貴重きちょうな風景がときどき姿を表す。


 一流の冒険者であった私は刺激的なものを沢山たくさん見てきた経験がある。


 どこの天才が設計したのかも分からない、彩光さいこうあふれた幾何学的きかがくてき浮遊ふゆうとうがいくつも空をただよっている不思議な都市。特殊な潮流ちょうりゅううみって姿すがたあらわした海底かいてい回廊かいろうと、近くでたわむれる真珠しんじゅいろうろこをもつ人魚たち。季節によらず赤い紅葉こうようにそまった山のふところにいだかれた里。かるるだけでひらより大きな雪の結晶けっしょう精製せいせいする吹雪ふぶきの剣――ヴォーパル・ソード。


 思い出すつもりなど少しもないのに、昼夜をわず、不意に脳裏のほうからそんな記憶が浮かんできた。そしてそういった景色はなぜか私の心をきつくけた。もう冒険など行く気力もなくなっているのに、執拗しつようにして無作為むさくいに私の心をみだしていった。

 

 私の初期の隠居生活は、まったく別の言い方をすれば、そのファントムペインとでもいうべき幻影に『もう冒険は終わったんだ』と辛抱強しんぼうづよく語りかけるものだった。幻夢まぼろしの中にいるかつての私のパーティー・メンバーの横顔を、私はそうして一人一人ひとりひとり消していって、最後には私自身も消してしまうのだ。『もう終わったんだよ』と。


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