第14話 アンラッキーガールの悩み
「それでは、皆様! 今日もお疲れ様でした!」
テーブルの中心に掲げられたビールジョッキが合わさり、「お疲れ様でした!」と大きな声が響く。今日は牛尾さんと象島、犬飼を含めた四人で串カツ天狗に飲みに来ていた。
昨日は救急隊員が来て女性客の死亡確認をとった後、警察から軽く聴取を受けた。寝る時間はないだろうと覚悟をしていたが、監視カメラの確認と発見時の状況を確認するだけで済んだので、こうして仕事終わりに飲みに来れたというわけである。
皆で乾杯をした後、四人で生ビールを口にした。チラッと横目で犬飼の様子を見てみると、女性にしては珍しく一気に飲み干そうとしていたので、私も負けじとビールを胃に流し込んでいく。一番に牛尾さんがビールを飲み干し、その次に象島と私が飲み干した後、犬飼が空になったジョッキをそっとテーブルに置いた。
「はぁ……仕事終わりのビールって、なんでこんなに美味しいんでしょうね」
ジョッキを両手で包み込みながら、犬飼は幸せそうな顔になった。私達はその気持ち良い飲みっぷりに感激し、無意識のうちに拍手を送っていた。
「良い飲みっぷりやな! こんだけ飲めるの鷲見くらいやと思ってたから、めっちゃ嬉しいわ!」
牛尾さんが嬉しそうに言った。仕事終わりに朝から飲みに行く事は多いが、上司と飲みに付き合う人間が少なくなってきている為、私達のような存在はかなり重宝されるのだ。
犬飼は照れ臭そうに笑った後、空になったビールジョッキをまとめて持ち、背後のカウンターへ移動させてくれた。
「皆さん、おかわりでいいですか?」
「おう、頼むわ」
牛尾さんの返事に私と象島も同時に頷くと、犬飼は厨房にいるおばちゃんに向かって手を上げて、「すいません、生四つでお願いします」と注文してくれた。そのまま着席するかと思いきや、何故か犬飼は申し訳なさそうな表情に変わり、頭を深々と下げてきた。
「昨日はご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。本当は一人で対応できたら完璧だったんですけど……助けていただき、本当にありがとうございました」
まるで記者会見に立ち会っているかのようだった。犬飼の声はマイクを通しても明るくて聞こえやすく、お客様に褒めてもらえるくらいに評判が良いのだが、その声が今回は仇となった。犬飼が謝罪の言葉を発した為、店内にいた数人のお客さんが何事かと視線をこちらに向けてきたのだ。
腰を直角に折り曲げたまま微動だにしない犬飼を見て、牛尾さんは、「だぁーっ、そんな固っ苦しいのは要らんてっ」と私達の代わりにツッコんでくれた。
「ずっと突っ立ってたら目立つやろ、早よ座れっ」
「は、はい! 失礼します!」
犬飼が慌てて椅子に座ってから、牛尾さんはゴホンと咳払いをした。
「俺はな、この職場で働く皆の事を家族みたいに思うとる。それは自分の家族以上に過ごす時間が長いからっていう理由もあるんやけど、第一にこの職場が好きやからや。助け合いなんて当たり前やし、俺もお前達にいつも助けられとる。何か困ったり、悩んだりしたら昨日みたいに気軽に声かけてくれたらえぇねん。困ってる仲間がいたら、この職場の皆は絶対に助けてくれるからな」
「そうやで、犬飼。俺なんかこの前、酔客に絡まれたんや。鵜野さんと鳥谷に助けてもらわんかったら、身体中ゲロ塗れになってえらい事になってたと思うわ」
向かい側に座っていた象島がうんうんと何度も頷き、「俺も昨日、牛尾さんに助けてもらったからな」と口にすると、犬飼は少し驚いたような表情になった。
「皆さん、そんな経験があるんですか?」
私達は同時に大きく頷いた。
「駅で働いてたら、こんなん日常茶飯事やで。この前なんか不正乗車した子供を捕まえたりもしたし。その時は皆がフォローしてくれたしな」
「俺はこの前、お客さんが落とし物を届けてくれて、中身確認の為にハンドバッグを開けてみたら、使用済みの女性物の下着がパンパンに詰め込まれてたっていう事もあったで。後、注射器とかな」
「そ、そんな事が……」
