第16話 メジロ号と撮り鉄

「見ろっ、メジロ号が来たぞっ」


 駅のホームから少し離れた場所で、数人の若い男性が駅構内に侵入してきた特急メジロ号を興奮気味に撮っていた。彼等が手に持っているカメラはスマートフォンではなく、一眼レフカメラ。それもプロ仕様の物だ。彼らは一眼レフカメラを構え、メジロ号をフィルムに収めようとシャッターを切っている。


『まもなく、特急メジロ号が到着いたします。危険ですので、黄色い点字ブロックまでお下がりください』


 自動放送後に電車の到着メロディが鳴り響き、メジロ号は一寸のズレもなく停止線の位置で停車した。


 大阪府と和歌山県を走る九両で編成された特急メジロ号は、和歌山県と共同で開発された電車だ。和歌山県のシンボルであるメジロをイメージしたカラーリングで、大勢のお客様の目を惹く存在となっている。内装は他の特急電車と然程変わらないが、鉄道ファンにとっては唆られるものがあるのだろう。駅のホームで熱心に写真を撮っているファンの姿を見かけない日はなかった。


「きたきたきたっ!」

「はぁ〜〜っ、やっぱり新型車両は違うなぁっ! このフォルムにカラーリング……被写体として映えるっ!」


 彼等の会話の一部分を聞いていた私は無意識のうちに首を傾げてしまっていた。


 電車のフォルムにカラーリング? 被写体として映える? あー、駄目だ。電車を見て興奮する気持ちがさっぱり分からんっ!


 冷めた気持ちで彼等の存在を認識しつつ、目の前の業務に意識を向ける。手に持っていたワイヤレスマイクを握りしめた瞬間、「メジロ号、こっちを向いてくれっ」という男の野太い声とシャッター音がすぐ近くから聞こえてきたので、気になった私は後ろを振り返ってみた。すると、先程まで黄色の点字ブロックの内側で撮影していた彼等が、停車中のメジロ号に詰め寄り、白線からはみ出しそうになっていた。


 何かあってからでは遅いので、内側に下がってくれという意味で彼らに近付き、「危険ですので、白線の内側までお下がり下さい」と注意しておく。彼らも大人だ。駅員の私が注意すれば、すぐに理解を示して点字ブロックの内側まで下がってくれた。


「なんで電車でここまで興奮できるんや……」


 私は毎日嫌でも電車を見ているので、全く感動はしないのだが、彼等にとって電車は生き甲斐なのだろう。ファインダーを覗き込む目が子供のようにキラキラと輝いて見えた。


 停止線の位置に止まった特急メジロ号の扉が静かにゆっくりと開いた。私は軽く咳払いをしてから、到着アナウンスを始める。


「停車中の電車は十一時三十二分発、特急メジロ号です。先に降りられるお客様をお通しください。次の停車駅は日根野です。乗車の際には特急券が必要です。お乗り遅れのないよう、ご注意ください」


 私の目の前で並んでいた親子連れがベビーカーを折り畳み、乗り込む準備をしている。旦那さんがベビーカーと大きなボストンバックを持ち、奥さんがまだ小さな子供を抱き抱えながら、五歳くらいの女児の手を引いていた。


 和歌山県にはアドベンチャーワールドがあるので、今話題のジャイアントパンダ達を見に行くのかもしれない――そんな事を考えていると、母親と手を繋いでいる女児と目が合った。


 女の子が私に向かってぎこちなく手を振ってきたので、笑顔で手を振り返してみる。すると、メジロ号に乗り込む際に、「お母さん、パンダみたいな人がおる!」と女の子が私に向かって指をさしてきたので、転けそうになった。「コラッ、人に向かって指をささないの!」と奥さんが慌てて注意をして、申し訳なさそうに何度も頭を下げてきた。私は全く気にしてないですよという意味で手を振り続け、フフフッと微笑み続けていた。


 やっぱり、子供って素直やな。メジロ号が到着していなかったら、関西鉄道株式会社の公式キャラクター『カワウソのスイ君』の限定シールを渡せたのになぁ――と少し残念に思っていた。


 このシールは市販されていない限定品で、一部のマニアから熱狂的な人気がある。うちの会社では電車が大好きな子供達の為に作られたシールを手渡ししているのだ。


 頭を切り替えた私は前方確認をしようと顔を上げた。この前は星座占いの結果が悪く、元カノから電話がかかって来る等のハプニングに見舞われたが、今日こそは良い日になりそうだと意気込んでいた。


