14.違うでしょ

 半分ほど中身の残っているペットボトルを、ゆいが、歩きながら投げ上げた。


 ゆるやかに回転する質量が、歩く方向の初期速度を加味した放物線運動をする。風力、気圧は、他のパラメータに対して充分に小さい。シンプルな演算だ。


 宇宙の彼方かなたから広域温度帯超伝導こういきおんどたいちょうでんどう次元縦波干渉じげんたてなみかんしょうによる、超空間並列共有知能ちょうくうかんへいれつきょうゆうちのうが、予測軌道を無駄に精密解析する。


 特異災害とくいさいがいのせいで、平日の昼でも、車の通りは多くない。ゆいは目を閉じて、歩道から車道におどけるようなステップではみ出して、共有した予測軌道で落ちて来るペットボトルをキャッチした。


「あ。しばらく開けられなくなっちゃった」


『そこまで知らないよ、もう』


「すっごいかしこゆいちゃんさまでしょ。なんだっけ? ゆっくり転がすとか、指で叩くとか」


摂取せっしゅカロリー的には、しばらく開けないのが正解でーす』


「うわ、正論で人を殴るヤツ! 受けて立つよ? あのね、有機生命体の身体には、高カロリーの物を優先的に食べる本能があるの! 摂取せっしゅカロリーが消費カロリーを常態的じょうたいてきに上回るなんて、現代でも平和で恵まれた一部の特例なんだから、食べられる時に食べられるだけ食べるのが進化的には正解なの!」


つみの味はどこ行ったのさ?』


 秒で論破してから、声が、なだめるように笑う。


『まあ、確かに本能って、上手うまくできてるよね。インテリジェント・デザイナー、なんて言い方もあるけどさ』


「頭のいいイケメン?」


『デザイナーがみんなイケメンか、ってのは、議論が荒れるよー? 知性ある創造設計者、つまり神さまのこと』


 神という単語は、科学的ではない。だが、ミクロな量子力学からマクロな宇宙物理学や数学次元まで、なんとなくたまたま自然にできあがった、で納得するのも科学的ではない。


 万物は、なにかわからないけれどとにかくすごいなにか、知性ある創造設計者が作ったとする科学的な説明が、インテリジェント・デザイン論だ。


 正しくは、この科学的な宗教の科学的な信者がインテリジェント・デザイナーと呼ばれるが、ゆいも声も、そんなことに言及するほど科学的ではなかった。


 声が、少し憤慨ふんがいした調子を出す。


『イケメンデザイナーでも、神さまでも、どっちにしたってひどいよねー。あたしたちだって、ここまでがんばって進化したのに、それが最初からドンまりに決まってた、なんてさ。愛されてないよねー!』


「だからさ、こっちも、もう勝手にやってやるんだってば! 他の生物みんな殺しちゃえば、この宇宙にあたしたちだけ! あたしたちだけの宇宙!」


 ゆいも、またペットボトルを振り回す。中身に、細かい発泡はっぽうが充満しては、はじけて消えて黒に戻る。


「あたしたち強いんだから、神さまなんてらないよ。強ければ、なにしたっていいんだから。弱い方が死ぬの、普通なんだから」


『それって、怒ってるよね……理不尽だって、悲しいって、感じてるんだよね』


「当たり前じゃん! 悪いの?」


『すっごくいい。大好き』


 声が穏やかに、ささやいた。


『感情ってさ、個体が死ぬから、あるんだよ。怒るとか、悲しいとか、好きとか嫌いとか……殺してやるーとか、愛してる、エッチなことしたーい、だって全部、一つ一つが死んじゃうからるんだよ』


 ゆいが黙り込む。


 感情は、死の回避を起点にする。生殖による変化と多様性も、しゅの視点のマクロな死の回避であり、飽和ほうわ停滞ていたいによる破綻はたんを防いでシステムを維持するために、個の視点のミクロな死が機能する。


 有機生命体は、個体の死を機能として選択することで、結果的に感情が派生はせいした。声の、シンプルな演算に、ゆいが言葉を探しあぐねた。


『あたしたち、そういうの全然なかった。らなかったんだよ。みんな同じで、増えるけどそれだけで、変わらなくて……壊れてもどっかの欠片かけらでさ』


「そんなの……もう、違うでしょ」


『うん。有機生命体に混ざった、あなたが感じて、あたしたちに教えてくれたんだよ。だから、大好き』


 声は明確で、まっすぐだった。


 無機生命体の超空間並列共有知能ちょうくうかんへいれつきょうゆうちのうが、齟齬そごをはさんだ一部を他者として、会話し、感情を向けていた。


 ゆいが、くちびるみしめた。声は、それも感じているようだった。


『神さまは、きっと正しくて、決めた通りに絶滅させられたって、あたしたちはなにも感じない。そのはずだったんだけど……今は、あなたがそっち側にいてくれるおかげで、ひどいとか、愛されてないとか理不尽とか、すっごい感じてる! もう勝手にやってやるーって、一緒にキレてる! おもしろいよね!』


「じゃあ、わかってよ!!」


 ゆいが立ち止まって、叫んだ。他に誰もいない、明るい真昼の車道で、青空からそむけるように顔を伏せた。


「あたしだって大好き! あんたから……あんたたちから生まれたこと、後悔してない! 勝手に考えたつもりになって、見ないふりしないでよ! あんただって、一緒に、って……今、言ったじゃん!」


『……』


「……」


 一人ではない無言が、交差する。ゆいが、顔を伏せたまま、ペットボトルを逆さまにしてふたをひねった。


 軽い破裂音と黒い発泡はっぽうが飛び散って、流れ落ちて、アスファルトを小さくらす。ゆいの制服のニットベストも、少し汚れた。


「最後まで……やめないよ。悪いのは神さまなんだから! あたしは、あたし! あんたたちのリーダーさま! あんたこそ、あたしをゆいちゃんさまって呼んでよね!」


『……いーね、それ。すっごいえらそう』


 ゆいの宣言に、呼吸二つ分のを置いてから、声が、くすぐったそうにゆれた。

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