第8話

のぞみの事件は、あくまで不幸な事故として処理された。

上から落ちてきた工事現場の鉄骨が下で、たまたま話していた人物を直撃。

世間に流れている内容としてはそれだけだ。

だけれど、それは桜子にしてみれば、間違いではないが真実からは程遠いものだった。


「これは確実に、予想できてたんと違います?」


ミナカの執務室で机を囲むように立つ。桜子、夏音、エリカの順だ。

ミナカに詰め寄っているのは、桜子だけだった。

桜子は机の上に置かれた新聞をずいっとミナカの前に差し出す。


「はぁ、まぁ、そうだね」


ミナカはため息を吐く。

そうだね? ということ、やはり予想できていたのかーーならば、なぜ、助けなかったのか。

桜子は血が煮え立つような感覚を覚えた。

だが、そう思っているのは桜子だけのようで、エリカは髪の毛に指を絡めて見てさえいない。

夏音はバランスを見るように視線をキョロキョロ動かしていた。


「できてたか、できてないかで言われると……困っちゃうなぁ」

「どういうことなん?」


桜子は腕を組むとじっとミナカを見つめた。

ミナカは新聞の記事を指でとんとんと指してから、桜子にむかい挑発たっぷりの笑顔をくれる。


「だって、桜子も予想できてたでしょ」

「それは!」


点かれたくないところを言われた。

思わず声が大きくなる。だが、あとに続く言葉が出ず、尻すぼみになってしまう。

ミナカの視線が鋭くなる。


「それは?」

「……まさか、こうなるなんて」


にっとミナカが笑った。桜子は顎を引く。

痛い言葉が来る予感がした。


「いくら悪意が集まっても、工事中の足場を落とすほどだとは思わなかった?」


ミナカが椅子を回転させ桜子に背を向ける。するりと滑らかに立ち上がると、背の高さとバランスの良い肢体がわかる。

窓から差し込む光を背に、ミナカは顔だけ振り返った。

逆光で表情は見えない。


「おかしいでしょ。すみれなんて、ガス爆発だよ?」

「っ」


桜子こぶしを握り締め、唇を噛みしめる。力の入った拳が震えていた。

そう、すみれの事件で、悪意はガス爆発さえ引き起こしている。

あれも不自然な事故として処理されていた。

そこに入り込んできたのは、無関心そうだったエリカの声だ。


「桜子じゃ悪意の大きさは見えても、払えない。だから、わかってたとしても仕方のなかったことだと思うけど?」


エリカは壁から背を離し、桜子の隣まで歩いてくる。

表情は何一つ変えず、ミナカを見つめていた。


「それにここに書いてあるじゃない」


エリカの指が新聞の一部を指す。

”終業後も安全確認はしており、異常は見つからなかった。なぜ、ボトルが取れ鉄骨が落ちたかは捜査中”。

余りにも状況が不自然過ぎるため、事件の面も探っているらしい。

エリカが桜子をちらりと見た。


「そんな足場を落とせるのは、さすがに異常よ」

「うーん……エリカは気づくわけね」

「回数だけなら、桜子よりよほど行ってるもの」


桜子は信じられない気持ちでエリカとミナカを交互に見る。

エリカが異常と言った。それは悪意が関係しているとしても、おかしいという意味だ。

どうやらミナカに一杯食わされるところだったらしい。

桜子は顔を険しくした。


「つまり、ただの悪意やなかった?」

「そうね。こっちでも調べているところだけど……限りなく黒に近いグレーかな」


ミナカがいつも通り力の抜けた顔で笑う。

椅子に座り直し、正面を向くと手に顎を乗せた。


「ちょっと、大学でも調べてみて?」

「わかりました」


桜子はうげっと言いそうになったのを堪えた。

この騒ぎで一番賑わっているのは大学だろうに。

知らない人から情報を集めるのは苦手だった。しぶしぶ頷く。


「体調、大丈夫?」


ミナカのマンションから出ると、すでに日はとっぷりと暮れていた。

前を歩く夏音の背中に倒れた時の面影はない。

それでも、桜子の中には、まだ倒れた時の夏音がいた。


