第12話 アンラッキーガール
元カノと別れてから一週間後。今日もホームで最終列車を見送った後、駅構内の見回りを入念に行っていた。
「ふぅぅぅぅ……」
私はある場所の前でゆっくりと深呼吸を繰り返し、自分の胸に手を当てていた。酔客に絡まれた事件があってから、私は階段裏に設置されてあるベンチを覗き込むのが、トラウマになっていたのだ。
あの独特の酸っぱい臭いと生暖かい感触を思い出す度、未だに全身に鳥肌がたってしまう。あそこはホームに立っていても死角になって見えづらいし、朝ラッシュの時間帯は人混みも多い為、ベンチ自体をホームから撤去してしまおうという話も出ているようだった。
今日も誰も寝ていませんように――意を決して階段裏を覗き込むと、ベンチの上には人影がなく、昨日の日付の競馬新聞が置かれているだけだった。
私は無言でガッツポーズをとり、競馬新聞を拾って階段の方へ小股で走っていった。
「今日は目立ったトラブルなしや。ホームで吐いた形跡もなかったし、酔客も人なし、お客さん同士の喧嘩もなし。多少の電車の遅延はあったけど、人身事故もなし……なにこれ、最高の一日やんっ」
私は嬉しさのあまり、スキップをしそうになってしまった。しかし、浮かれていると隣のホームにいる鵜野さんに気が抜けてると注意されてしまうので、にんまりと口角を上げるだけでどうにか耐える。
「あーあ、毎日こんな感じやったら精神的に楽でいいのに。さて、明日も皆で仕事終わりに飲みに行こ〜っと。象島と虎杖の合コン話も早く聞かんし……おっと!」
小さく鼻歌を歌いながら階段を上がっていくと、改札の前で象島が牛尾さんと一緒に警官数人と話している場面に出会した。
彼等の様子を伺っていると、落とし物のような軽い案件ではなさそうな気がしたので、軽く挨拶をしてから通り抜けようとしたら、象島と牛尾さんが同時に頭を下げ、警察官達が改札の外へと歩いて行った。どうやら、話はついたらしい。
「お疲れ様です」
「おう、お疲れ。もう閉めても問題ないか?」
牛尾さんはいつも通りの明るい話し方だったが、隣にいた象島は口をへの字にしたままだった。
「鵜野さん達が確認してる最中です。さっき警察官が来てましたけど、何かあったんですか? もしかして、お客さんと揉めたんですか?」
「あー、象島が対応したお客さんがちょっとな」
牛尾さんは気の毒そうに象島の肩に手を置いた。本人は納得がいかないといった態度のまま、不貞腐れていた。
「珍しく機嫌悪いな。この前の俺みたいに不正乗車した人を捕まえたんか?」
私の問いかけに象島は短く、「ちゃう」と言い放った。
「俺はいつも通りの対応をしてたんや。ただ少し違うのは、昨日対応したお客さんが退院したばっかりのお爺さんやったって事や」
点と点が繋がらず、私は首を傾げてしまった。
「ほぉ? なんで警察がお前の所に来たん?」
「そのお爺さん、俺が対応した次の日に自宅で亡くなってたらしい」
「え……」
その展開は予想していなかった為、私は目を丸くしたまま黙り込んだ。象島も警察の対応に納得がいかなかったのか、眉間に深い皺が刻まれていた。
「家族もおれへんかったみたいやし、最後に喋ったんが俺やったみたいでな。別室でずっと取り調べを受けてたんや」
「マジか……」
恐らく、事件性がないか警察が病院側へ連絡を入れたり、防犯カメラを確認させて欲しいと要求があったのだろう。カメラを見直していると、天王寺駅でたまたま亡くなったお爺さんと象島が話している所が映し出されたというわけだ。
象島は眉間を指で押さえながら話を続けた。
「警察も仕事やからしゃーないんやけどさ、すっごい根掘り葉掘り聞かれんねん。お爺さんと以前から面識はありましたか? とか、最後に喋った会話は何でしたか? とか。俺はたまたま改札で立ってたら、お爺さんに話しかけられて、癌を患って入院期間が長かったとか、病院とは違ってシャバの空気はうまいなっていう世間話してただけやから、お爺さんのその後なんて知るわけないやん? 極め付けにはお爺さんの死因はなんだと思いますか? って聞かれて、めちゃくちゃイラッとしてさ。いや、誰がどう考えても寿命でしょって答えたったわ。俺はそこまで暇じゃないし、ほんま勘弁してくれって感じやで」
