第12話

池袋駅は知名度のわりに地味な駅だ。

駅を出てすぐの場所に百貨店があるが、それだけ。

ライトアップされた店名を見上げながら、夏音はそう思った。

多くの人は駅を出ると、四方八方に散っていく。同じ方向に歩く渋谷や新宿とは違う。

行合う人にぶつからないように移動しながら、夏音は目的の人を探した。


「で、アタシが急に呼び出されるってわけ」

「ごめんねー!」


エリカを見つけるのは、簡単だった。

だって、目立つ。

背からして、普通の女の子より頭一つ分は高い。その上、顔が良い。

ナンパどころかスカウトされててもおかしくない。

今日も上から下までバッチリ決まっているエリカに夏音は頭を下げる。


「大丈夫だった?」


夏音が話しかけている間にも、エリカの鞄から通知音がひっきりなしにな鳴っていた。

おそらく、電話ではなくメッセージ。

エリカは数秒ごとに送られてくるそれに、眉一つ動かさず、肩を竦めた。


「しばらく五月蠅いとは思うけど、急に来たんだからしょうがないわよね?」

「その通りです」


夏音としては平身低頭するしかない。

桜子のアドバイス通り、エリカを誘った。誘わなければ、クラブへ足を踏み入れることはできなかっただろう。

桜子は、態度に反して心配性なのだ。

人込みに乗るようにして、並んで歩きはじめる。


「クラブ探しだっけ?」

「そうなの。重低音で薄暗くて、人が多い池袋らへんのクラブ」


夏音が単語を重ねるたびに、エリカの眉間に皺が寄っていく。

最終的にエリカはその皺を揉み解すようにしながら言った。


「夏音、クラブっていうのは大抵、重低音の音楽が流れてて、薄暗くて、人が多いわよ」

「ええっ、そうなの?」


足を止める。急に動きを変えた夏音に後ろを歩いていた人が、舌打ちをして追い越していった。

何と言うことだ。

桜子から聞き出せた情報はそれだけだった。


「居酒屋だって、大抵、ガヤガヤしてて、店員さんは元気が良くて、BGM流れてるでしょ」

「確かに」


夏音は大きく頷いた。

飲食店のバイトは多いが、居酒屋系はエリカの言うような雰囲気がほとんどだ。

隠れ家風やら、カウンターしかないお店だと、また違うのだけれど。

夏音は助けを求めるようにエリカを見上げる。


「しかも池袋って……探しやすいんだか、悩むわね」


エリカが階段を降り始めた。ヒールがコツコツと音を立てる。

うわ、カッコいい。スマホで写真を撮りたくなる。

スニーカーの夏音も慌てて後ろをついていく。


「エリカちゃんは、よくクラブに行ってるって」

「回数は多いわね。でも、元々お酒とかあんまり飲まないのよ」

「そうなんだ」


階段を下りるたび、エリカの髪の毛がふわふわと浮き上がる。

悩むと言っていたわりに、足取りに迷いはない。

ひとつずつ潰していくのだろう。

階段を降り切ったところで、エリカが振り返った。


「お酒飲んでる時間って無駄よね」


ずばりと言い切られた言葉に、夏音は苦笑する。

見た目に反して、努力や繰り返しが好きなエリカらしい。

ストイックな人間は嫌いではない。が、エリカは激しすぎる。


「まぁまぁ、楽しいこともあるから」


階段を降り切って、細めの道へ踏み込めば雰囲気は一変する。

ぶらぶらと歩いているように見える人間も、周囲を伺っていた。

客引き。それも客に紛れたやり方。


「お姉さんたち、クラブ探してるの?」


ダボっとしたズボンに、緩めのTシャツ。首と腕にはアクセサリー。

夏音が想像するクラブによくいそうな男から話しかけられ、夏音はエリカを見た。

男の視線はもとからエリカを見ていた。


「ほら、来たわよ」

「わわっ」


気づいていないわけがないのに、エリカに肩を押される。

「そうでーす」とワントーン声を上げたエリカに、男が相好を崩した。

店まで案内してくれるという男についていく。

エリカがすれ違いざまに、夏音の肩を叩いた。


「一つ一つやりましょうか」

「お願いしまーす……」


にっと笑うエリカを真似するように口角を引き上げた。

エリカは絶対クラブが好きだ。

軽やかに歩くエリカの背中を、夏音は追いかけた。



重低音、薄暗い店内、そして妙なハイテンション。

エリカの言う通りだった。三件目になるとさすがに慣れてくる。

