第14話

あ、これは夢だ。

桜子は目の前にセーラー服を着たすみれがいることで、それを悟った。

明晰夢。夢だとわかる夢。

面倒くさい。最初に出てきた感想は、そんなところだった。

すみれがセーラー服を着ているということは、高校生のころだ。


「桜子は真面目すぎるんやな」

「別にそんなんやないと思うけど」


すみれは愛想よく笑っている。たれ目の瞳が、笑うと綺麗な円弧を描く

ああ、こういう風に笑う人だった。

桜子は久しぶりに見た姉の顔に頷く。とはいえ、夢の中の桜子は唇を尖らせているのだが。


(そりゃ、モテるわな)


桜子から見て、すみれはいつも人に囲まれていた。

同じ能力を持つ桜子にすれば、疲れないのだろうかと首を傾げたほどだ。

だが、この時の姉の年を越し、こうやって向かい合えば人が寄ってくる理由がわかる。

柔和な雰囲気に、艶やかなストレートの黒髪が鎖骨の下で揺れていた。

聞こえる言葉の柔らかさ。人当たりの良い会話。

エリカがぞっこんになるのもわかるというものだ。


「やって消さないんやろ?」


口元に手を当て、すみれが首を傾げる。

姉からの問いかけに、夢の中の桜子はむっとして答えた。


「消せないんよ」


すみれの悪い癖だ。

なまじ能力が高い分、できないことを理解できない。

真面目とかいう、性格の問題ではなく、単純に桜子にはできないのだ。


「オネエとは違って、うちは」


下を向いてぼそりと呟く自分の姿に、桜子は胸の奥に焦げた何かを押し込まれた気分になる。

思春期まっただ中の女子中学生だった。当時の感情が蘇る。


「ふーん、できると思うで。見えるのは私より見えるんやから」

「そやろか」


妹の忸怩たる思いなど気づかず、すみれは言った。

簡単に言ってくれる。

あとから聞いた話では、すみれは中学生の頃には自在に能力を扱えていた。

それでも桜子を買ってくれるのは身内の欲目なのかもしれない。


「ちょっと八つ当たりして試してみたらええやん」


良いことを思いついたとすみれが人差し指をピンと立てて提案してくる。

とんでもない内容だ。今聞いても、ため息が出そうになる。


「八つ当たりって」


桜子は眉をしかめた。

すみれはイラついたら、そのイラついた相手の感情を消してみたらと言っているのだ。

できるとしてもやりたくない。

妹の内心に気づかない様子で、すみれは方法を伝授し始める。


「そこらへん歩いてるとナンパ男が来るやろ?」

「こーへん」

「え、嘘やん。桜子、こんな可愛いのに」


最初から桜子には無理なことだった。すれみが桜子の返しに目を丸くする。

可愛いとか、可愛くないとか、それ以前に、ナンパされたくない人種もいるのだ。

中学生のころなど、一番能力を持て余し、近寄ってくる気配だけで逃げていた。


「オネエ、人類みんながナンパされるわけやないんやで」

「いや、それは知っとるけど」


すみれはケラケラ笑いながら、パタパタと片手を動かしている。

そうや、この姉は、自分が一等かわいいと思っていた。

少しずつ沈めていた記憶から情報が漏れ始める。

可愛い自分に引っかかった男で、ストレス解消をしていたわけだ。


「まぁ、ええ。歩いてて、ナンパされてる人を助けるでもええから」


それでいて、変な所はずれているから困ってしまう。

ナンパされる人も珍しければ、それを助けるなんて状況はもっと珍しい。

すみれと愛花はそうやって出会ったらしいので、すみれにとっては想定できる話だったのだろう。


「だーかーらー! 町中でナンパされてる人自体、あまり見ぃひんって」


一人でペラペラと話し始めるすみれに、桜子は少し声を荒げた。

すみれの声が止む。きょとんした顔で首をかしげてから、ゆったりと笑った。

笑顔自体は可愛らしいはずなのに、妙な圧力がある。


「そっか、それならしゃーないな」

「オネエ?」


雰囲気の変化を感じ名前を呼べば「んーん」と流された。

すれみは笑顔のまま自分の方を指さすと、桜子に言った。


「私が消したるから、何かあったら言うて」


それは、桜子が嫌だと言えば、誰かの感情が消えることを意味する。

すみれが能力を使うと、その感情と一部記憶が抜け落ちるらしい。

すべてミナカとエリカからの受け売りだ。


「……頼まん」

「そこは、可愛く頷かな!」


肩を叩かれる。桜子は顔を逸らすだけだった。

姉が助けてくれるのは嬉しい。だけど、それで誰かの記憶や感情が消えるのは怖い。

複雑な心境を桜子は覚えている。