 乗客の乗り入れが終わったのを見計らい、ワイヤレスマイクを持ち上げた瞬間、電車の中から「あの人、ほんまにパンダみたいやったなぁ!」という大きな笑い声が聞こえてきたので、私は何をアナウンスすべきなのか、頭から全て吹き飛んでしまった。


 一連のやり取りを見ていた乗客達が私を見て、声を押し殺しながら笑いを堪えている。私は恥ずかしさで顔面がどんどん熱くなっていくのを感じて視線を下げると、爪先が見えない程にまで成長したお腹が視界いっぱいに広がった。


「……確かに太ったよな、俺」


 元々出ていた腹が更に前へ突き出ていた。あの女児の言う通り、ジャイアントパンダのような体型に見えなくもない。元カノと別れた事によるストレスで連日のように、職場の人間と飲みに行っていたのが原因だと自覚した私は自分の腹を指で摘んだ。


『まもなく、3番線から電車が発車します』


 自動放送を聞いた私はハッと我に返った。今度こそワイヤレスマイクを口元へ持っていき、「十一時三十二分発、和歌山方面行きメジロ号発車いたします」とアナウンスした後、持っていた旗を上げて車掌に向かって合図を送った。


「発車いたします、ご注意ください」


 扉が閉まり、メジロ号はゆっくりと動き始めた。運転士と車掌に向かって軽く頭を下げてから一息つく。メジロ号の最後尾が遠くなっていくのを見守った後、誰かが私の肩をポンポンと叩いてきた。


「お疲れ、パンダ君。今日も小さい子に弄られとったなぁ」


 白い歯を見せて笑う山鹿さんは、私よりも少しだけ背が低い童顔の先輩だ。ラグビーをやる為にこの会社に入社し、年は三つ離れてはいるが、冗談も言い合えるような間柄である。


「山鹿さん、お疲れ様です。相変わらず、牛蒡みたいな細い体型してますね。ラグビー部の監督に山鹿さんが、筋トレメニュー増やして欲しいって言ってましたって、俺からチクッときますね」


 私は真顔で言うと、山鹿さんは「やめろっ、そんな事を言ったら限界まで追い込まれてしまうっ!」と大袈裟なくらいに慌てていたが、お客様の視線を感じたのか、すぐにいつもの真剣な表情に戻った。


「とりあえず、仕事の話に戻すで。トラブルとか発生してないか?」

「今の所は何もないですね」

「了解。この後は大熊は改札か?」

「はい、そうです」


 腕時計を見ると、時刻は十一時三十五分を指していた。山鹿さんに引き継ぎを済ませた後、私は改札の仕事をこなす予定だ。昨日、駅事務室に新しいポスターやパンフレットが大量に届いていたので、駅に貼り出されているポスターを替えたり、パンフレットなどを補充する役目を任されるのだろうと予想していた。


「そういえば、大熊。元カノから電話がかかってきたんやって――いでででで、足っ! 足、思いっきり踏んでるっ!」


 私は無意識のうちに全体重をかけて山鹿さんの足を思いっきり踏んでいた。「あ、すいません。足が勝手に動いてました」と適当に謝ってから足を退けた。山鹿さんは、「ぐぅぅ……今から最終まで勤務あんのにっ!」と痛む足を庇うように蹲み込んだ。


「ところで今の話って誰から聞いたんですか? その話は職場の皆には言ってないはずですよ?」

「大熊が改札を出る時に一人でブツブツと愚痴をこぼしとったって、皆が言うてたんや。駅のホームで機嫌悪そうに電話してた所を見てた奴もおってな。このタイミングやし、元カノからの電話があったんじゃないかって皆が噂してるんや」

「あぁ、そういう事ですか……あ、そうだ。山鹿さんって、何座ですか?」

「へ? 俺の星座が何かってこと?」


 まさか、私の口からそんな質問をされるとは思ってもみなかったのだろう。山鹿さんは警戒しながらも、「さ、さそり座やけど……」と答えてくれた。


 私は貼り付けた笑顔のまま、心の中でチッと舌打ちする。今日の目覚ましチャンネルで放送された星座占いの最下位は天秤座だったのだ。


「さそり座ですか。良かったですね、今日は可もなく不可もない運勢ですよ」


 去り際に山鹿さんの肩に手をポンと置き、意味深な事をボソッと呟いて私はその場を去った。「何それ!? なんかめっちゃ意味深やんっ!! それにお前、星座占いなんて信じてたっけ――おおいっ、無視すんなやっ!!」という声が、背後から聞こえてきたが、無視して改札の方へ向かって歩いて行った。

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