第17話 入場定期券

「さぁて、次は改札業務や。気合い入れていかんとな」


 気合を入れて階段を登りきった後、改札口の近くで虎杖と鵜野さんがお客様に向かって頭を下げている場面に遭遇した。二人が謝っている相手は眼鏡をかけたインテリ風の男性客。いかにも仕事ができるサラリーマンといった雰囲気を纏っていたが、少し粘着質そうな人だという印象を抱いた。


「私の勉強不足で不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。お客様の言う通りでした」


 離れた所から眺めていると、二人はまたもや頭を深々と下げ始めた。一方の男性客は眼鏡を上げ、馬鹿にしたような笑みを浮かべた後、二人の元から去っていく。


 暗い表情をした虎杖が気になった私は、二人に近づき、「お疲れ様でーす」と声をかけてみた。


「あぁ、お疲れさん。次は改札か?」

「はい。何かトラブルですか?」


 鵜野さんはいつも通りの反応だったが、隣にいた虎杖は眉間に皺を寄せてそっぽを向いたままだった。その反応がこの前、警察に事情聴取された象島と被って見えたので、少しだけ虎杖の事が心配になってしまう。


「滅多にない事を聞かれてな。対応に時間がかかってしまったんや」

「え、どんな質問ですか?」


 私が聞き返すと、鵜野さんの隣にいた虎杖が口を開いた。


「大熊は入場券に定期券があるって事を知ってたか?」


 虎杖の問いかけに私は暫く考え込んだ。この駅で四年程働いているが、そのような代物をお客様に売った経験がなかったからだ。


「知らんなぁ。そんな商品うちで売ってるん?」

「それが売ってたんや。入場券の存在は知ってたけど、定期券があるなんて初めて知ってな。俺の勉強不足でもあるんやけど、質問してきたお客さんの態度がちょっとな……」


 虎杖は先程の事を思い出したのだろう。表情がだんだん曇り始めていくのを見て、私は驚いてしまう。いつも温和な虎杖がこれだけ苛立つとは、余程の事があったようだ。


「まぁ、そういう時もあるって。結局、その人は入場定期券を買って帰ったんやろ?」

「いや。そのお客さん、定期券買わんかってん」

「えぇ? どういう事なんそれ?」


 私は何故、お客様がそういう行動をとったのか、いまいち理解ができなかった。普通の感覚の人であれば、探している商品が見つかれば購入するだろう。しかし、購入に至らなかったという事であれば、お客様と虎杖の間で何か問題が生じたという事だろうか?


「目的の商品があったのに買わんかったって事か?」

「そうや。俺の対応がまずかったと思って、こっちの勉強不足でしたって謝罪したんやけどな。僕のお陰で勉強になったなぁって、鼻で笑って帰ってったんや」


 虎杖の表情が一層険しいものへ変わっていく。悔しさを滲ませているのを見て、私もだんだん憤りを感じてきた。


「自分の知識自慢の為に、駅員に声かけて帰ったって事か?」

「いや、あの感じは違うな」


 ここまで私達の会話を黙って聞いてきた鵜野さんが突然、口を挟んできた。


「多分、うちの会社に入りたくても入れなかった人間やと思う。比較的若い社員に今みたいな質問をふっかけて、優越感に浸るタイプの人間や。まぁ、そんな人間は足引っ張るだけやし、採らんで正解やけどな」


 鵜野さんの言葉に私は眉をひそめた。あまり出会ったことのないタイプの人間に嫌悪感を露わにしてしまう。


「そんな陰湿な事、わざわざしに来るんですか?」

「たまにおるねん、そういうねちっこい奴がな。電車が好きやから、うちの会社に就職希望を出す奴がようさんおるけど、そういう奴はうちでは採らんよ。社外秘の情報を持ち出されたら、たまったもんじゃないからな」


 鵜野さんの言葉に私達は至極納得したように頷いた。


「そういえば、大熊。これから改札に応援行かなあかんねやろ? そろそろ行かんとまずいんとちゃうか?」


 鵜野さんが私の背後をチラッと見たので、「はい、すぐに行きます!」と返事をし、キビキビと早歩きで改札へ向かった。

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