楽しそうに笑うすみれに贈る言葉は一つだけだ。


「嘘つき」


桜子が呟いた瞬間に、世界は暗闇に切り替わる。

落ちてるとも浮いてるとも分からない。

不安定な空間は不快感しかなかった。


「桜子ちゃん」


急に名前を呼ばれて、桜子は後ろを振り返る。

そこに夏音はいなかった。ただ光が漏れている。

ああ、夢が終わる。

桜子は光に手を伸ばした。


「ん……?」

「桜子ちゃん、ご飯できたよ」

「夏音?」


肩を揺らされる感覚に重い瞼を持ち上げる。

ふわふわした感覚はこの揺れのせいだったのかもしれない。

ぼんやりとした視界に、エプロン姿の夏音が立っていた。

いつの間に来たのか。頭がはっきりしない。


「大丈夫? うなされてたけど」


顔を覗き込まれる。

こちらを伺う瞳に、桜子は髪の毛をかき上げた。

後頭部から首筋にかけて、じっとりと汗をかいている。

桜子は顔をしかめた。


「オネエの夢見たわ。あー、不吉」

「夢くらい、見るって。大丈夫、大丈夫」


立ち上がろうとしたら、夏音に手を引っ張られた。

まるで介護である。

ご飯のことといい、どれだけ虚弱に思われているのか。

抵抗するのも面倒で桜子はそのまま手を引かれて食卓に着いた。


「ただの、夢やとええんやけど」


すみれの笑顔が妙にこびりついて離れなかった。



池袋駅東口を出て、夏音と目的地へと一直線に歩く。

場所は簡単にしか決めていないが、すぐにエリカと合流することができた。


「あらあら、やっと登場ね」


連れ立って現れた桜子たちにエリカは壁から背を浮かす。

桜子も同意と呆れを半々にため息を吐いた。


「保護者が厳しくてなぁ」

「下手な恋人より過保護じゃない」


にっと笑うエリカを睨む。

からかうのもいい加減にして欲しい。

桜子とエリカのやり取りに気づかず、夏音が頭に手を当て胸を張った。


「いやー、それほどでも!」


桜子は夏音の肩を叩く。「いて」と小さく声がした。

こんなのが保護者扱い。認めたくない。


「褒められてへんで」

「褒めてるのかもよ?」


余計なことしか言わないエリカに頭痛がしてくる。

分かっていて遊んでいる。

エリカの言葉を真に受けた夏音がキラキラした目で桜子を見た。


「褒めてるらしいよ!」

「はぁ、めんど」


グイグイくる夏音の肩を手で抑える。

保護者感を出してから、身体接触が多いのだ。

家では好きにさせていたが、外では面倒が増すだけ。

桜子はエリカをチラリと見た。


「あんさん、大崎さんと関わってから、キャラ違いません?」

「面白いことには積極的に首を突っ込むことにしたの」

「お硬すぎるよりは、ええかもしれませんけど」


エリカは異能関連になると、とにかく真面目だ。

憧れがすみれだというのだから止めたくなる。

肩の力を抜いて微笑むエリカに、桜子は肩をすくめた。


「特に今日は派手にしなきゃね」


悪戯に笑い、エリカがその場で一回転する。

タイトルをつけるなら派手好きセレブ学生とその友人たちといったところだろう。

元々、顔立ちがハッキリしているエリカが一目で高そうと分かるセットアップを着ているのだ。カバンもブランド物と気合が入っている。

普段着の桜子と夏音が横に立つと、さらに目立った。


「VIPって、ほんと」


桜子は米神に手を置いた。

目立って、お金を使いそうな雰囲気を出す。そうすればVIP席に入れる。

単純明快な作戦だ。


「エリカちゃんが派手に遊んで、VIPへで良いんだよね?」

「そうよ。桜子と夏音は遊び慣れてない友達ってことで」


夏音がエリカの周りを一周した。

感嘆符だらけの声を上げている。

エリカも満更ではないようだ。

桜子は初めてその店に行くので、二人の茶番が終わるのを待つしかない。


「一回で入れるもんなん?」


特別扱いされるには、金額もだが常連になる必要がある。

尋ねた桜子に、エリカは顔の前で指を振る。


「んー、ちゃんとある程度遊んでおいたわよ」

「……用意周到なことで」


さすが、と桜子はため息で答えた。

真面目に遊んでいたらしい。

エリカの姿を撮影し始めた夏音は、この話が聞こえているのだろうか。

夏音の肩を叩く。


「気を引き締めて、行きましょ」


にっこりと笑えば、夏音の顔が引きつった。

それを見てエリカがまた笑う。

緊張感のなさに桜子は不安を抱えつつ、クラブに向かった。

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