8.俺にできることがあるのなら

 今度の怪物は、海に現れた昨日の怪物より大きく、形状も違っていた。


 堆積たいせきした鉱物結晶こうぶつけっしょうに、直接、甲殻類のような多脚たきゃくが備わっていた奇妙な形状から、表層の質感は同じでも、四足獣に似た、より生物的な形状に変わっていた。


 遠目にはゆっくりとして見えても、出現から移動した距離が明らかに大きい。形状の印象通り、動きが速い。


 あの咆哮ほうこうはまだ上げていないが、山麓さんろくの工場地帯は、かなりの広範囲に被害が広がっていた。


 多分、もう大勢の人が死んでいる。街に入られたら、もっと死ぬ。ゆうは、実は葉奈子はなこと同じように、ふるえそうになる身体を懸命けんめいに支えていた。


 意識と無意識が、その身体を動かした。駆け出そうとして、振り向いた顔が、ました顔の薄紅色のくちびるにぶつかりそうになった。二の腕は、やわらかい胸にぶつかっていた。


 長い黒髪の仔馬の尻尾ぽにーてーるの上に、「Welcome」の見えないネオンが輝いていて、ゆうは、ひっくり返りそうになった。


「うぉわっ! し、志津花しづかさん? なんで……っ?」


 ここは一年生の教室で、志津花しづかは姉の設定上、二年生の教室にいたはずだ。綺麗きれいにそろえた指先で、口元を隠して、こほん、と咳払いをする。


「神さまの、わたくしを求める心を受け取りまして」


「だいぶ語弊ごへいがありますし、説明にもなってませんが……」


「一時的に皆さまの認識から外れるよう感覚介入して、参上致しました。この程度は職権しょっけんの範囲内、現時刻なら、文字通りの昼飯前ひるめしまえです」


「そんな文字通り、ありませんよ」


 こんな時でもトンチキに引き込まれて、苦笑する。ゆうは改めて、教室を見た。


 教師もクラスメイトも、廊下に出て、避難訓練ひなんくんれんの通りに点呼てんこしている。ゆうがいないことを、誰も気がついていない。この非常時に、なるほど、こうして移動してきたのかと納得する。


「俺も志津花しづかさんと同じように、認識から外れてるんですね」


僭越せんえつながら」


 志津花しづかが、ゆうに一礼する。引き締まった表情を上げた時、白い小袖こそで緋袴ひばかまの姿になっていた。


 ゆうは、他に誰もいない教室で、志津花しづかと向き合った。志津花しづかの背後の、薄い硝子がらすへだてたような日常、クラスメイトたちのいる廊下に向き合った。


「別に……自分が神さまとか、信じられたわけじゃないですけど」


 ゆうの背後、窓の外では、怪物が街に迫っている。境界きょうかいの空間で、ゆうは、こぶしを握り締めた。


「今、ここで、俺にできることがあるのなら」


 ゆうの言葉に、今度は「奉納」の筆文字が、仔馬の尻尾ぽにーてーるの上に浮かんだ。


「わたくしと身も心も重ねて、一心同体になってくださると」


職権しょっけんって言いましたよね? それなら仕事仲間です! コンビとか、チームってことで! 恋愛関係なしの方向で!」


「……ええ、まあ。御心おこころのままに」


「なんすか? そのめ!」


 ゆう意固地いこじなのか、志津花しづか性懲しょうこりもないのか、とにかく不承不承ふしょうぶしょうに、志津花しづかが優の手を取った。薄紅色のくちびるが、そっと触れた。



********************



 全天周囲の真正面が、空の青を映した。ゆうが上半身を出している水面の、境界は外界に融合ゆうごうして、鏡のようにいでいる。


 水面に、ゆうの身体と上下を鏡合わせに、志津花しづかの姿があった。水面でゆう志津花しづかの、両掌りょうてのひらが合わさっていた。


 頭郭最深槽とうかくさいしんそう志津花しづかの言う神威しんい顕現けんげん駆逐戦闘特化筐体くちくせんとうとっかきょうたいの、認識の視座しざだ。


「神さま、直上です」


 志津花しづかの言葉の意味が、すぐにわかる。空の青が回転して、下方から正面に、地表がせり上がった。


 山麓さんろくの工場地帯を破壊して、街の中心部にせまる、巨大な鉱物結晶こうぶつけっしょうの四足獣が見えた。


「こ……のっ! やめろぉぉおおおッ!!」


 眼前に拡大していく怪物に、ゆうは叫んだ。


 水晶のような多数の尖端突起せんたんとっきが、見下ろす背中に、無秩序に堆積たいせきしている。短い首の先、頭部のような結晶塊けっしょうかいから、細状結節さいじょうけっせつつらねた太く長い尾の端部たんぶまで、全長は一〇〇メートルを超えている。


