映画語り

明丸 丹一

シン・仮面ライダー

 庵野秀明監督によるシン・シリーズ4作目であり、仮面ライダー(初代)のリメイク作品。仮面ライダーという作品を令和にリメイクするにあたってショッカーの設定を大胆に変更しているのが特徴となっている。

 原作でのショッカーはナチス・ドイツの残党の一部を母体とした世界征服を企む秘密結社だが、「シン」では超AIが選定した個人を救済するという名目で超科学技術を貸与するという一風変わった目的をもった組織となっている。

 ショッカーという名称もSustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling(=コンピューター知性の改善による持続可能な幸福組織)というバクロニムだという設定だ。

 つまり、ショッカーの根幹である超AIは自ずから世界征服を企んでいるのではなく、一定の基準によって選ばれた人間に力を貸しているだけなのである。

 この点がリメイクの世界観を構築している。旧仮面ライダーにおいてショッカーは悪の組織であり、世界征服という目的のために超テクノロジーを有していた。しかし、「シン」においては超テクノロジーの持ち主の方が、目的をもった個人を探して支援しているのである。

 そのため、改造人間(怪人)および研究者間において相互に目的が矛盾することがある。

「シン」作中の改造人間手術の基幹技術を開発した緑川博士は、多数の一般的な人々の幸福のためにその技術を使用してほしいと考えていた。しかしそれでは個人を救うというショッカーの目的とぶつかってしまうわけだ。

 ちなみに博士の新技術それ自体は、旧作のような機械式改造でもバイオテクノロジーでもなく、オカルトがかった普遍的に存在する新エネルギーを効率的に運用するというもので、表の社会で受け入れられるようなものではないという設定がある。

 話は少しそれるが、この辺りで庵野監督の設定面での凝り性な点が強く出てしまっていて、約2時間の映画のなかで独自の造語がかなりでてくる。初代仮面ライダーは見ていたが最近のアニメ・特撮コンテンツに触れていない、リメイクを機に見にきた視聴者にとっては伝わりづらい用語が多い。

 逆に画作りとしては追いきれないほど昭和の仮面ライダーや特撮作品のパロディが盛り込まれていて、こちらは新規の(あるいは庵野監督ファン≒エヴァンゲリオンファンの)視聴者にとっては不自然に感じる部分も多く、作品としてはチグハグな印象もある。

 この辺りの不親切さはTVアニメ版のエヴァンゲリオンに通じるものがある。「シン」シリーズとしては、シン・エヴァンゲリオン、シン・ゴジラが旧作リメイクとして比較的分かりやすい演出・文芸設定だったことと比べると、本作シン・仮面ライダーと前作シン・ウルトラマンはこの点でファンサービスが過剰というべきか、旧作エヴァンゲリオンのように分かりにくい作品ではある。

 話を本作のストーリーに戻すと、主人公のキャラクターはかなり複雑だ。主人公の本郷猛は(これは旧作仮面ライダー1号と同じ名前だが)、ショッカーから離反することを決めた緑川博士に勝手に改造人間「バッタオーグ」にされてしまう。意識が戻ったころには敵に囲まれていて、改造人間としての精神安定機構によって人(戦闘員)を殴り殺していく。このシーンは以降のアクションシーンと比べるとかなり血みどろのスプラッタな画となっている。戦闘が終わった後、博士によって事後承諾的に改造と逃走の経緯が知らされるのだが、「シン」の本郷は戦うことそれ自体にとまどいはあっても、不可逆の改造が行われたことには無頓着である。旧作の仮面ライダーが自分を改造したショッカーへの復讐から次第に正義に目覚めていくとのはかなり大胆な変更が行われている。

 この点で作中では緑川博士と本郷はかつて大学での師弟関係だったこと、本郷が警察官だった父親が凶悪犯に殺されていることから強い力を求めていたことなどが言及されるが、それにしてもである。

 緑川博士のショッカーの襲撃による死の後、本郷にはショッカーの改造人間の排除と、博士の娘である緑川ルリ子の護衛を任される。この緑川ルリ子のキャラクターはかなり強烈である。比較的ナチュラルな演技の本郷と違って、緑川ルリ子はかなりアニメ的な言動・ふるまいとなっている。キメセリフを連発し、ナイーブな本郷を導いていく狂言回しとのような役回りだ。この緑川ルリ子を皮切りに、本郷以外の登場人物はアニメと映画の中間……2.5次元的なキャラクターが多くなる。その殆どは敵ではあるが。

 さて、今作でショッカーが支援した選ばれた個人とはどういう人間だっただろうか。順番に考えていこう。

 「クモオーグ」快楽殺人鬼であり、一般的な社会では生きていけない人物。

 「コウモリオーグ」緑川博士と同様に一般社会から排斥された研究者。

 「サソリオーグ」極度の被虐趣味であり、やはり一般社会に溶け込めない。

 「ハチオーグ」人間を洗脳し、閉じた世界に君臨しようとしている。

 「チョウオーグ」人間を肉体から精神だけ引き剥がし、新たな世界を作ろうとする。

 ちなみに、他にも「カマキリ・カメレオンオーグ」「第二バッタオーグ(後の仮面ライダー2号)」「変異バッタオーグ」なども登場するが、彼らのバックボーンは語られない。

 いずれにしても上記の怪人たちは、今の社会に絶望した個人である。社会常識の犠牲になった人々と言ってもいいだろう。彼らはあるいはショッカーの力がなくともいずれ犯罪者となっていたかもしれない人物である。