ぐいぐいと距離を詰めてくる人たちと会話をしつつ、夏音はため息を飲み込んだ。


「あはは、そう貧乏学生だよ。エリカちゃんに連れてきてもらったの」

「えー、そうなんだ」

「そうそう」


エリカは目立った。クラブでも、あっという間に人だかりができ、夏音はその輪の端で誰とも知らない人と話をしていた。

楽しい。けれど、面倒くささも感じる。

エリカを見れば、人の輪の中から視線を投げかけられた。


「夏音の十分の一でも、桜子にこの能力があったら」


グラス片手に小さく首を振っている。表情は柔らかい。

たまに男に触られそうになると、上手いこと避けているのに感心した。

聞き取れなかった言葉に、夏音は少しだけ声を張り上げた。


「エリカちゃーん、なんか言ったー?」

「ごめんなさい、ちょっと通して」


エリカが人の輪から出てくる。

まるでバリアがはられているかのように、人混みが割れる。

視線が絡みつく海藻のようにエリカを見ていた。


「写真取れた?」


夏音の隣に来たエリカは、グラスに口をつける。

様になる。中身がノンアルコールカクテルとは思えないほどだ。

夏音はスマホを操作して、いくつか写真を見せた。


「大体、撮れたと思う」


エリカが画面をのぞき込む。

一緒に確認した後、エリカは少しだけ天井を見上げた。


「桜子が実際に来れたら一番なんだけど」

「桜子ちゃん、人混みに弱いみたいだし」


何処を見ても、人、人、人だ。

街に出るのさえ煩わしい桜子には地獄のような場所だろう。

エリカの言葉に、夏音は両肩を竦めて見せた。


「人混みっていうか、人っていう存在が嫌いなのよ」

「見えるから?」

「そ。小さい頃は、悪口も丸見えだったらしいわ」


フロアの人が音楽に合わせてジャンプしている。

地響きとも地鳴りともとれる音が音楽と交じり合い、圧を形成していた。

エリカは淡々と告げているが、毎日、罵詈雑言を浴びるようなものだ。

自分だったらと想像して、背筋が冷えた。


「じゃ、この頃はやっぱり無理してるんだ」


鞄につけているハーバリウムのキーホルダーを見る。

のぞみにあげたのは赤で、夏音がもらったのは青だった。

夏音の言葉にエリカは首をわずかに傾けた。


「無理? 桜子が?」

「うん」


マークに触れて情報を読む。

その大変さは夏音にはわからない。

だが、読み終わるたび、桜子の疲労は明らかで。

クラブの情報を手に入れたときなど、そのまま倒れるのではないかと思った。


「ふーん……」

「エリカちゃん?」


エリカが目を細めている。

何かマズいことを言っただろうか。

夏音が尋ねると、すぐにその表情は消えてしまった。


「ううん、何でもない」


空になったグラスをカウンターに置く。

それからエリカは奥に続く道を指さす。


「気づいた? ここ、VIP席があるみたいよ」

「VIP席?」

「特別な人だけ入れる場所よ」


カウンターの脇にあるというのに、その先に進む人間はいない。

クラブにそんなものがあるのも夏音は初めて知った。

騒ぐために来ているなら個室に入る意味はなんだろうと、不思議だった。

暗がりになってよく見えない。夏音は目を凝らした。


「あの奥らしいんだけど」

「あそこ?」


視力は悪くない。だが、そのVIP席へ続く道は観葉植物やカウンターの上の物が障害物になっている。

初心者には気づくことさえ難しい作りだ。


「ちょっと匂うのよね。よく撮っておいて」

「了解」


言われた通り、様々な方向から撮影する。

シャッター音など大音量の音楽に紛れて、まったく聞こえなかった。

エリカは夏音が注目を浴びないように上手く人を引き付けてくれている。


「桜子の探してる場所が、あれば良いわね」


VIP席への写真を撮り終え、夏音とエリカはさっさとその場を後にした。

引き留める声はあったが、すべてエリカが鮮やかに断った。

あの断り方は見習いたいほどだ。

エリカの言葉に夏音はスマホを掲げて見せた。


「帰ったら、見せるね!」

「ええ、帰ったら見せてあげて」


夏音の言葉にエリカは笑う。

桜子のマンションに帰るのだ。

夏音とエリカはそのまま駅へと戻っていった。

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