第3話
桜子は窓の外に目を向けた。
絶え間なく人が流れていく。気温もだいぶ下がったからか、羽織物を着ている人が多い。
桜子自身もカーディガンを身に着けていた。
秋の雰囲気を感じつつ紅茶に口をつけようとティーカップを持ち上げる。
「はぁ? 守秘義務違反でしょ、それ」
桜子は手を止めた。
事情を話して、返ってきた言葉がこれだ。
見た目は見目麗しいフランス人形。出てくる言葉は凶器。
その2つを併せ持つのが東條エリカという人間だった。
麗しい花の顔に思い切り皺が寄っている。
桜子は途中まで上げたティーカップをもう一度ソーサーに戻した。
「わかっとるって」
「あなたって、たまにすごく迂闊よね」
ぐうの音も出ない。
いくら夏音が桜子にとって特殊な人間でも、世間一般で特殊なのは桜子の方だ。
夏音が口が軽いとは思えないが、迂闊には違いなかった。
それだけを言い放ってエリカは窓ガラスの方を向く。
その瞬間にテーブルの脇を通り過ぎるべき、若い男(恐らく大学生くらい)が足を止めた。
「女の子だけ? 良かったら」
ナンパだ。
あーあ、と桜子は内心で男に同情した。
エリカは顔を動かさず視線だけで男を見る。
「間に合ってるから結構よ。それに人を待ってるの」
最後までセリフを言い切ることもなく、エリカに撃退される。
さもあらん。
エリカは外見だけなら完璧な人間で、今すぐ画面の向こう側に行ってもおかしくない。
格好だって、薄い色のカラーシャツと流行のスカートを合わせた美しいもの。
誰だって声をかけたくなる。玉砕しかないとしても。
「誰を待ってるん?」
エリカを呼び出したのは桜子だ。
からかい半分に聞けば、鋭い視線が飛んできた。
「そんなの、テキトーよ。わざわざアタシを呼んだんだから、何かあるわよね?」
あまりに横暴過ぎる言葉に桜子はため息をつく。
当たらずも遠からず。
桜子は自分のスマートフォンを操作するとエリカに画面を向けた。
「いや、こんなメッセージが送られてきてなぁ」
桜子は両肩を上げてみせた。
画面には夏音から送られてきたメッセージ。
『人間の証明ってどうやるの?』
その一文が桜子を悩ませている。
メッセージを見ると、エリカは凝りをほぐすように額をグリグリと指で押していた。
エリカにとっても、それは同じようだ。
人間の証明。これが哲学的な話じゃないのだから困ってしまう。
しばらく話し出すまでにかかるだろう。
桜子はやっと、もう一度紅茶に手を伸ばすことができた。
「桜子もおかしいとは思ってたけど、この夏音だっけ? この子もおかしいわ」
「話してしまったんは、うちやし。実際、大崎さんは読めないから、調べさせてくれるのはええねんけど」
紅茶をふた口飲んだところで、エリカが顔を上げた。
出てきた結論は桜子と大差ない。
違いがあるとすれば、桜子はばらしてしまった当事者で、エリカはそれを知っただけの傍観者ということだ。
桜子の言葉に、エリカは片眉を上げた。
「桜子の能力が効かないって、よっぽどよね。天然受信器なのに」
天然受信機。
その言葉に桜子は苦笑した。
昔よりコントロールはできているが、それでも勝手に思念を拾うこともある。
「大分制御できるようにはなったんよ?」
エリカの視線が突き刺さり、桜子は身体を縮めた。
完璧主義なエリカにしてみれば、能力のコントロールも不安定な桜子は見ていられない存在だろう。
「上には伝わってるんでしょ?」
「そりゃな」
桜子は頷いた。
視線を切られ、エリカが再び窓の外を見る。
これは彼女の癖のようなもので、気に食わないことがあるとき。
大方、今回は桜子の適当ぶりだろう。
桜子もエリカに合わせるように窓の外へ視線を向ける。
秋雨だろうか。
少しずつ灰色の雲が近づいてきていた。
「流石に、人外の可能性がある人を未報告にはできんやろ」
「楽しみだわ」
エリカの口角がうっすらと上がるのを桜子は見ていた。