 なぜ超AIは彼らを救うのだろうか。

 悪人正機という仏教の言葉がある。多少本作に寄った紹介になるが、全ての人が救われるのならば、より救いがたい人物こそ救われるべきという教えである。(実際の教えでは無自覚の一般人も悪を成しているという面も備わる)

 また、近年インターネット上に「無敵の人」というスラングがある。社会的に失うものがないために犯罪を犯すことに躊躇のない人物をさす。

 つまり、超AIは一般社会で救われない人物を救済するために、結果的に反社会的な志向を持っている人間に力を貸してしまう。そして、そのような人物は決して後を絶たない。「怪人」は結果として力を与えられただけであって、そもそも怪人性を持っているのである。つまり、怪人を根絶やしにすることは極めて難しい。このような構造は旧作仮面ライダーを含む、一般の法や技術では対処できない敵に対しての対抗存在であるヒーローの活躍を主軸に据えた特撮ヒーロー番組とは一線を画すモチーフだと言える。扱っている個人の異常こそケレン味にあふれているが、構図としては社会派ミステリーに近い。

 一方で主人公である本郷は、犯人をも救おうとして犠牲になった警察官の息子という設定である。本郷の親として断片的に描かれる警察官は、自己犠牲の精神の持ち主だろう。

 しかし、本郷はその自己犠牲によって少年期に親を亡くし苦しんだ経験を引きずっている。この映画を本郷に成長物語としてみると、本郷が自己犠牲を納得していく心の移り代わりを描いている。最新型の改造人間となった本郷は他の大抵の改造人間より強力な力を持っているが、1対1で手加減できるほどの差ではない。

 また、そもそも手加減できたとして拘束したとしても改心するような人間ではないからこそ、怪人として選ばれている節がある。結果として本郷の自己犠牲性は身を粉にして怪人と戦う点に集約されていく。いくつかの怪人の動機には同情できる理由があったとしてもである。

 アニメ・エヴァンゲリオンでは戦うことへの恐れについて、かなり尺が注がれていた。主人公の、なぜ自分が犠牲になって戦わなくてはいけないのか、という問いである。世紀末においてその着眼点は新しかった。しかし令和において自己の責任を果たすという価値観はかなり浸透している。

 こうしてみるとシン・仮面ライダーは、自己実現の怪物であるショッカーの怪人と、自己犠牲のヒーローである仮面ライダーの戦いの構図とみることができる。

 これは仮面ライダーからみれば、超AIであるショッカーの本体がなくなるまで終わらない、果てしない戦いである。怪人候補となる人間はいくらでもいるからだ。実際、本作シン・仮面ライダー本編では緑川博士と緑川ルリ子の関係者との因縁を晴らしたところで幕となる。超AI本体と、その代理であるロボットは意味ありげに登場しただけで、根本的なショッカーとの決着までは描かれない。

 最後はまた新しい怪人が現れたことが知らされ、バイクに乗って去っていくシーンで終わる。このシーンも実は引用元があるらしいのだが、引用した理由としてはやはり終わることのない戦いを描いているのだと考える。

 さて、テーマに関する考察はここまでにしておこう。

 いくつか気になった点がある。まず、世界設定・文芸としては令和のヒーローとして、新しい構図を生み出していると思う。また、スーツや特撮面においても昭和仮面ライダーのような怪奇色は薄まり、スタイリッシュな造形・演出となっている。そのため、原点回帰的な作風だったシン・ゴジラ、シン・エヴァンゲリオン、シン・ウルトラマンとは趣が異なる。

 ただし映画としての画面作りや劇伴音楽に関してはこれでもかと引用とパロディが詰め込まれている。この点は「ゴジラ」や「ウルトラマン」も同様なのだが、「ゴジラ」は災害のモチーフとして、「ウルトラマン」は巨大な宇宙人が地球のヒーローになるまでを丁寧に描いていた。シン・仮面ライダーは旧作のような、復讐心を克服して人間の自由のためにたたかうヒーロー……ではない。拡大された人間の悪意と対峙するヒーローである。

 その点で新規のテーマ性と旧作の引用部分が衝突している印象を受けた。そのあたりを中和するために旧作のテーマソングのリファインもいいのだが、シン・ウルトラマンのように近年の人気歌手によるキャッチーなCMソングがあってもよかったのではないかと感じた。勿論予算やスケジュール面の都合もあるのだろうが……。ただし、自分の年代のヒーローがリメイクされたら原曲オマージュでやってほしいですよね(矛盾)。

 というところで感想を終わります。

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