第7話 不正乗車した少年達①

 私立に通っている学生達が次々と私の目の前を通っていく。時折、自動改札機からエラー音が鳴っているが、大抵は磁気カードを近付けたら通れる事が殆どなので、私の出番は今のところほぼない。


「はぁ……」


 今日はプラットホームではなく、中央改札に立っていた。一睡もできなかったせいで瞼が重く、頭がボーッとしている。


 昨日の夜遅くに彼女から送られてきたメッセージを確認すると、「別れてください」とだけ書かれてあった。既に方々から事情を聞かされていた私は何も聞かずに、「わかった」とだけ返事をした。


 それから、私はスマホに保存してあった彼女との思い出の写真を全て消去し、メッセージを受信できないようにブロックまでした。少しは彼女に対して未練を抱くかと思ったが、いざ終わってしまえば、彼女の事なんてどうでもいい存在になっていた。


「はぁ……」


 勤務し始めて三時間程しか経っていないのに、何回溜息を吐いただろう。昨日の今日で、次の目標に向けて頑張ろうという気持ちにはなれず、大勢の人が通過していく様子をただ虚な目で眺めていた。


 こうなったら、彼女と結婚する為に貯めていたお金も、全て使い果たしてしまおう。酒を浴びる程飲んで、昨日の酔客みたいに酔い潰れてしまいたかった。


「大熊、大丈夫か? トラブルもなさそうやし、上で休んできてもええで」


 私の隣に立っていた鳥谷がコソッと話しかけてきた。どうやら、私が落ち込んでいる理由を象島と虎杖に聞いたらしく、心配して頻繁に声をかけてくれる。


「今日、飲みに行くのやめとく? また今度でもいいんやで?」

「いや、飲みに行きたい。飲んで昨日の事は早く忘れたいんや。誰かと話してないと、気が狂いそうになるねん」


 昨日の記憶が鮮明に蘇ってきた私は、鼻の奥がツンと痛くなった。怒りとは違う種類の感情が、ずっと胸の辺りに居座っている。元カノの事はどうでもいいが、別れ方が最悪すぎて、暫くは女性不信に陥りそうだった。


「わかった。仕事が終わるまで後一時間やし、今は仕事に集中しよう。後で愚痴もいっぱい聞くわ」

「うん、よろしく頼むわ……」


 力無く答えた私は左腕にはめていた腕時計を確認した。勤務終了まで残り一時間半程。このまま何事もなく終われるといいのだが――。


「あのー、すみません」

「あ……はい、どうしました?」


 改札の内側から声をかけられた。無理やり作った笑顔のまま顔を上げると、中学生くらいの少年が立っていた。私と目が合うと少年は申し訳なさそうな表情に変わり、用件を言う前に頭を下げて謝ってきた。


「実は切符を落としてしまったんです。どうすれば良いですか?」


 切符を落としてしまったと言う少年の肌は、健康的に焼けて小麦色になっていた。二重の大きな丸い目が印象的で、膝には大きな絆創膏が貼られている。まだ体ができあがっていない細い体格と足の筋肉の付き方を察するに、常に外で走り回っているような印象を受けた。


「もう一度、同じ切符を買っていただく事になりますね。ちなみに、どの駅から乗って来ましたか?」

「三国ヶ丘です」


 三国ヶ丘から天王寺まで約十分程度の距離だ。中、高校生くらいの若者くらいになると、繁華街まで出てきて遊ぶ事くらいあるだろう。現に私も中学生の頃は天王寺で友達と映画を見たり、カラオケボックスに入り浸っていた記憶があった。


「三国ヶ丘でしたら、220円になります」


 少年はポケットに入れていた小銭入れから、100円硬貨二枚と10円硬貨を二枚取り出して、私の手の平の上にのせた。


「どうぞ、通ってください」


 少年から乗車賃を受け取った私は改札を通るように促した。「ありがとうございます」と頭を下げられたので、私も微笑を浮かべて軽く会釈をする。最近の子は素直で良い子に育っているなぁーとほっこりとしていたが、また改札の内側から、「すみません」と声をかけられた。


「切符を落としてしまったんですが」


 今度も同じ年頃の少年に声をかけられたので、私は二度見してしまった。先程の少年は申し訳なさそうに謝っていたが、目の前の少年は悪びれもなく淡々と話を続ける。


「お金を払えば、外に出られますか?」

「どこから乗って来られました?」

「三国ヶ丘です」

「み、三国ヶ丘から?」


 私は思わず聞き返してしまった。少年の目をジッと見つめてみたが、動揺の色は一切見せなかった。


 この少年はさっき改札を通った少年と顔見知りだろうか? もしかしたら、ただの偶然かもしれない。けれど、それにしてはタイミングが良すぎる。これは深く聞くべきか、聞かざるべきか――。


 結局、私は訝しみながらも目の前の少年にも三国ヶ丘分の乗車賃を請求し、220円を頂戴して改札を通るように促した。すると、またすぐに「すいません」と別の少年に声をかけられた。


「すみません、切符を落としてしまいまして」

「君も三国ヶ丘から乗ってきたんか?」


 私は半ば強引に会話を遮った。すると、少年はパチパチと瞬きをさせながら無言で頷く。みるみるうちに少年の顔色が悪くなっていくのを見て、私はがっくりと項垂れてしまった。


