15.よいお考えです

 ゆうは飲み終わったティーカップを、キッチンで軽く洗った。


 ダイニングの床に三つ指をついて、かしずいている志津花しづかを放置したままだ。考えがまとまらなかった。志津花しづかも、言うべきことは言った、とばかりにすずしい顔だ。


 有機生命体を滅ぼそうとし始めた無機生命体、その無機生命体を絶滅させて進化するはずの有機生命体、宇宙の爆発的感染拡大パンデミックの軌道修正、容量キャパオーバーもここまでくれば、すん、と気持ちが引く。


 そんな話をされても困る。ゆうにしてみれば、まず、そういう感覚だった。


 足が玄関げんかんに向いた。


「神さま、どちらへ」


「ちょっと……散歩にでも、行ってきます。ほら、いい天気ですし、ひまですし」


「よいお考えです」


「一人で」


 立ち上がった時には、もうゆうと同じ高校の女子の制服、紺色こんいろブレザーにリボンタイと、グレーのタータンチェックスカートに黒いタイツをいた姿になっていた志津花しづかの、出鼻をくじく。


「知ってましたか? 俺、志津花しづかさんがくるまでは、一人っ子だったんです。大丈夫ですよ」


 言い捨てて、逃げるように外へ出る。志津花しづかの顔を見るのも気まずかったし、こんな態度をする自分にも嫌気いやけがした。


 分譲ぶんじょうマンションのエレベーターを降りて、エントランスを抜けて、明るい真昼の青空を見た。少し、息が楽になった。


 財布も電車の定期券も、家のかぎもポケットに入っている。親が共働きの子供の、自然習得スキルだ。ゆうは、一ヶ月でもう使い慣れた高校の通学路を、駅の方へ歩いた。


 歩道に人も、車道に車も、ほとんどなかった。ひとごとを、意識的に声にした。


「ウィルスで進化って……まあ、アニメとか漫画なら、あったような気もする、かな」


 青空のの光に、小さな、見えるはずのない粒子りゅうしが輝いていた。


 怪物を倒した時に崩壊、拡散した、機能を喪失そうしつしている無機生命体の構成粒子こうせいりゅうしだ。サーガンディオンになって戦ったことは、現実だ。神としての自覚はなくても、ゆうの知覚、認識は、もう普通の人間だった頃とは違っている。


 粒子りゅうしは空だけでなく、海にも、街にも、山麓さんろくにも、ほんの少しずつ拡散している。弱毒化したウィルス、ワクチンのように、これから長い時間をかけて微生物びせいぶつから虫、動植物、人間に広がって、有機生命体の抗体進化こうたいしんかとやらをうながしていくのだろう。


「新型コロナが、生物兵器の流出ってうわさもあったっけ……歴史でやってたペストとか、毎年のインフルエンザとか、ワクチンでなんとかしてきたイメージだけど」


 ついでに、地球に攻めてきたタコ型の火星人が風邪かぜをひいて全滅した、という映画ネタを思い出す。直接にたわけじゃなくて、関係ない漫画で笑い話にしていたのを読んだ、いいかげんな知識だ。


「ウィルスで病気になって、ワクチンで治して、予防して……俺たちの身体も、その度に少しずつ、変わっていったりしてるのかな」


 考えても仕方のないことを考えながら、駅に着いた。


 十五分ほど待って、ちょうど次の、高校の最寄もよえきまる電車に乗れた。特異災害とくいさいがいの対策指定地域で、外来がいらいの人間による混乱を防ぐため、朝昼晩あさひるばんの三回だけに停車本数を制限されているから、運がよかった。


 ゆうは降りた駅で、頼もしく営業していた駅カフェの、ホワイトチョコストロベリーラテをアイスで買って、高校に向かう。瓦礫がれきになったビルや、ひび割れと穴だらけのアスファルトが、あちこちで目についた。


 被災者の避難所になっている高校は、今日は、学校指定のジャージ姿をした生徒たちが、意外に多かった。


 掃除をしたり、段ボール箱を運んだり、お年寄りを案内したり、みんなで働いている。思わず、ぼけっと見ていると、後ろから頭を小突こづかれた。のっぽのジャージ姿にみどりがかった無造作ヘアと、相変わらず眠そうな雰囲気だ。


「ええと……幹仙みきひさまで、なにやってんの?」


ゆう、またグループメッセージ、読んでない。臨時休校と連休の間、学校がボランティア募集してるんだよ」


「そんな真面目まじめだったっけ?」


「別に。家にいてもすることないし、電車の定期券だって、使わないと損だしさ」


「そうそう! あたしは正直、幹仙みきひさくんに会うのが目当てなんだけど」


 幹仙みきひさの後ろから、ひっつめにした茶髪セミロングがのぞく。


「グループメッセージで、あたしも俺もって言い始めてたら、なんか黙ってるのも感じ悪いじゃない? まあ、幹仙みきひさくんも言ってくれたから、ここはイイところアピールで割り切ろうと思って、さ」


「うん、いつも通りだね、御山みやまさん」


 肩をすくめたゆうに、葉奈子はなこが、にやりと悪い顔になる。


ゆい加々実かがみくんも黙ってて、実際、二人ともいないし。もしかしたらデートかも、って言いふらしてたのに、一緒じゃないの?」


「え? ちょっと! なにしてくれてんの、御山みやまさんっ?」


「じょーだーん! びっくりした? あ、でもゆいがいないのは本当だから、そこは残念だったね、加々実かがみくん!」


「いや、もう、後ろ半分が冗談だっただけで、だいぶ残念じゃなくなったよ……ありがとう? なのかな?」


外堀そとぼりめたくなったら言ってね、あたしも頼むから。その時は、上手うまくやってよね!」


「がんばれ、ゆう……」


「そこはお互いに、だと思うよ、幹仙みきひさ……」


 顔を見合わせて、苦笑する。それから幹仙みきひさ葉奈子はなこは、ボランティアの作業に戻っていった。分担ぶんたんは集合時間にいた人数で決めたらしく、今さら制服でのこのこ出てきたゆうには、とりあえずやることがなかった。


 生徒が多い校舎の近くは、申しわけなかったので、校庭の方へうろついた。今は、自衛隊の災害即応部隊の野営テントが敷設ふせつされていて、こっちもこっちで忙しそうだった。


 怪我けがをした被災者が診察を受けていたり、食材を運び込んだりする業者の人もいたから、おかしな目で見られることはなかったが、やっぱり少し、いたたまれない。


 ゆうは、校庭の裏へ行こうとした。その時、目の前のテントから若い自衛官が出てきて、ゆうに笑いかけた。


「この学校の生徒さんですね? ちょうど、温かい昼食ができたところです。すぐに配給の準備をしますので、校舎にいる皆さまにも伝えてくだされば、助かります」


 自衛官の出てきたテントから、ほどよく香辛料の効いた、美味おいしそうなカレーの匂いがただよってきていた。

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