第15話 元カノからの電話

 象島が珍しく昼から予定が入ってるというので、飲み会は午前中でお開きとなった。理由は聞かなかったが、恐らく合コンで出会った看護師に会いに行くのだろう。垂れた目が更に垂れていたので、私は小指を立てて牛尾さんとアイコンタクトを取り、無言で頷き合っていた。


 象島と天王寺駅の改札前で別れた後、私は牛尾さんと犬飼を見送りに和歌山方面の電車のホームまで歩いていた。顔から首まで真っ赤になった犬飼は吃逆が止まらなくなっていたので、その度に牛尾さんが驚かせていたが、再発しているところを見るとあまり効果がないように見える。


 和歌山方面行きのホームへ繋がる階段まで辿り着くと、牛尾さんが私に気を遣って、「ここでええよ」と声をかけてくれた。


「大熊、今日も飲みに付き合ってくれてありがとうな」

「はい! 今度は虎杖も誘って飲みに行きましょう」

「せやな。ほら犬飼、先輩に挨拶しときや」


 牛尾さんの声に反応した犬飼はその場でくるりと半回転した後、頭を下げて点呼を取る時のように敬礼をしてきた。大きなアーモンド型の目が半分しか開いていないまま、にーっと唇を左右に引き伸ばし、無理やり笑顔を作っていた。


「大熊先輩、お疲れ様でした。帰りはスマホを、ひっく。見ないようにした方が良いですよ。目覚ましチャンネルの占いはね、ひっく。絶対に当たるんですから」

「俺は占いなんて信じてへんからそんな言葉に惑わされんぞ。後、帰ったら水飲んでから寝ぇや。明日も出勤やろ? 電車の中で寝過ごさんようにするんやで」

「大丈夫です、ちゃんと水を飲んで寝ます。それじゃあ、失礼します」


 踵を返した犬飼は牛尾さんに付き添われながらも、しっかりとした足取りで階段を降りていった。しかし遠くから、「ひっく!」という大きな吃逆が絶えず聞こえてきたので、私は一人で苦笑いする事しかできなかった。


「さて、俺もぼちぼち帰ろうかな」


 私は帰路につく為、環状線のホームへ向かった。人の波に乗って階段を降り、ホームに立っていた顔見知りの駅員に、「お疲れっす」と声をかける。そして、電車を待っている間にゲームでもしようかと思い、ポケットに手を突っ込んだところで犬飼が言っていた言葉が頭を過った。


「確かスマホを手放して、リフレッシュに努めてって言ってたよな……」


 ほんの少しだけ不安が過ぎった私はポケットの中に入ったスマホを掴んだが、引き抜く事ができなかった。ただの占いなのだから、なんら気にする必要はない――そう思っていたのだが、引っ掛かる部分があるという事は心のどこかで気にしている自分がいるという事だ。


「ったく、犬飼が変な事を言うから気にしてまうやん……うん?」


 ポケットの中でスマホが小刻みに震え始めた。私はポケットの中からスマホを引き抜いて画面を確認すると、連絡先に登録していない番号からの着信だった。友人からの電話かもしれないと思った私は通話ボタンを押し、躊躇いなく電話に出た。


「はい、もしもし」

「勝君、久しぶり。元気にしてる?」


 声を聞いた瞬間、私は顔が強張った。電話に出なきゃ良かったと後悔の念に苛まれる。職場の人達のお陰で忘れようとしていた黒い感情が再燃してきた。


 私は少し落ち着こうと深呼吸を繰り返した。そして、平静を装いながら「別に普通やけど」と素っ気なく答える。


「元気にしてるんだったら良かった。今、電話しても大丈夫かな?」


 電話をかけてきた相手は、一週間前に別れたはずの私の元カノからだった。元カノとの電話はアプリを通じて行っていた為、迂闊に電話に出てしまった自分の詰めの甘さを悔んでしまった。


 電話に出てしまった以上、用件だけ聞いて切ろうと思った私は「何か用か?」とぶっきらぼうに言い放った。


「あのね、勝君の年収ってどれくらいかなって思って……」

「はぁ? 俺の年収?」


 何を言っているのかサッパリ理解できず、私は黙り込んでしまった。そんな私の心情を察したのか元カノが慌てて弁明してきた。


「じ、実は入院する事になっちゃって! それで、貯金じゃ足りないから、勝君に助けてもらおうと思ったの! それでね――」


 情に訴えかけるように一方的に話してきたが、元カノの話を要約すると、これからお金がたくさん必要らしく、私の年収を聞いてきたらしい。入院する事になったからと言い訳をしているが、養育費を気にして私に連絡を取ってきたのだろう。


 私は全く同情する気になれず、スマホを離して「コイツ、ほんまにアホやな……」と愚痴をこぼしてしまった。自分の事しか考えていない言動に苛立った私は痺れを切らし、こちらから話を切り出し始める。


