第11話 駅のトイレにて
その後、私達は朝から夕方まで飲んでベロベロに酔っ払い、帰る頃には顔だけではなく、全身が真っ赤に染まっていた。
「アカンッ……俺、降りるわっ!」
電車の僅かな揺れで吐きそうになった私は扉が開いた瞬間、駅中に設置されているトイレへ駆け込んだ。それは鳥谷も同じだったようで、私を追いかけるように走ってくる足音が、後ろから聞こえてきた。
幸いにも個室トイレは空いていたので、中へ駆け込んで鍵を閉める。便座を上げた瞬間、胃の中に入っていた物は全て吐いてしまった。それでも気持ち悪さは引かず、便器を抱えたまま暫く動けなかったが、暫くして隣の個室トイレから衣擦れの音と水を流す音が聞こえてきた。
「大熊、大丈夫か? 俺はだいぶスッキリしたんやけど、出て来れそうか?」
「うぅー……」
返事の代わりに呻き声をあげると、状況を察した鳥谷は、「まだしんどそうやな」と苦笑いした。
「そこの自販機で水買ってくるから、ちょっと待ってて」
私の返事を聞く前に足音が遠のいていった。
「うぅ……気持ち悪……」
便器を抱えているだけなのに気持ちが悪い。吐き気が込み上げてくる。私がこうなっているのは元カノのせいだ。元カノが浮気しなければ、こんな事には――あれ? そういえば、牛尾さん達と何の話しで盛り上がったっけ?
酒が回った頭で考えてみる。確か……元カノの事を喋って、牛尾さんが親身になって話を聞いてくれた。麦のボトル一本じゃ足りなくなって、追加でもう一本入れて。それから、鷲見さんがお水を頼んでくれて、強制的に酒を取り上げられて。それから――。
「……ほんまに何の話したっけ?」
私はここでハッキリと意識が戻った。相変わらず気分は良くはない。けれど、気持ち悪さよりも話の内容が思い出せない事の方が気になってしまった。
「どうしよう。仕事の話やったら不味いなぁ……でも、今日の飲み会は俺の愚痴を聞いてもらう会のはずやし、そんな重要な話はしてないはず」
その話題でかなり盛り上がったはずなのに、記憶がすっかり抜け落ちてしまっている。私は便座を下ろし、上手いこと頭を乗せて記憶を手繰り寄せようとする。だが、すぐに考える事をやめてしまった。飲み過ぎで頭痛が止まらない。さすがにこの状態では、考える気力も失せてしまった。
「さすがに今日は飲み過ぎたな。後で鳥谷にどんな話をしたか聞いてみよ」
パタパタと鳥谷の足音が近付いてきた。それからすぐに、「大熊、出て来れそうか?」と声が聞こえてきたので、私は個室トイレの壁に手をつき、なんとか立ち上がった。
ふらふらとしながら扉の鍵を開けると、酔いが回って瞼が落ちかかっている鳥谷が、ペットボトルを二本持って立っていた。
「歩けるか?」
「なんとか。でも、潰れるなんて久々やわ」
私はフラフラとした足取りで手洗い場へ向かい、蛇口を捻って口を数回ゆすぐ。鼻から抜ける臭いが酒しかしなくて、これは相当酔っているなと思った私は、壁に貼り付けられている鏡を見た。目が充血して潤み、頬は朱に染まっていた。
「あー、これはオカンに説教されるな」
私は苦笑いしながら自分の頬をペチペチと叩いた。オカンは私が酒を飲んで帰ると、片足で立てと要求してくる。片足で立てた時は何も言われないが、片足で立てなかった時は延々と説教をされるのだ。
「明日は休みなんやし、ゆっくりしたらええやん。俺は寮に帰ったら洗濯物取り込んで、キャリーケースを探さんとあかんわ」
「キャリーケース? どっか旅行にでも行くんか?」
私の言葉に鳥谷が「え?」と声を発した。
「さっきの飲み会で、行ける人で沖縄旅行に行こうっていう話になったやん。大熊も貯金あるって言うてたし、ボーナス出た後に皆で行こうって……もしかして、覚えてへんの?」
「全く覚えてへん」
初めて聞いたとでもいうような私の反応に鳥谷は「お酒強いのに、珍しいなぁ」と驚いていた。
「じゃあ、大熊が号泣してたのも覚えてないん?」
「え? 俺、泣いてたん? 店で?」
鳥谷は苦笑いしながら頷く。
「おやっさん達も側から聞いてたら気の毒になったみたいで、めっちゃサービスしてくれたんやで」
「う、嘘やん……」
私は周りの人に迷惑をかけたという事実に恥ずかしさが込み上げてきた。これでは、いつも迷惑している酔客と同類だと私はショックを受けてしまう。
「大熊が結婚資金の為に貯めてたお金を全部飲み代に使うって言うもんやからさ。それやったら、皆で楽しい思い出を作りに旅行に行こうや! っていう話になってん。そっちの方が有意義な時間を過ごせるし、駅の皆とは家族みたいに仲良いから楽しくないわけがないやん」
私は鳥谷から渡されたペットボトルを受け取った。早速、ペットボトルのキャップを開け、冷たい水を胃に流し込む。さっきは恥ずかしい気持ちで一杯だったが、冷静に考えると私は周りに恵まれているなぁ……と改めて実感したのだった。
「ありがとう、鳥谷。なんか元気出てきたわ」
「それやったら良かったわ。俺もなんかあった時は頼るからさ。来月の旅行は皆で楽しもうや」
すっかり気分が良くなった私達は水を飲みながら、ホームへ向かって歩いていった。
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