7.あたしがついてるからね!

 四時限目の英語も後半戦に入る頃、ゆうは、真剣に記憶を再確認していた。


 単語や文法ではない。校内自動販売機の、種類と位置だ。


「イチゴミルクとフルーツミックスは、そこの階段横だよな。幹仙みきひさのは……部室棟ぶしつとうの前にあったっけ? 先にそっち行きたいけど、ゆいちゃんと御山みやまさんのが売り切れちゃったら、最悪だし……でも、飲み物を二つ持って、部室棟ぶしつとうまで往復するのもなあ。一回、買ってここに戻って、渡してから行くか」


 まったく面倒な指定を、という文句は、危うく飲み込んだ。謝罪の心を示す、誠意の問題なのだ。それにしても、ゆうには、乳飲料とコーヒー飲料とコーヒーの味の違いがわからない。


「そこにこだわらなければ、どこでも良かったのに……けど、ブラックは苦手だったよな、確か。他人のポイントって、意味がわからないな」


 考えてみればゆうの両親も、休日はコーヒーや紅茶を飲みながら、豆とか茶葉とかの種類を楽しそうに話している。ゆうにしてみれば、ミルクと砂糖がちゃんと入っていれば、大体同じだ。甘くて美味おいしい。


 その点、まずイチゴミルクが出てきたゆいが、ゆうには嬉しい。好みが近い。


 自分用にもう一つ買って、さりげなく同じものを飲んでいたら、アピールになるだろうか。それとも、キモいと思われるか。


 果てしなくどうでもいいことかも知れないが、ゆうは、これも真剣に考えた。幹仙みきひさ葉奈子はなこは、まあ、間違いなく、あきれてため息をつくだろう。


 ゆうも我ながら少しあきれて、ため息をついた。ふと、視線が窓の外に向く。


 教室の窓が南向きなので、東側の海から、西側の山まで、ギリギリ見渡せる。ゆうの席は窓際に近い後ろの方、教壇きょうだんが西側なので、街並みの向こうに山がある。


 あまり高くないビルの上、山の真ん中くらいに、小さな赤い光が見えた。


 そう、小さな光だった。ストロボのような強い投射光でもなければ、風景の中で大きな存在感の光でもない。それでも、またたく星のような、彼方かなたからとどく声のような光だった。


 覚えのある、赤い光だった。


「あ……っ!」


 ゆうは、思わず叫んでいた。


 教室の窓は閉まっていた。空気をち割るような響きは、くぐもって聞こえた。巻き起こった突風は、窓の振動になって間接的に伝わった。


 ゆうに遅れて、クラスメイトたちも外を見た。


 晴れた日の昼休み前、明るい陽射ひざしに、山が土砂崩れのようにえぐれていた。真上の空間に、土砂と乱気流が、コンピュータ・グラフィックスで見る台風のようなうずを巻いていた。


 暗い赤が明滅めいめつする中心部に、うず凝集ぎょうしゅうして、直後、光を奇妙に屈折させる透明な物体が、地響きと共に生まれ落ちた。


 空の青と山の緑を乱反射して、形状が浮かび上がる。本能的な嫌悪感を呼び起こす、無秩序に堆積たいせきした鉱物結晶こうぶつけっしょうのような質感と、獰猛どうもうに背を丸めた四足獣のような全身形状の、巨大な怪物だった。


「あの怪物、また……!」


「ひ……ッ」


 ゆうの言葉に、異質な声が重なった。


 近くの窓際の席で、葉奈子はなこが、同じものを見ていた。恐怖の表情が、なにか、それだけではない形にゆがんでいた。


 教室のあちこちで、同じく異質な声が上がり、同じような形に表情がゆがんだ。


 昨日、街が破壊されて、人が死んだ。の当たりにした。喉元のどもとを過ぎて、携帯端末けいたいたんまつでつながり合って、日常に戻った気がしても、非現実じみた現実がそれをぎ取った。


 今この瞬間に、あの怪物が咆哮ほうこうして、教室も自分たちも粉微塵こなみじんき散らされるかも知れない。


 ゆうは、葉奈子はなこの表情に慄然りつぜんとした。正気でいる方が難しいのはわかる。だが、大勢の生徒が密集しているせまい校舎で、狂気が伝播でんぱんしたら、怪物以前の惨事さんじになる。


 ゆうは、言葉を探せなかった。そのゆうと、葉奈子はなこの肩を、ぽん、と幹仙みきひさが叩いた。


「落ち着いて、葉奈子はなこちゃん。大丈夫だから。ゆうも」


 幹仙みきひさの声も、少しかたくなっていた。大丈夫の一言に、根拠こんきょもないだろう。


 それでも、言ったことが、聞いたことが、意味になった。葉奈子はなこの恐怖の表情から、ゆがんだ形だけは消えた。


「み、幹仙みきひさ、くん……怖いよ……。足が……こ、声も、ふるえて……」


「それでいいんだよ。大声で走り出されるとか、そっちの方が、大変なことになるし」


「うんうん! 凡河内ボンカワくんの言う通りだよー、御山ミャーちゃん。安心してね、あたしがついてるからね!」


 幹仙みきひさの、低い静かな声に、ゆいの、とぼけた声が続いた。二人の言葉が伝わって、クラスメイトたちも互いに顔を見合わせる。


「それにしても、なんかすごいねー。映画みたい」


 とぼけついでのように、ゆうの肩越しに外をのぞいて、ゆいが半笑いになる。ゆうも、はげまされた感じになって、気を取り直す。


 怪物は山から降りて、街に近づいている。山のふもとは、いろいろな企業の工場が集まっていて、すでに爆発音や黒煙が上がっていた。


「まだ、遠い……みたいだ。でも、大きな建物は多分、向こうからも目につく。避難訓練ひなんくんれんの通り、混乱しないで校庭に出よう……かな? 幹仙みきひさ


ゆうえてる。ズバリそれ」


「あはは! こっちはこっちで、クイズ番組みたいだねー」


「あ、ありがとう……幹仙みきひさくん。ゆいに、加々実かがみくんも……」


 最初に悲鳴を上げた葉奈子はなこが、肩に置かれた幹仙みきひさの手を握って、懸命けんめいに恐怖をおさえた。それが教室の空気を決めた。


 英語の担当は、穏やかな年配の男性教師だった。幹仙みきひさたちに感謝を示してから、クラスメイトの避難誘導ひなんゆうどうを始めた。幹仙みきひさゆいも、葉奈子はなこも、整然とそれに従った。


 ゆうだけが、歯噛はがみしながら窓の外を、街に向かってくる鉱物結晶こうぶつけっしょう小山こやまのような怪物を、見据えたままだった。

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