第13話

エリカと別れた夏音は、だいぶ通いなれた桜子のマンションへ進んでいた。

桜子はちゃんと休んでいるだろうか。心配だ。

自然と足も速くなっていく。

街路樹の葉が落ち始め、脇に小さな山を作っている。

秋だなぁと思って、桜子は秋が好きそうだなと勝手に思った。


「ただいまー」


鍵の開いた扉を開ける。

マンションの玄関を合鍵で通ると、自然と部屋に通知が行くらしい。

どういう仕組みかさっぱり分からないが、高級な匂いがした。

片付いているというより、物がない廊下を進んでリビングの戸を開ける。


「……あんたの家やないけど」


桜子がソファにゴロンと寝ころんだまま、夏音を見上げた。

体の上にきちんと毛布がかかっているあたり、休む気はあったらしい。

唇を尖らせる桜子に夏音は近づくと逆さまに覗き込む。


「いいじゃん、いいじゃん。帰ってきてるんだから、私の家」

「近い」


顔と顔の距離が近くなる。逆さまに見る桜子は新鮮だった。

覗き込む夏音の顔を桜子は手のひらで押し返した。

「ぐえ」と変な声が漏れる。

まったく、扱いが悪くなる一方だ。


「どうやった?」

「いっぱい、撮れました!」


ソファに身を起こし、桜子は毛布をひざ掛け代わりにする。

ちらりとこちらを伺う視線に、夏音は犬が飼い主にじゃれるように隣に飛び込んだ。

カメラロールを表示させ、桜子に渡した。


「上手いもんやな」

「エリカちゃんがピックアップしてくれたの」


一枚一枚をスライドさせながら、桜子が確認していく。

エリカは存分に役に立った。桜子の推薦はとても適切だったと言える。

写真をスライドさせていた桜子の指がぴたりと止まった。


「ここ」


夏音は頭を寄せる。

桜子の手元を見れば、エリカがきな臭いと言っていたクラブ。

さすが、能力者は通じ合うらしい。


「うん? あー、三番目のとこだね」

「似てるわ」


じっと画面を見つめる。

自分の中にある記憶と画像を照らし合わせているのだろう。

夏音は邪魔しないように、静かに問いかけた。


「見た場所に?」


画面を見る桜子の横顔にブレはない。

夏音は顎の下に手を置いて、そっと桜子との距離を詰める。

どこまで近づけば気づくのかなという、ちょっとした好奇心だ。

ゆっくりゆっくり距離を詰める。

もう少しで桜子の肩と夏音の頬がぶつかる距離まで来た時、桜子の右手が伸びてきた。


「ここに行かな」

「りょーかい」


頬を手で押しのけておきながら、桜子はまるで知らん顔で言う。

微塵も笑わない。まるで張り詰めた糸のようだ。

顔の位置を元に戻し、夏音はスマートフォンを桜子から受け取った。


「でも、体調の回復が先だよ」

「体調なんて、元から大したことあらへんし」


桜子の唇が尖る。

無理やり寝かしつけられた人が何を言う。

大体、ソファで寝ていた時点で本調子じゃないだろうに。

夏音はにっこりとした笑顔を桜子に向けた。


「クラブってさ、すっごく人が多くて、お酒飲んでる人も多いの」

「うん、そやろな」


夏音の言葉に、桜子が首を傾げる。

まだ気づいていない。

夏音は追い打ちをかけた。


「そんな場所に行って、機嫌悪そうな顔をしてたら、一発で怪しまれちゃうよ?」

「……機嫌悪そうな顔とかしてへんし」

「そうかな。桜子ちゃん、顔に出るから」


そう言いながら桜子はへの字口になっていた。

苦笑を噛み殺す。

ここで笑ってしまえば、本格的に拗ねるだろうから。


「じゃ、勝負しよう」

「はい?」


きょとんした顔で目を瞬かせる桜子に、夏音は勝負を持ちかけた。



秋になっても、陽射しが強い昼は汗ばむ陽気だ。

最寄りの駅から目的地に到着したときに、桜子はすでに疲れていた。

上を見上げれば、格子状の外壁に劇場名が大きく描かれている。

看板やポスターの周りには人だかり。

桜子はここに来ることになった原因を振り返った。


「なんで、ミュージカル?」


夏音がエリカからチケットを受け取っていた。

桜子の問いかけにエリカがひらひらと一枚を揺らす。


「チケット余ってたのよ」

「エリカちゃんから誘われたから」


エリカが楽しそうにチケットで口元を隠す。

夏音は観劇経験が少ないのか、チケットと劇場を交互に見ていた。

予想通りの答えといえば、答えだった。

桜子もしぶしぶチケットを貰うため近づく。


「よく来たわね。絶対来ないと思ってたわ」

「ほんと、何でやろなぁ」


エリカの言葉に、桜子自身も深く頷くしかない。

勝負と言われて引けなくなった。

言い出しっぺのはずの夏音だけが勝負など知らぬ顔で立っている。


「クラブにいくなら、劇場でも大丈夫でしょ?」


目と目があって、にっと笑われた。