象島は言いたい事を言ってスッキリしたのだろう。最初に比べて、ほんの少しだけ表情が和らいでいた。
私自身、象島が受けたような取り調べを受けた事はないが、過去に注射針の入ったポーチの落し物を拾った時に警察官とやり取りした事がある。その時は立ち会い検査や監視カメラの相互確認だけで済んだので良かったが、このような形で取り調べまでされるとは運が悪かったとしか言いようがない。
私も慰めるように象島の肩に手を乗せ、三人で駅事務室へ向かって歩き始めた。
「大熊も警察には気を付けろよ? 駅の構内で死体なんて見つけた日には、俺みたいに取り調べを受ける羽目になるかもしれへんで」
「やめろ、変なフラグを立てるな。そりゃあ、俺達の仕事は他の仕事に比べたら人の死が身近に感じるかもしれんけど、今回のはレアケースや。ほら、いつまでもそんな顔すんなよ。ストレス溜まってるなら、皆でパーッと飲みに行こうや、な? 俺達、鉄チンは酒飲んでストレス解消するのが通常運転やろ?」
私が励ますように言うと、象島は「そうやな」と呟き、ようやく吹っ切れたかのように顔を上げた。私はそれを見計らい、「そういえば、この前の看護師と合コンはどうやったん?」と聞く。
「今、一人の女の子とやり取りしてる。結構、良い感じや」
「おっ、象島もついに春が来たか!」
「まぁな」
象島が自慢気にピースサインをすると、牛尾さんが、「合コンかぁ、若いなぁ」と隣で興味津々な様子で呟いていた。
「進展があったら、また話すから楽しみにしててくれ」
「おう、楽しみにしとくわ」
私達は雑談をしながら駅事務室へ向かっていると、一人の女性社員が忙しなく辺りをキョロキョロと見渡していた。その女性社員が私達を見つけた瞬間、「あっ」と声を発し、こちらに向かって全力で走ってきた。
「せんぱぁ〜〜い、大変です〜〜!」
上体を左右に揺らして内股気味に走って来るのは、入社一年目の犬飼という女性駅員だった。いつも困ったように下がっている眉が今日は更に下がり、遠目から見ても非常に困っているという雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「ハァ、ハァ……先輩方、助けてください」
「お疲れ、犬飼。そんな焦ってどないしたん?」
「トイレからお客さんが出てこないんです。呼びかけても、ノックしても全然出てきてくれなくって。もしかしたら、意識を失ってるかもしれないです」
その言葉を聞いた私と象島は互いに顔を見合わせた。犬飼は通称・アンラッキーガールとして名を馳せている駅員なのだ。
犬飼の名誉を守るために説明をすると、彼女がトラブルを引き起こすのではなく、彼女が側にいると何かしらのトラブルが数多く起こると噂されている社員なのである。
牛尾さんが、「中に人がおる事は間違いないんか?」と聞くと、犬飼は泣きそうな顔で何度も頷いていた。
「失礼かと思いましたが、隣の個室トイレから中に人がいるかどうかを確認しました。ですが、私の低い身長と腕の筋力だけでは、便器に座ってる女の人と鞄の中が全部ひっくり返ったように散乱してる所しか見えなくて……と、とにかく早く来てください! こんな所で雑談してる場合じゃないんです!」
犬飼は早口で言い切ると、一目散に女子トイレへ向かって走って行った。だが、走っている途中で前のめりに転け、履いていたパンプスが真上に飛ぶ。くるくると回るパンプスは天井から釣られている看板にぶつかり、彼女の脳天にクリーンヒットした。
「い、痛いですぅぅ〜〜!」
犬飼が自分の頭を押さえながらジタバタと暴れ始めたのを見て、さすがアンラッキーガールだと苦笑いしてしまった。
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