 その背中に向かって、落下していた。


 鋼鉄を束ね合わせ、組み上げたような体躯たいくに、幾千万を越える積層金属質せきそうきんぞくしつ鎧装がいそうまとい、直線と曲面が複雑に交錯こうさくした中枢構造に猛々たけだけしく肥大化した四肢を持つ機械仕掛けの戦神像が、天地をつらぬく槍となる。


 ひじひざの関節部に刀剣のような牙爪がそうを並べ、幾何学的な仮面に見える頭部には桂冠けいかんと、三本の結節衝角けっせつしょうかくを長く伸ばした異形いぎょう白銀大神しろがねのおおがみが、あお燐光りんこうびて、一直線に怪物に飛来する。


 ゆうが、右掌みぎてのひらを水面ですべらせた。志津花しづか左掌ひだりてのひらが、同じ軌道で水面をすべる。サーガンディオンが、戦鎚せんついのような右腕を振るった。


 激突の刹那せつな、怪物の背中の尖端突起せんたんとっきが、にごるように振動した。一つ一つの突起とっきが、前の怪物の、咆哮ほうこうのような衝撃波を広角放射した。


 巨大な怪物を覆い尽くす、猛烈な衝撃の壁が、サーガンディオンの一撃を轟音ごうおんと共に弾き返した。


「く……ぅああ……っ!」


「体勢を制御します。お任せを」


「え? ちょ、ちょっと待……! …………っっ!」


 ゆうが、今度は、声にならない悲鳴を上げるハメになった。


 水転写すいてんしゃ志津花しづかが、こちらはすずしい顔で、小刻みに両掌りょうてのひらを操作する。上下左右に乱れる慣性かんせいと、志津花しづかの操作にも翻弄ほんろうされて、微妙に揺れるだけの水面でゆうの上半身がのたうち回る。


 多分、その甲斐かいがあって、空中を錐揉きりもみに弾き飛ばされたサーガンディオンが、建造物を避けてなんとか大通りに着地した。けっこうな数の信号機をまとめてぎ倒したのは、この際、仕方がないだろう。


 サーガンディオンと怪物は、サーガンディオンが街の中心部を、怪物が山麓さんろくの破壊された工場地帯を、それぞれ背負って正対した。


 街の中心部を超えた海沿いには、幹仙みきひさ葉奈子はなこたち、そしてゆいのいる学校がある。ゆうは、めまいでグラグラする頭のまま、懸命けんめいに意識を集中した。


「守ら、なくちゃ……いけないんだよ……ッ!!」


 サーガンディオンが、異形いぎょう白銀大神しろがねのおおがみが、両脚をわずかに開いて構え、両腕を大きく、翼のように広げた。


 どんな感覚器官があるのか、怪物も呼応して四肢をたわめた。一瞬の後、跳躍ちょうやくする。身体を丸めるように前転して、自身の全長の半分もある、太く長い尾を真っ向から降り下ろした。


 サーガンディオンが踏み込み、かかげた左腕で受け止める。打撃の重さが、足下のアスファルトを破壊した。


 それでもなお踏み込んで、右腕を、跳躍ちょうやくのまま空中で一回転していた怪物の胴体に、下から叩き込んだ。腹の側に、尖端突起せんたんとっきはない。衝撃波の広角放射に防御されることなく、こぶしが凄まじい炸裂音を上げて、鉱物質こうぶつしつ結晶表面けっしょうひょうめんを割り砕いた。


 怪物の短い首の先、頭部のような結晶塊けっしょうかいにひびが入って、あぎとを開く。苦悶くもんのようにも見えたが、開いたあぎとを、サーガンディオンに向ける。怪物が咆哮ほうこうを放つより早く、サーガンディオンの左腕が、あぎとをつかんだ。


「させるかぁぁあああッ!」


 ゆうは、ほとんど無我夢中で、声をしぼり出した。

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