18.もちろん!

 ゆうと触れ合った肩に、少し、ゆいが重さを乗せた。非常階段に並んで、手すりにひじをついて、視線は海を向いたままだった。


「あたしが、世界中のみんなに嫌われて、仲間はずれにされちゃっても……ゆうくんはあたしのこと、嫌わないでいてくれる?」


「え……?」


「もしも、だよ。そういう風に考えること、たまにあるんだよね」


 ゆうは、戸惑とまどった。ゆいには似つかわしくない、正直に言えば、無用の心配に思えた。危うく冗談を聞いたみたいに、笑って返すところだった。


 ゆいはクラスでも目立つ存在だから、たとえば一部の女子なんかに、苦手意識を持たれるくらいはあるだろう。だけどそれは、プラスの大きさの反作用だ。元のプラスを超えて、支配的になるマイナスではない。


 まして、プラスにきつけられてばかりのゆうには、思考の外だ。それでもゆいゆいなりの、真剣な横顔をしているようだった。


「どう、かな……? 他のみんなじゃなくて……あたし一人を、ゆうくんなら、選んでくれるかな……」


「もちろん!」


 さすがのゆうも、即答した。気味ぎみで、明確すぎた。それが逆に、軽く聞こえたのか、ゆいがちょっとくちびるをとがらせて、じとりと細い目でゆうを見る。


 意図いとがわからなくても、もう、あれこれ考えをはさんでいるシチュエーションではない。ゆうは手すりから離れて、ゆいの横顔に正対した。


「俺は、その……こんな勢いで言っちゃうのも、なんだけど……」


 勢いだろうと流れだろうと、ここで他の行動をするようでは、男子をやっていられない。いや、男子だろうと女子だろうと、恋愛をやっていられない。


 ゆうゆうなりの、真剣な顔をゆいに向けた。


「俺は、ゆいちゃんが」


うそつき」


 ゆうの言葉をさえぎって、ゆいが左手の人差し指を、ゆうに突きつけた。


 笑っていた。


 ゆいゆうを、正面に見た。身体を手すりに寄りかからせたまま、小首をかしげるように、顔をゆうに向けていた。


 笑っているように見えた。


ゆうくんは、そんなに弱くないよ。ちゃんと、みんなを守ってくれる……強くて、カッコいいヒーローだよ」


「そ、そう……かな?」


 ゆうは、また戸惑とまどった。ゆいの言っていることもよくわからなかったが、ゆいの顔も、よくわからなかった。笑っているように見えて、泣いているようにも見えた。


「ほんと、ムカつく……言われた通り。ポヤっとしてて、わかりやすくて。怖がりのくせに、いざとなったら、ちゃんとがんばってくれる……やさしいうそつき。そんなゆうくんだから……あたしも……」


 ゆいが、手すりに背中をあずけて、空をあおいだ。


 初夏を感じる青空の、太陽の明るさが、ゆうの目からゆいの表情を隠した。一呼吸して戻ってきたゆいの視線は、いつものようにれとしていた。


「ねえ! 見てよ、ゆうくん」


 ゆいが、くつとソックスを脱いだ。裸足はだしの指先でるように、右脚みぎあしゆうに伸ばす。短く上げたグレーのタータンチェックのスカートが、太ももで、少しめくれた。


「自分で言っちゃうのもなんだけど、プリプリでムッチムチだよ! ほら、乙女おとめたしなみ、UVケアも産毛対策うぶげたいさくもバッチリ!」


 自信ありげなだけあって、ゆいの伸ばしたあしは、健康的なつやがあった。肌の色の薄さに、ほのかな赤みが浮かぶ、豊かでなめらかな曲線だ。表面積の七割くらいは、制服姿でも目にしていたはずだったが、そんな情報整理の追いつく余裕は、ゆうになかった。


「え? あ、うん? き、きれい……だね」


「いい? いっくよー」


 悪戯いたずらっぽく、ゆいがかけ声を上げた。


 あしの、肌の色が変化した。血の赤みが消えて、はがねにも似た暗さにかげる。水晶を積層せきそうしたような、透明が深く沈んだ、鉱物粒子こうぶつりゅうしの輝きににごる。


 金属質きんぞくしつあるいは鉱物質こうぶつしつ剛性体組成ごうせいたいそせいが分割し、関節構造と、連動する表層外殻ひょうそうがいかく接合せつごう隙間すきまを、樹脂質じゅししつ軟性体組織なんせいたいそしき融着ゆうちゃくする。


 変化は右脚みぎあしから、左脚ひだりあしにも伝播でんぱんしていった。


「水素と炭素の素粒子そりゅうしをちょっといじって、別の種類の原子核に置換変性ちかんへんせいしたの。あ、放射線はもらしてないから、大丈夫だよ! 骨と表層外殻ひょうそうがいかく鉱物質こうぶつしつ剛性ごうせいを持たせて、関節と筋肉は金属質きんぞくしつ複合繊維状ふくごうせんいじょうで、電気で伸縮しんしゅくさせてるんだ」


 ゆいが、ゆうに向けて伸ばしていた右脚みぎあしを、ゆっくり降ろす。スカートの乱れを、丁寧ていねいに整える。


「お肌は、さ。全部を珪素化合物シリコーンみたいな、高分子結合の樹脂質じゅししつにするのもいいかな、なんて思ってたんだけど……やっぱり頑丈がんじょうな、実用性を優先したんだ。あたし、ほら、そーいうところ意識高いから」


 照れ隠しのように笑うゆいを、ゆうは、呆然と見ていた。


 また、情報整理の追いつく余裕がなかった。


「ゆ……ゆい、ちゃん……?」


「うん。ゆいちゃんだよ」


 ゆいの笑顔の、ひとみ虹彩こうさいも、同じ鉱物粒子こうぶつりゅうしの輝きを放っていた。


「ずーっと昔にね。宇宙の遠くから、石みたいな、あたしたちの結晶単子けっしょうたんしが地球にきたんだよ。それが海の中から、植物とか動物を媒介ばいかいして、増殖して土壌どじょうにも広がって。覚えてないけど、きっと大変だったなー。苦労したなー。で、十年ちょっと前に、川辺かわべで遊んでた女の子が、転んで手のひらに怪我けがしちゃってさ」


 ゆいが右の手のひらを広げて、自分でのぞき込む。


「まあ、たいした怪我けがじゃなかったし、すぐになおったんだけどね。この辺だったかな」


 左手の人差し指で、右の手のひらの、まん中くらいを横になぞった。


 ゆうの目が、やっと少し動いて、まばたきをした。それでもまだ、自分の見ていることが、起きていることが、正確に理解できていなかった。

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