エピローグでプロローグ

36.わたくしには思われます

 特異災害とくいさいがいの始まりの地だった井之森市いのもりしは、それ以後も国の調査機関や、民間の研究者が、復興活動の合い間に勤勉きんべんな姿を見せていた。


 損害の規模は、世界的に見ても間違いなく最大だったが、全地球レベルで天変地異が多発したことから、相対的に目立たなかった。


 どこもかしこも同じ状況なので、市内すべてを対象とした立入禁止指定も、なあなあになっていた。


 政府と自衛隊、警察と消防隊、救急隊、どこからどこまでが被災者か支援者なのかわからない献身的なボランティア団体に、超法規的な現場主義による在日米軍の協力も加わって、どこで誰をたすけてもお互いさま、という連帯感が広がっていた。


 誰もが奇跡的な生存者であり、社会を動かす当事者であり、世界を継続させる責任者だった。


 いつかと同じ、隣接市りんせつしの総合病院の中庭で、ゆうが壁にもたれていた。立体迷路のように設置されていたコンテナ倉庫の山は、地震で一方向に押しやられて、本当に山になっていた。


 ゆうかたわらに、志津花しづかたたずんでいた。こよみの季節は真夏まなつに入り、の光も明るいが、地軸がぶれたことと大気の循環が乱れたことで、暑さは控えめだった。


「ねえ、志津花しづかさん……どうしてかな」


 ゆうが、つぶやいた。


ゆいちゃんが……俺に、神さまにいたかったって、言ってたんだ。そんなこと考えないで、もっと早く本気で襲ってきたら……向こうが勝ってたかも知れないよね。俺も、始めの頃は全然、上手うまく戦えなかったしさ」


 時の因果律いんがりつを集約したのは神だとしても、特性体とくせいたいとしてのゆいの行動は、ゆいの意思だったはずだ。結果的に、段階を踏んでゆうを戦いへといざなったゆいは、不合理だった。


「どうして、あんな……まるで、自分から……」


 ゆうは、見るともなしに中庭の奥を見た。病院からの出入り口の近くに、幹仙みきひさ葉奈子はなこ暁斗あきと桃花ももかがいた。


 幹仙みきひさ葉奈子はなこは、もうすぐ退院できると言っていた。もっとひどい重症者があふれて、押し出された感もあったが、まあ、葉奈子はなこだけでなく幹仙みきひさも、歩行杖ほこうづえで歩けるまでに回復していた。


 相変わらず、人懐ひとなつっこいと馴れ馴れしいの境界線で友人顔する暁斗あきとと、可愛らしい高低差から可愛らしくない罵倒ばとう暁斗あきとへつっこむ桃花ももかに、幹仙みきひさ葉奈子はなこも困惑していた。


 同類を、同類でないような他人顔で見ながら、志津花しづかが少し考える。


「その答えは……ゆうさま。ゆうさま御自身ごじしんが、最初に出されております」


「俺が?」


ゆうさまは、わたくしにおっしゃいました。もう他に好きな人がいる、と」


「い、言ったっけ? そんな、ストレートに恥ずかしいこと」


「一言一句を整えれば、ごめんなさい、俺、もう他に好きな人がいるんです、とおっしゃいました」


下手へたにはぐらかそうとして、すいませんでした!」


 折られた話の腰も正面突破した志津花しづかが、ふん、と鼻息を荒ぶらせる。


「わたくしは言いました。そんな肉欲混じりの雑念ざつねんは捨ててください、と」


「……わからないよ。どういうことかな?」


雌雄しゆうによる生殖は、本質的に、生命活動の一項目にすぎません。呼吸、摂食せっしょく排泄はいせつ、休眠、それらの一つというだけです」


 志津花しづかが今度は、指をそろえて、うやうやしくゆうに一礼した。


「たかが知れたそんなものに、肉欲、雑念ざつねん、心、好き、嫌い、恋、愛……無数に細分化され、かつ密接に相互干渉そうごかんしょうし合う情動じょうどうを、くなき進化の上に積み重ね続ける。およそ全宇宙の、すべての有機生命体を見渡しても、地球人類が随一ずいいつ獲得かくとくしている特性でしょう」


「進化の、特性……地球人類の……?」


「彼らはまさに、彼らの進化の終着点で、競合種たる地球人類の存在価値を理解した……みずからが到達した物質的生存の究極、その先の先、高次元の汎宇宙存在はんうちゅうそんざいたる神へと続く、精神生命進化のさらなる先を認識した」


 志津花しづかの言葉で、ゆうは自分の胸へてのひらを当てた。その中の心へ、耳をかたむけた。


 信じる人の心、精神が神の形を構築するのなら、宇宙ができた時からずっとる神も、精神の進化の先がつながっている。時間を超えた生命進化の輪、それを摂理せつりとするのなら、この心も、おもいが構築するゆいの形も、いつか神のところへつなげられるだろう。


「彼らにとって、おそらくは、神と地球人類は同義。ゆいさまの、最後の言葉の一刃いちじん……あれをゆうさまにのこすこと、それこそが本懐ほんかいであったと、わたくしには思われます」


 声は、祈りに似ていた。同じ響きが、ゆうの声にも乗っていた。


「うん……俺も、そう思いたいな。ありがとう、志津花しづかさ……」


「ちょっと違ーう! そんなんじゃ、綺麗きれいにまとめすぎだよ! 照れちゃうなあ、もー!」


 響きも空気も唐突とうとつに変える、物怖ものおじしない声が、割って入ってきた。


 ゆうはもちろん、さすがの志津花しづかも、目を丸くして一呼吸、見合わせる。そして総合病院の外来側から中庭へ入ってくる方向、誰もいなかったはずのコンテナ倉庫の山の上へ、身体ごと視線を向けた。


 危うげに重なる山の頂上へ腰かけて、紺色こんいろブレザーにベージュのニットベストと、グレーのタータンチェックスカートの女子が、健康的な肌色のあしをぶらぶらさせていた。栗色くりいろのショートに、リボンタイを外したシャツの胸元がすずしげだ。


「え……え? ええ、と……?」


 ゆう呆然ぼうぜんと、語彙ごいを貧しくする。


 ゆう志津花しづかを見降ろして、ゆいの、はっきりした綺麗きれいめの顔立ちが、小動物みたいにくるくると表情豊かに動いていた。


ゆうくん、まだまだ女の子に夢を見てるねー。志津花しづかお姉さんのまし顔に、丸め込まれちゃってるよ?」


 悪戯いたずらっぽい瞳に、少しだけ、無機質なあかみがかっていた。

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