このごろ分かってきた。夏音がこういう笑い方をするときは、何か企んでいる時だ。

桜子は反論する。


「こっちの方が人が多い」

「話しかけてくる人間は少ないわよ」


間髪入れずエリカが返してきた。

話しかけてくる人の問題ではない。劇は感情が現れやすいのだ。

それを見ているだけで桜子の負担になる。

押し黙った桜子にエリカが入り口を指さす。


「とりあえず、行きましょか」


開場時間になったのか、人だかりが列をなして劇場内に吸い込まれていた。



劇の内容はありふれた恋愛ものだった。

立場も性格も正反対の二人が、反発しながら惹かれあい、やがて結ばれる。

王道でありながら、話のテンポがよく、初見の桜子も楽しめた。


「いやー、当たりだったわね!」


エリカがぐーっと大きく伸びをしながら座席を離れる。

最後まで一番大きく拍手をしていたのが、エリカだった。

満足なのだろう。あまり見ない満面の笑みが浮かんでいる。

桜子は後ろを歩く夏音を気にしながらエリカに行った。


「……あんさんは、こういうの好きだったんやね」

「アタシの専攻知ってるでしょ? デザインよ」


輝く笑顔で言い切られる。

そういえば、そうだったかもしれない。

エリカと顔をあわせるのはミナカの所でばかりだったから忘れていた。

自分で舞台に立てそうな容姿のくせに、エリカは作る方が好きな人間なのだ。

人込みに揺られながら出口を出る。


「どうだった?」


ある程度人混みが疎らになった曲がり角で、喫茶店に入る。

個人経営のお店なのか、雰囲気がとても落ち着いていた。

席に座るなり尋ねてきたエリカに桜子は感想をまとめる。


「まぁまぁ、楽しめたけど……上手い演者ってのは、感情まで演じれるんやな」


昔見た劇は、表面のセリフと内面の感情があってなさすぎた。

だが、今日の俳優たちは皆、演じている役そのもののようだった。

セリフと感情にブレがない。

下手に観客席を見ているより、落ち着けたくらいだ。


「本気だから」


桜子の感想にエリカは「ああ」と頷いてから、そう答えた。


「本気」


どういう意味だろう。

桜子はおうむ返しに繰り返した。

エリカの答えを待つ。


「本気の人間ほど、嘘はつかないものだもの」


エリカは運ばれてきたアイスティーに口をつける。

本気の人間ほど嘘はつかない。

そうだろうか。

ピンとこず首を傾げる。桜子が見てきた人たちを思い浮かべた。


「なるほど。どうでもいい人間は適当なことばっか言うもんね」


口ごもった桜子の代わりに、ずばりと言い切ったのは夏音だった。

たまに鋭いことを言う。

桜子からみた大崎夏音という人間は、人当たりがよくて、いつでも人に囲まれている人間だ。

ニコニコした笑顔で、人の役に立つことを好む。そのくせ、たまにこうやってドライな部分が見える。

そのたびに、桜子は戸惑うのだ。

見えないことが怖いのは初めての経験だった。


「それか、本気で嘘をつく人間ね。そんな人は相手にするだけ無駄よ」

「ああ……おるな」


エリカの言葉に、桜子はすとんと腑に落ちた。

どうでもいいから嘘をつく人間もいれば、こっちを明確にはめようと嘘をつく人間もいる。

桜子には見えている嘘でも、相手は気づいているとわかっていない。

桜子はため息交じりに呟いた。


「どうして、嘘をつくんやろうな」


表と裏が似通っていれば、感情が見えても苦労しないのに。

桜子の本音に、意外な答えが降ってくる。


「人は、そういうものだから」


夏音はあっさりとそう言った。

あんさんが、それを言うんか。

桜子が口を開こうとしたとき、夏音ががらりと表情を変える。


「それより、勝負だよ!」

「あー、そんなんもしてましたなぁ」


夏音の勢いに机が揺れた。

勝負。何のことか一瞬わからなかった。

桜子は誤魔化すように紅茶に口をつける。


「どうだった?」


夏音がすぐさま標的を変え、エリカに尋ねた。

まずい。

桜子にもその自覚はあった。

エリカがちらりと桜子を見て、唇を釣り上げた。


「そんなの、言うまでもないじゃない」


エリカがお手上げと言うように両手を上げる。

この劇を楽しんだ。ということは、桜子自身顔色をよく変えていたということだ。

顔に出にくいなんて言いづらいほどには。

こちらを期待に満ちた瞳で見てくる夏音に、桜子は肩を落とした。


「はいは、うちの負けですよー」

「クラブには体調が整ってから行こうね!」


お節介な一言。

嬉しいとどこか思っている自分もいて。

桜子は憮然な顔をつくって、残りの紅茶を飲まなければならなかった。

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