「もう平気。昔から血に弱くて……驚かせてごめんね」


あーと小さく声を漏らした後、夏音は両手を合わせ小さく頭を下げる。

血に弱い。桜子は頭の中で繰り返す。

さて、どうしようか。

倒れた人間に頼むのも気が引けるが、自分一人でできる気もしない。

特に大学での情報収集など。

桜子はため息を噛み殺した。


「申し訳ないんやけど、大学で話を聞くの手伝ってくれはる?」

「うん?」


夏音はきょとんと首を傾げる。

どこからか夏の終わりを告げるセミの鳴き声が聞こえてきていた。



夏音は講義室に入った。

人数の入りは半分とちょっとくらいだろうか。大分、長そでを着ている人間が増えてきていた。

そこかしこで、数人のグループができている。

夏音は何度か講義室を見回し、友人たちを探す。

「あ」と目が目があって、片手をあげる。小走りで近づいた。


「夏音、事故に巻き込まれたって聞いたよ。大丈夫?」


一斉に似たような言葉がかけられる。視線の圧力。

夏音は苦笑しながら、頬を掻く。

確かに夏音でさえ、これなのだから、桜子にとってはさらに苦痛だろう。


「ああ、ありがとう。たまたまその場にいただけなんだけどね」


たまたま。それほど怖い言葉もない。

夏音の答えに、話はすぐにのぞみのことへと移る。


「まさか、のぞみがねぇ」

「ほんと、ほんと。ずっと怖がってたもんね」

「あ、星見さん、のぞみが死ぬのを占ってたってほんと?」


あっちへ移り、こっちへ飛び火。

そんな風に進んでいた話が、いきなり核心に踏み込んでくる。

いや、占ってないけど。夏音は反射的に出しそうになった言葉を飲み込んだ。

大分話が大きくなっているようだ。


「いや、のぞみ、言い当てられたって」

「すごい顔で帰ってきてたからさ」

「きっと、このこと言われてたんだろうねって」


桜子の話が誤解されたまま広まっている。

夏音が周りを見渡せば、首を傾げてはいるものの、皆その話を信じているようだった。

お互いに頷いたり同意し合う友人たちに、夏音は慌ててパタパタ手を振って否定してみせる。


「えっと、のぞみちゃんはアドバイス貰ってたよ。でも不運が重なってたから、怖かったんだろうね」


うん、言ってて説得力がない。

夏音は、女の子同士の会話で、こういった話ほど流れやすいのを重々承知していた。

それでも、桜子が死ぬことを予想していたなどという不名誉なことは避けたい。

夏音の言葉に女の子たちは不思議そうに首を傾げる。


「えー、そうなの?」

「あのあとも、財布無くしたり、物なくなったって言ってたよね」

「ホストの噂もなかったっけ?」

「あー、あったかも」


悪意混じりの言葉がひゅんひゅんと飛び交っていく。もういない子だから、さらに遠慮がない。

パパ活にホストが重なってくると、事件性がぐんと上がってくる。

夏音は分からないように片眉をあげた。


「バーじゃない?」

「そうだっけ? とにかく凄い金額取られたって言ってたよね」


ふむ、パパ活以外にも色々あったようだ。

今更、聞けるわけもないのだけれど。もしかしたら、ああいう結果になっても仕方ない子なのかもしれない。

夏音は調子を合わせるように相槌をうった。


「え、こわーい。どこにあるのかな?」

「さぁ、確か、新宿のほうだったと思うけど」


新宿。

夏音でさえ飲み屋とイコールで結べる町。

夏音は頭の中に情報を刻み込む。それからにっこりと笑ってオチをつけた。


「新宿? じゃ、もともと行けるほどお金ないから大丈夫だ」

「もう、夏音、そういう問題じゃないでしょ」

「ホント、ホント」


どっと女の子たちの声のトーンが上がった。

夏音は「そうかなぁ」と返しながら頭を掻く。

有象無象の情報を集めていく。

桜子だったら、顔をしかめるんだろうなと思った。

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