第10話

秋の風が通り抜けていく。夕暮れには肌寒さを感じるようになった。

まだ、どこか気持ち悪さが残っている。

桜子は肩をさするようにしてから、ミナカのマンションへと足を進めた。


「大丈夫?」

「……ありがと」


エレベーターの浮遊感にクラリとする。

肩を支えられ、反射的に視線を向ければ、夏音が心配そうにこちらを見ていた。

顔の距離が近い。

桜子は無言で身体を引く。心臓が痛いのに、気づかない振りをした。


「アタシもいますけどー」


奇妙な沈黙がエレベーターの中に満ちる。

ミナカの部屋に入るまで、それは続いた。


「やっぱ、恐空だったかぁ」

「わかっとったんですか?」


恐空はあの声の持ち主で、悪意を操る首謀者だ。

今日もミナカは椅子で姿勢を崩していた。髪の毛も跳ねている。

綺麗な顔をしてるんだから、そう振る舞っていたら良いのに。

そう思ったことは数知れない。

桜子の言葉にミナカはこくりと大きく頷いた。


「この頃、似たような事件が多くてね。怪しいなぁとは思ってた」


それは黒だろう。

悪意が実害になるほど、大きくなることは珍しい。

ひとつあったら疑っても良いほどだーーと桜子は思っている。

ジトッとした視線でミナカを見つめた。

だが、ミナカは意に介さず、毛先を指で弄っている。


「オネエは?」


恐空が現れるとに、すみれも現れる。

すみれが恐空を追いかけているからだ。

恐空の事件が増えているなら、すみれが目撃されていてもおかしくない。


「すみれは、サッパリだよ……相変わらず、うまいねぇ」


ミナカが頬杖を付きながら答える。

上手い。

そこには桜子も同意する。

すみれは、我が姉ながら上手に能力を使い、一般社会に溶け込んでいた。だからこそ、6年前の事件が信じられない。


「皮肉に聞こえますけど」

「あれ、そうかな?」


すっとぼけた顔で、首を傾げるミナカに桜子はため息をついた。

今まで黙っていたエリカが腕を組んだまま、桜子とミナカを交互に見た。


「恐空が出てくるなら、すみれさんも来るでしょ」

「嬉しくないわ」


桜子は顔をしかめた。

姉に会う。そうなった時、自分はどうすればいいのか、まだ分からない。

怒ればいいのか、泣けばいいのか。

人の感情のように見れえば楽なのに。


「ウソだぁ。強がりはいけないと思う」

「アタシはすみれさんに会いたいけど」


自分勝手な発言をするミナカとエリカに桜子は肩をすくめた。

すみれの話は分が悪い。

一歩引いた桜子に気づかず、ミナカとエリカは話を続けていた。

そっと壁際まで寄ると静かにしていた夏音が少し体を折り小声で囁く。


「桜子ちゃん、私も手伝うよ」


一から十まで善意で言ってくれている。

能力を使うまでもなくわかった。

だけど、桜子は首を横に振る。


「いや、あんさんはそろそろ辞めとき?」


自分より少し高い夏音の茶色い瞳を見返した。

戸惑いに黒目が右に左に動く。

ちくちくと何処か針で突かれているように桜子には感じた。


「恐空が関与すると悪意の被害は大きくなる。うちに人を守る力はないし、わざわざ関係ないのに首を突っ込む必要はあらしません」


今までだって、桜子のミスが後を引いただけ。

本来まったく無関係の夏音は、こういう事象に関わるべきではない。

愛花だってすみれと関わらなければ死ぬことはなかったのだ。

すみれは、戦う力があった。自分にはない。

夏音は一切を拒絶するような桜子の物言いに眉尻を下げた。


「でも、のぞみちゃんが死んだのは、その人のせいなんでしよ?」

「馬場さんのことは、あんさんに関係ないことや」


夏音は最初から付き添いだった。

付き添いに巻き込まれ、桜子に巻き込まれ、事故に巻き込まれた。

これ以上は危険。

桜子に戦う力があれば、また違ったのだろう。苦虫を嚙み潰した気分だ。


「うちも一般人助けられるほど、余裕ないんよ」


自分から、自分の無力さを口に出すほど、苦々しいことはない。

桜子のことをわかってくれて、協力したいと言っている人間にだったらなおさら。

夏音が口を開く前に、ミナカとの話を切り上げていたエリカが夏音の肩を持った。


「いいじゃない、助けてもらえば。夏音、才能あるでしょ」


親し気に夏音の肩に手を回し、エリカは意味ありげに笑った。

わざとらしい。当てつけだ。

舌打ちしそうになるのを堪える。

エリカは桜子とは逆に、見えづらいけれど、払うこと戦うことに特化している。

ちらりとミナカを見ても、興味なさそうに窓の外を眺めていた。


「え、そうなの?」


きょとんと目を丸くした夏音がエリカを見る。