「何やっとんねん、お前らは……」


 目の前の少年を叱る気にもなれず、私は呆れ果てた。駅員をなめてるとしかいえない行為に、昨日の件も相まってだんだん腹が立ってきた。


「お前ら三人だけか? さっき通った奴等の他に仲間はおらんのか?」

「い、いないです」


 私の目を思いっきり逸らした少年を見て、絶対に仲間がいると確信した。辺りを見渡してみると、看板の後ろに隠れてこちらの様子を伺う四人組とバッチリ目が合った。


「……なぁ、その四人組も君の連れやったりする?」


 私はこちらの様子を伺う四人組に指をさした。私と目が合った途端、四人組は危険を察知したのか、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。だが、そのうちの一人は改札に向かう途中の男性とぶつかってしまい、派手に尻餅を着いていた。


「やべっ……あっ!」


 改札を通って逃げるだろうと思っていた私は、少年の手首を思いっきり掴んだ。私が手首を握った瞬間、少年は「ぎゃあっ」と短く悲鳴をあげる。


「痛いねんっ! 手ぇ離せや、このボケッ!」


 少年は私の手を振り解こうと全体重をかけて仰け反った。飛び跳ねたり蹲み込んだりして、この場から逃れようと躍起になっていたが、私は決して手を離さなかった。


「お前ら、ほんまはどっから乗って来たんや? ちゃんと切符持ってるやろ? はよ出せ」


 少年は逃げられないと察したのか、気後れしながらもポケットに手を伸ばし、橙色の切符を私の手の平の上に乗せた。私は切符の表記を確認する。切符には和歌山と印字されていた。


「お前ら、和歌山から来たんか? 天王寺までやったら片道820円やんけ。電車乗る金もないのに、ここまで来たって事か?」

「いえ、あります……」

「はぁ? どういう事や?」


 私が厳しい表情で見据えると少年は小さく肩を震わせた。


「て、手持ちのお金が少ないかったから! 皆で節約しようってなって! 三国ヶ丘から乗った事にすれば、220円で済むし、片道500円浮かせられるってなって……その、本当にすみませんでした」


 少年が謝罪の言葉を口にしたが、私はこの少年が反省していないとわかっていた。その証拠に口の端がほんの少し上がっている。まだ子供だから謝れば許してくれると思っているようだったので、私は深い溜息を吐いた。必ず少年達を全員とっちめて、差額分を請求してやる――そう心に決めた。


「とりあえず、この駅で一番怖い係長の前に突き出したるから覚悟しとけよ。後、お前らが通う学校にも連絡するからな」

「そ、そんなぁっ!」


 それを聞いた少年はようやく自分のやった事の重大さが分かったのか、声を押し殺して泣き始めた。


「泣くぐらいなら、最初からやるなよ……」


 私は呆れつつも、隣で一部始終を見守っていた鳥谷に声をかけた。


「鳥谷、逃げた奴ら全員つかまえてきて。俺はコイツを獅戸係長に突き出してくるから」

「了解、暫く持ち場から離れますね」


 改札にいた他の社員達に声をかけた鳥谷は先ず、尻餅を着いた少年を確保し、私も後を追うように少年を駅事務室へ連れて行こうと手を引っ張った。だが、少年はその場から動こうとはせず、幼い子供のように泣きじゃくっている。


「ほら、早よ行くで」

「グスッ……嫌や、行きたくない」

「お前はアホか、自分でやった事やろ? 社会人やったら、こんなんじゃ済まんわ。ええか、今日の事はよく覚えとけ――っ!?」


 突然、尻に痛みが走り、私は身体を大きく震わせた。しかも手で叩かれるような痛みではなく、尻の間に何かが突き刺さるような不快な感覚。まるで、肛門に棒を突っ込まれたような鋭い痛みを感じたのだ。


「っ……」


 痔を患っていた私は痛みで少年の手首を離してしまった。声にならない声をあげ、膝に手を付いてしまう。私は眉根を寄せたまま背後を振り返ると、さっき改札を通った二人の少年が、怪獣をやっつけたと言わんばかりに私を見下していた。


「駅員のくせに偉そうに言うなや! こっちは客やぞ、このアホッ!」


 駅中に響き渡るような声で非難してきたのは、一番最初に改札を通った丸い目の少年だった。二番目に改札を通った無愛想な少年も隣で、「そうや、そうや!」と一緒に騒ぎ立てている。


 少年達の生意気な言動に私の怒りは頂点に達した。ブチッと何かが音を立てて切れる音がした後、少年達を取っ捕まえる為に立ち上がった。


「誰に向かってなめた口きいてるんじゃ、ゴラァッ! 不正乗車してる時点で客じゃないやろうがっ! そんなしょうもない事するんやったら、紀ノ川渡ってくんな!」


 彼等の襟元に手が伸びる。丸い目の少年は間一髪で避け、無愛想な少年は逃げる途中で派手に転けていた。


「鷲見さん! コイツらの事見ててくださいっ」

「大熊! 人とぶつかって怪我させたらアカンで!」

「わかってますっ」


 私は改札に立っていた女性社員の鷲見さんに、泣きべそをかいていた少年と改札の前で派手に転けた少年の確保をお願いし、逃げた少年を必死に追いかけた。

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