「夏音は普段何してるの?」
夏音が店に来た時には雨は本降りになっていた。
3人で傘をさして店を出る。
夏音と桜子が一緒の傘。エリカが一人で綺麗な青い傘をさしている。
桜子の能力が効かないという存在に、エリカは矢継ぎ早に質問をしている。
聞かなくても読める桜子にとって、こういったコミュニケーションは苦手な分野だった。
「大学とバイトだけだよ。自分で生活費稼いでるから」
だが夏音もコミュニケーションは得意なようで、エリカからの質問にリズムよく答えている。
バイトに忙しいのは見てわかったが、自分で生活費を稼いでるのは初耳だった。
目を瞬かせたエリカが質問を重ねる。
「あら、苦学生って奴?」
夏音はエリカからの問いかけに首を小さく傾げた。
否定も肯定もしないグレー。
「んー、施設育ちだからね。学費分くらいは残してくれたんだけど」
「ごめんなさい。聞きすぎたわね」
一瞬でエリカの顔色に影が落ちる。
口調は強めだが、エリカ自身は優しい性格なのだ。
夏音は顔の前で手を振ると大きく口を開けて笑って見せた。
「えー、気にしないで。大学には入れたし。バイトも楽しいから」
二人の会話を聞きながら、黙々と足を進める。
桜子より夏音のほうが背が高いので、傘を持つ役割は自然と夏音になった。
コミュニケーションの取れない桜子は、目的地へ案内することに徹しよう。
「ここが目的地やで」
言いながら桜子はインターホンを押す。
「え、ここ?」と夏音は上を見上げた。
最上階が見えないくらいの高層マンション。
夏音の反応に、わかるわぁ。と桜子は心の中で頷く。
「んー、タワマンだねぇ」
ポロリと夏音がこぼした言葉に、エリカはいたずらが成功した子供のように笑った。
開いた扉にエリカが迷いなく一歩踏み出す。
そう、タワマン。
人間の証明をするなどという怪しい組織とは正反対の場所だろう。
「廃墟にでも連れて行かれると思った?」
「そんな感じ……?」
「そういうのだと、余りにもそういう組織っぽすぎるやん」
閉じた傘を受け取りながら、桜子も中に入る。
目的地は中層階。
地味すぎず、高すぎずが良いらしい。
もっともこんなところに居を構える人の気持ちなど、桜子には最初からわからないのだが。
「それにしても、なんで調べて欲しいって思ったん?」
エレベーターには誰もいない。
機械の稼働音だけが響いている。見えないだけで、どんどん地上から遠ざかっていると思うと不思議だった。
光が素早く数字を駆け上っていく。
桜子の質問に夏音はわずかに口を動かした。
「あー……」と少しの間があって、夏音は答えた。
「いや、私の家も不運が多いから、何か関係してるのかなって?」
思わず、桜子は夏音を振り返った。
普通ならば人はそれを話している時の感情が如実に出る。
原因だったり、心当たりだったり。それか、本当に知らないか。
桜子は見るだけで、わかった。
だが、やはり、夏音の周りには何も見えない。
「両親も事故死だし、親戚もいないんだよね」
だから、施設暮らしだったのか。
先程の話が繋がり、桜子はなんと言っていいか分からなくなる。
原因のある不幸はある。のぞみのように悪意を集めた場合だ。
もっと面倒なのは、夏音に原因がない場合。
桜子はぐっと唇を引き結んだ。
「……そりゃ、怖いなぁ」
夏音に原因がないとしたら、考えられることはふたつ。
誰かに不幸にさせられているか。夏音の家、もっと言えば血筋に理由があるか。
どちらにしろ、のぞみのように、すぐ解決できる話ではない。
「でしょ?」
軽く頷く夏音を見ながら、桜子の胸に苦さがこみ上げる。
誰かに不幸にさせられた。
その直近の例は、桜子の姉に他ならなかった。
エレベーターで上昇しているはずなのに、自分だけ下に落ちているようだ。
堪えるように桜子は拳を握った。
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