「なぁ、さっきから言い訳がましく一方的に喋ってるけど、俺がそっちの事情をなんも知らんとでも思ってんのか?」


 それを聞いた元カノが電話の向こうで面白いくらいに押し黙ったので、私はおかしくなって小さく噴き出してしまった。


「お前、浮気してたんやろ? ついでに妊娠してるって事も全部知っとるからな。初っ端から俺の年収聞いてきたのも、俺に養ってもらおうと思ったからか?」

「う、浮気も妊娠してないわ! 何かの勘違いよ!」


 明らかに動揺している声に私はついに堪忍袋の緒が切れた。こっちは全部知ってると言っているのに、この期に及んで全てを誤魔化そうとしている事に対して腹が立ってしまったのだ。


「嘘つくな。友達から連絡が回ってきたんや。ついでに証拠の写真もある。やから、俺じゃなくて浮気相手に責任取ってもらえよ。なんで他人の子を俺が養わなあかんねん、アホちゃうか」


 正論を叩きつけてやると、元カノは「だ、駄目なの」と声を震わせながら言った。そして、うっ……うっ……と嗚咽を漏らすのが聞こえてくる。


 お前に泣く資格なんてないわっ! と怒鳴ってやりたかったが、ここは仮にも仕事場なのだ。こうして冷静を装っている私を誰か褒めてほしい。


 私は眉間を押さえながら、フーッと深い溜息を吐いた。


「何がアカンねん。間違った事は言ってへんと思うけど」

「彼、私と同じ職場の年下の子なのっ」


 浮気相手のカミングアウトに私は驚き、怒りを通り越して呆れ果ててしまった。これは推測でしかないが、年下であれば自分よりも給料が少ないのだろう。だから、私の年収を聞いてきたのだと思ってしまった。


 こんなしょうもない女と五年以上付き合ってたと思うと、時間の無駄だったなと思えてきた。敢えて聞こえるように「こいつ、ほんまもんのアホやな」と愚痴を溢したが、電車接近を知らせるメロディにかき消されてしまったようで、電話口の向こうから、「勝君、今なんて言ったの? 聞こえなかったわ」と言っているのが聞こえてきた。


 これ以上、何も話す事はないと思った私は、「お似合いのカップルやなって言うたんや。二度と俺に連絡してくんな」と突き放し、終話ボタンを押した。私は速攻で着信拒否に変更したが、冷静さを失っている元カノの事だ。SNSを駆使して連絡が来そうな気がした。


「はー、めっちゃ気分悪い。ほんま最悪や」


 相手に文句を言えて少しは清々しい気持ちになるかと思いきや、いざ冷静になると虚しい気持ちでいっぱいになってしまった。そして、先程の元カノの言動を思い出し、だんだん腹が立ってくる。手に持っているスマホを線路内に投げ込みたい衝動に駆られたが、それをやってしまうと迷惑がかかるのでやらなかった。


 しかし、どうしても苛立ちを我慢できなかった私は、スマホの画面をジッと睨み付けながら、「人の事なんやと思ってんねんっ! 俺はコンビニのATMちゃうねんぞっ!」と吐き捨ててやった。急に怒鳴ったせいで周りの人に変な目で見られてしまったが、そんな些細な事はどうでも良かった。


『電車が接近中です。黄色い点字ブロックの内側までお下がりください』


 環状線外回りの電車が時間通りに駅構内に進入してきた。先頭車両が停止線ぴったりに止まり、エアー音と共に扉が開く。ぞろぞろと降りてくる人達を先に通す為に私は端に寄った。


「あぁっ! こんな腹立ってくるんやったら、もっと文句を言っとけば良かったわ!」


 イライラしていた私は握りしめていたスマホをポケットに荒々しく突っ込んで電車に乗り込んだ。機嫌悪そうに座席に座って発車を待っていると、車内に業務連絡の放送が流れ始めた。仕事が終わってるにも関わらず、車内放送に耳を傾けてしまうのは職業柄仕方のない事だ。


「……は? 嘘やろ?」


 放送の内容に疑問を抱いた私は顔を上げた。ポケットに手に突っ込んでスマホを取り出し、社員しか使用できないアプリを開く。環状線の運行状況を把握する為に画面をタップすると、いつもなら正常を示す青いラインが赤いラインに変わっていた。どうやら、すぐ隣の新今宮駅で人身事故が発生したらしく、乗っている電車も天王寺駅で暫くストップするようだ。


「しゃあない、別の経路で帰るか」


 遠回りになってしまうが、地下鉄で帰ろうと決めた私はスマホで乗り換え検索を始めた。だが、すぐに検索する指が止まってしまう。なんと滅多に止まらない地下鉄までもが、人身事故で運転を見合わせ中と表示がされたのだ。


 私は渋い顔をしながら歯を食い縛る。頭に過ったのはあの星座占いだった。


「絶対に……絶対に占いなんて認めへんからなっ!」


 星座占いごときに負けてたまるかと、大きな声で捨て台詞を吐いた後、座席から立ち上がった。電車を降りて向かう先は天王寺駅周辺に常設してあるタクシー乗り場。しかし、そこでもトラブルに見舞われてしまったという事は言うまでもない。

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