まだ経験の浅い犬養は口をポカンと開けた状態で黙り込んでしまった。その初々しい反応に牛尾さんが大きな口を開けて、ガッハッハと笑う。
「まぁ、こんな感じでお互い助け合ってるんや。犬飼も後輩が入ってきて困ってたりしたら助けてあげや。こうやって、巡り巡って自分に返ってくると俺は思っとる。どうしても、ストレスが溜まってしょうがないんやったら、今日みたいに皆で飲みに付き合うからな」
「み、皆さん……本当にありがとうございますっ」
皆の励ましの言葉に犬飼は嬉しくなったのか、鼻を軽く啜り、またもや深々と頭を下げてきた。
「はーい、おまちどぉさんっ」
良いタイミングでおばちゃんが、ビール四つとモーニングセットの串カツを持って来てくれた。私は近くにあった新しいジョッキに手を伸ばしてビールを半分程飲み干すと、アルコールが回って気分が良くなってきた。
「ほら、こんな機会は滅多にないやろ? 仕事で悩みとかあるんやったら俺達が相談にのるで!」
「それじゃあ……悩みが一つだけあるんですけど、聞いてもらっていいですか?」
犬飼が遠慮がちに小さく挙手しながら言った。同じ職場で働く者同士、更に距離が縮まったような気がした私は、「おぉ、もちろんや!」と即答する。
「ありがとうございます。あっ、自分の事を話すのって緊張するんで、ビールだけ先に飲ませてください」
犬飼は自分の悩みを口にする前に、またもやビールを一気に飲み干し、牛尾さんと象島は、「いいぞいいぞ〜!」と囃し立てていた。
「私の悩みはですね、陰でアンラッキーガールって呼ばれている件についてなんですけど――ひっく」
突然、大きな吃逆が聞こえてきた。向かい側の席に座る二人は「おいおい、もう酔いが回ってきたか〜!?」と笑っているだけだったが、隣に座っていた私はこれは荒れる前兆かもしれないと、気を引き締めて椅子に座り直した。
「し、失礼しました。実は私が出勤すると不幸な事が起こるって有名なんです。まぁ、誰が言い始めたか分からないんですけどね」
「えぇっと、犬飼がアンラッキーガールって言われてるんは知ってたけど、具体的にどんな事が起こるん? もしかして、昨日みたいな事が頻繁に起こるとかか?」
私が質問すると、犬飼は「えっと、些細な事なんですけど……」と前置きをして喋り始めた。
「カラスが電車に轢かれて線路で何羽も死んでたりとか、電車が遅れてるからってお客さんに怒鳴られたりとか。後は人身事故があって家に帰れなくなったり、私と遊んだ友達が長年付き合っていた彼氏に別れを告げられたりとかですね」
「え? それだけ?」
「はい、それだけです」
理解ができなかった私はポカンと口を開けてしまった。
それらの出来事は、たまたま犬飼が居合わせた時に起こったのではないだろうか。犬飼にアンラッキーガールと言い始めた人間はもしかしたら、やっかみで言い始めたのかもしれない。それが職場内に悪い噂として広まってしまったのだろう。
「犬飼、それってさ――」
私が犬飼に疑問を投げかける直前、テーブルの上に大きな音が鳴り響いた。何事かと思った私は顔を上げると、向かい側に座っている牛尾さんが机に拳を叩きつけて激怒していた。元々狭い眉間は更に狭まって皺が寄り、ツルツルのスキンヘッドはトマトのように真っ赤に染まっていた。この状態になった牛尾さんは怒りが収まるまで止まらない。それを分かっていた私は早々に口を噤んでしまった。
「それくらいの偶然は誰にだってあるやろうが!? 陰口を言い始めた奴はどこのどいつや!? 俺が直々に呼び出して説教したる!!」
牛尾さんは義理人情に厚い人だが、短気でせっかちな性格だ。陰でコソコソ言うのが大嫌いな人の為、余計に腹が立ったのだろう。私は目の前に座る暴れ牛を落ち着かせるべく、慣れた様子で椅子から立ち上がった。
「牛尾さん、落ち着いてください。ここで怒り狂うと、この店で一生飲み食いできなくなりますよ」
「ほーら、牛尾さん。一度、僕と一緒に深呼吸しましょう。ヒッヒッフーの呼吸です。はい、ヒッヒッフー」