肩が触れ合う距離間でも、普通に話している。

「そうよ」とエリカは桜子に視線を投げた。


「桜子に読まれない時点で凄いんだけどね」

「……エリカだって、気抜いとると、ダダ漏れなときあるさかい」

「ちょっと桜子!」

「本当のことやろ」


すぐに食って掛かってきたエリカをひょいと避ける。

エリカは感情がわかりやすい人間だ。

意思表示もはっきりしていて、見える感情との食い違いが少ない。

だから桜子にとっても付き合いやすい人間だった。

エリカとじゃれていたら、ミナカが夏音を見ながら首を傾げた。


「夏音ちゃんは悪意を弾いてたんでしょ?」


弾いた。しかも人を覆うほど大きくなっていたものを。

だが、それを見ていたのは現場にいた桜子だけのはず。

頷きそうになったのを止める。眉間に自然と皺が寄るのがわかった。


「なんで、それを」

「跳ね返りばかりの組織だと色々手が必要なの」


桜子の苦い声にも、ミナカは肘をついていた手のひらを上に向けるだけ。

それだけで絵になるのだから、むかついてしまう。

腕を組み体を乗り出す。足先で絨毯に八つ当たりもした。


「見とったん? 悪趣味」

「見えちゃう時もあるってことよ」


ミナカはさらりとそう言って、涼しい顔を崩さない。

見えちゃうときもあるーーそんなわけがない。

遠くの場所を見る方法は何個か開発されている。

もちろん、自分の力で遠くを見れる能力者もいる。桜子は会ったことはないが。

だが、そのどれもが労力と準備が必要なものだった。


「うち? いや、大崎さんか」


桜子は顎の下に手を当てて、ミナカと夏音を見た。

表情の変わらないミナカに対して、夏音は何が起きたのか分からないというように落ち着きなく視線を動かしている。

桜子が問い詰めると、ミナカはあっさりと頷いた。


「悪意を弾いて、でも、短命の家系なんて、絶対何かあるわよ」

「そうなんですか?」


夏音がミナカの机に近寄る。

夏音の持っている鞄についているハーバリウムのキーホルダーが揺れた。

桜子があげたものだ。馬場にあげた方は、悪意に耐え切れず壊れてしまっていた。

もしかしたら、このお守りも少し関係しているのかもしれない。


「人って結果だったけど。検査だけで全部わかるなら、私たちも苦労しないしね」

「そうですよね」


桜子は違和感を覚えた。

だが、それが何かわからないまま、話は進んでいく。


「あなたと真逆の人間もいたわよ」

「ミナカさん」


悪意を弾く。反対は、悪意を引き付ける。

脳裏に浮かんが人影に、桜子はミナカをいさめた。

桜子にとってすみれより、触れてほしくない人物とも言えた。


「いいじゃない、どうせ知るんだし」


ミナカは桜子の言葉など気にした様子もなく、夏音を手招きする。

夏音は恐る恐るとワクワクが半々の足取りで近づいた。


「悪意を引き寄せる愛花とは真逆。でも、大空たちからすれば、どちらも同じようなものでしょうね」

「愛花さんって?」

「オネエの友達や……一緒にいて、事件に巻き込まれた」


夏音が息をのむ。

桜子は、一度自分の髪の毛をかき上げ、乱暴に掻いた。

酷い髪型になっているだろう。

苛立ちを吐き出すようにしてから、ミナカを見る。

そこまでわかっていたなが、なんで夏音を事件に関わらせるのか。


「大崎さんも狙われると?」

「はっきりとは言えないけど」


悪意を引き付けるにしても、弾くにしても貴重なものだ。悪意を操作する恐空たちにすれば、さらに手にしたい能力だ。

どうやって使うのかは考えたくないところだけれど。

ミナカは指を振る。紙が一枚、夏音のもとに滑っていた。


「物は使いようって言うじゃん」


夏音の手元に来た紙には、訓練許可証と書いてあった。

異能をコントロールするときに渡される用紙で、はがきサイズ。

これを見せると訓練室に入れるようになる。

夏音は紙とミナカ、桜子の顔を交互に見た。伺うような視線から逃げるように顔を逸らす。


「手伝っても、いいんですね?」

「そうだね。訓練はしたほうが良いだろうけど」


その訓練は、きっと自分が見ることになるのだろう。

そして、見ることしかできない自分だけでなくエリカも。

夏音が桜子の隣に来ると、そっと袖をつかむ。

桜子はまだ顔を反対側に向けていた。


「桜子ちゃん、いいかな?」

「……勝手にしい」


くいっと引っ張られて、観念する。

外堀がすべて埋められてしまった。

桜子にできることは文句を言うことくらいだった。

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