17.校庭からも見えたよ

 県立けんりつ井之森いのもり第一高等学校だいいちこうとうがっこうは、太平洋の青い海岸線と、ぎりぎり関東の山並みをのぞむ地方工業都市、井之森市いのもりしの、海沿いの景観が美しい大通りに面していた。


 太陽の明るい南側を向けば、東側の海から、西側の山まで見渡せる。ゆうは、少し意識的に、海と水平線をながめていた。


 校庭の野営テント、破壊された街、なんとか破壊をまぬがれた駅、海と空との境界線、その向こう側を見ていた。


 人がいて、国があって、世界が背中の方までつながっている。確かに、成層圏に飛んだ時、地球は丸い曲率きょくりつを宇宙空間に描いていた。


 ゆうは、非常階段の手すりにひじをついていた。


 校舎の横に張り出した非常階段だ。屋根はあるが壁がなく、手すり自体がセメント製で隙間すきまのない、低い壁のようになっている。外観も綺麗きれいに塗られて、校舎の一部に見える。


 屋上は基本的に立ち入り禁止なので、今日のようにあたたかく晴れた日は、この非常階段で息抜きをする生徒も多かった。普通に授業をしていれば、一年生の教室が三階、二年生が二階、三年生が一階で、最初に最上部を縄張なわばりにできるのもありがたかった。


 梅雨つゆに入る前の、初夏を感じる午後の風が、肌を軽くなでていた。


「お腹、すいたな……カレー、もらっておけばよかったな」


 くる途中の駅カフェで買った、ホワイトチョコストロベリーラテを飲み終わって、ゆうはぼやいた。


 どうぞ、と自衛隊の人たちに笑顔で言われたけれど、ゆうは被災者でも避難してもいないし、ボランティア作業すらしていない。もらっていい理由がない。それは正しかったが、そんな正義と正当性は十六歳の健康な空腹に、もう溶けかけていた。


 だから、非常階段を登ってくる足音に、気がつかなかった。


「あ、やっぱりゆうくんだった。校庭からも見えたよ。なんか青春っぽい感じの、カッコつけ男子が、さ」


 ゆうが振り向くと、すぐ下のおどに、悪戯いたずらっぽい笑顔のゆいが立っていた。


 ショートカットの栗色くりいろの髪と、リボンタイを外したシャツの胸元が、陽射ひざしに汗ばんでいた。制服の、短く上げたグレーのタータンチェックのスカートに通学バッグを背負って、シャツのそでをまくっている。紺色こんいろブレザーとベージュのニットベストは、着ていなかった。


ゆいちゃん……? ゆいちゃんも、なんとなくきちゃったの?」


、じゃないよ。ゆうくん、またグループメッセージ、見てなかったね? あたしは、ほら、着替えもジャージも持ってきてるよ!」


 ゆいが、背中の通学バッグを降ろして開く。台詞せりふの通り、中に学校指定のジャージと、私服のTシャツっぽいがらが、きちんとたたまれて入っている。途中で脱いだのか、ニットベストらしいベージュ色だけが、適当に丸まっていた。


 つい、観察してしまってから、ゆうが慌てて目をらす。


「う、うん。ごめん。携帯けいたい、また見忘れて……あれ? でも、じゃあゆいちゃんは、なんでこんな時間に?」


「んん! ゆうくんのくせに鋭い? すいません、本当は、しらバックレようとしてましたー!」


 ゆうの横に並んで、ゆいが非常階段の手すりに、ふくらんだほおを乗せた。


「だって、入学して一ヶ月のクラスで、早速さっそくの同調圧力もないじゃんさー! 御山ミャーちゃんと凡河内ボンカワくんは、まあ、らしいっちゃ、らしいけど」


「あはは! 幹仙みきひさは、ああ見えて気遣きづかいが細かいから。御山みやまさんも幹仙みきひさアピールだって、すぐとなりでいつもみたいに、元気にこぼしてたよ」


 ゆいにつられて、ゆうも明るい調子になる。


ゆいちゃんは、ちょっと意外かな。クラスのみんなと、すごく仲良くしてたし」


「一緒にいるから仲良くするのと、一緒にいたくて仲良くするのは、区別してるよ。あ……失敗。もしかして今、感じ悪かった?」


「え? いや、感じ悪いなんてことは、全然……」


「ちなみにゆうくんは、校庭から見えて、そうじゃないかと思って非常階段を登ってくるぐらいには、一緒にいたくて仲良くしようと思ってるよ。どう? 感じ良くなった?」


「ええ……?」


 ゆうが、明るい調子を通り越して、プラス方向のパニックになる。


 なんだろう。ここで気味ぎみじゃない、それでいて不足もしない、なんなら自然に一枚重ねるような好意を伝えなければいけない。ような気がする。


 脳内でハードルを上げているひまがあったら、鸚鵡返おうむがえしでさらっと言えばいいように自分でも思うけれど、人生ままならない。


 顔が赤くなっているのは、はっきりわかるから、せめてそれで気持ちだけは伝わりますようにと、神頼かみだのみする。神が自分かどうかは、この際、たなに置いておく。


 あわあわとするゆうから、ゆいが、笑いながら視線を外した。さっきまでのゆうのように、手すりにひじをついて海を見る。


「でも……結局、きちゃった。恥ずかしいんだけどさ。家にいるより、今まで普通にやってたこと、行ってたところ……そういうのが、まだ少し、欠片かけらでも残ってるんじゃないか、って……確認したかったんだ」


 ゆいの言葉が、いつかと同じく、ゆうの心に重なった。


 鼓動こどうがあたたかさの種類を変えて、ゆっくりと広がった。自然と、うように水平線をながめて、肩が触れた。


「そうだね……。俺も、そんな気持ちだった。なんかモヤモヤして学校まできたけど、ありがとう。いろいろすっきりした、かな」


「んー? なに、志津花しづかお姉さんとケンカでもしたの?」


「そうじゃないけど、あの勢いについていけない時、たまにある」


「あはははは! 言い方、ひどーい! ちゃんと仲直りしてよね? あたし、志津花しづかお姉さんとも、仲良くしたいって思ってるんだからさ」


 ゆいが笑った。


 笑いながら、目をせた。


「まあ、志津花しづかお姉さんの方は、そう思ってないかもだけど」


「そんなわけないでしょ。顔は、そりゃ確かに、むっつりしてるけど」


 ゆうも笑った。


 けれど今度は、ゆいが笑わなかった。せた目で、なにを見るともなく、つぶやいた。


「ねえ、ゆうくん。もし……もしも、だよ?」


 触れ合った肩に、少し、ゆいの重さが乗った。

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