牛尾さんは更に顔を真っ赤にして、「それはお産の呼吸や!」と隣にいる象島に即座に反論していたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「誰かに嫌がらせとか受けてないか? もし、そういう事があるんやったら、俺から係長に言うとくで?」
「いえ、嫌がらせは全く受けてないです」
「ほんまか? 俺らに気を遣わんでえぇんやで?」
「本当に本当です!」
犬飼は必死に頷いていた。
「続きを話しますね。皆からアンラッキーガールって言われてる私ですが、最近になってわかった事があるんですよ」
犬飼の言葉に私達は聞き耳を立てた。
「わかった事ってなんや?」
「目覚ましチャンネルの最後にやってる星座占いがあるじゃないですか。実はあれに秘密があったんです」
「星座占い? なんでここで占いの話が出てくるんや?」
牛尾さんが意味がわからないというような表情で首を捻った。
「実はですね……なんと、あの占いの結果次第で最高の日になるか、最悪の日になるかが決まるって事が判明したんです! 私がいるからアンラッキーじゃなくて、みんな自分の運勢が悪かっただけなんですよ! ほら、うちの会社って大勢人がいるでしょ? 運勢が最悪な日に、たまたま私が居合わせてただけなんです!」
犬飼が興奮気味に力説してくれたが、私達は目が点になってしまった。特に私は占いなんてものは全く興味がなかったので、みんな自分の運勢が悪かったのくだりで吹き出してしまった。
「ちょっと! 人が真剣な話をしてるのに、なんで笑うんですか!?」
「だって、ただの星座占いやろ? しかも朝の情報番組でやってるような簡単な占いで、今日一日の運勢が決まるとか絶対にないわ。そもそも占い自体が胡散臭いし」
私が鼻で笑うと犬飼はムキになったのか、焼いた餅のように頬をプクーッと膨らませていった。そして、何かを思いついたのか、目をキラキラと輝かせながら私の目を見つめる。
「大熊先輩は何座ですか!?」
「し、獅子座やけど」
私の返答に犬飼はニヤーッと意地悪い顔に変わった。足元に置いていた黒いバックパックを膝の上に乗せ、中から自分のスマホを取り出した。そして、まるで印籠を突き付けるかのように、今朝放送された占いの結果を見せつけてきたのである。
「見て下さい! 今日の獅子座の運勢は見事な最下位です!」
「いやいや、俺は占いの結果なんて見たくないんやけど?」
「でも、たかが占いなんですよね? だったら、星座占いの結果を見ても影響はないでしょ? ほら、早く見てください!」
「えぇ……」
私は渋々といった感じで犬飼のスマホの画面を見てみる。
そこにはBADと書かれた吹き出しの中には、『今日の最下位は獅子座の貴方! 精神的なショックに見舞われて、イライラが止まらなくなりそう。明日以降もその事が頭から離れなくて仕事に身が入らないかもしれません。そんな時はスマートホンを手放して、リフレッシュに努めて!』と書かれていた。
私はスマホの画面をジッと見たまま黙り込んでしまった。
この前、元カノと最悪な別れ方をして精神的に参っていたというのに、これからまた何かが起こるのかと気が滅入りそうになったのだ。
万が一、ここに書かれている事が本当に現実になってしまったら、私はどうなってしまうのだろう。今度こそ酒浸りの生活になるかもしれない。そしたら、私は体を壊して廃人になってしまう可能性も――。
「どうです? 少しは星座占いを信じる気になりましたか?」
ドヤ顔で話す犬飼を見て、私は無理やり口角を上げた。占いの結果を気にする姿を見せたくなかった私は、牛尾さんと象島に心の内を悟られないように、「アホくさ。たかが占いやし、結果なんていちいち気にしてられへんわ」と強がってみせたのである。
「皆、初めはそう言うんです。でもね、大熊先輩もこの占いの怖さをいずれ思い知る事になりますよ。フフッ、フフフフ……ひっく」
吃逆を繰り返す犬飼の目がだんだん据わり始めたので、私はこの話題から逃れるように、近くを通ったおばちゃんにビールを追加で注文した。
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