ヒロの決意 2-3

  ヒロ達に待ち受けていたのは、


 想像を絶するほどの地獄の日々だった。


 4時に起床したヒロ達が掃除に向かうと、


 ゴミで散乱しており、


 明らかな嫌がらせを受けていた。


 今日の掃除場所はデーモンの衣類を洗濯する洗濯所。


 ツンと鼻につく強烈な刺激臭は、


 掃除しようとする意欲を削ぐには十分だった。


 エプロンや使用済みの雑巾は、


 どれがエプロンやら雑巾かわからないほどに、


 山積みに積まれ、


 まるでゴミ屋敷の片隅に追いやられたゴミのようになっている。


 ダンテは洗濯所に着くやいなや、


 手に持っていたモップを無意識に落としてしまう。


「きったねぇな。昨日掃除してねぇんじゃねぇかってぐらい汚れてるぞ」


 胸の内からこうふつふつと湧き上がる感情は怒りだろうか。


 ダンテは歯が削れるのではないかと思うぐらい激しい歯ぎしりをした。


「なにいってんだよ、掃除のしがいがあるだろう。早く掃除して休憩でもしようぜ」


 ヒロはダンテの肩に手を置いて励ました。


「さっそく我慢できなくなったの? だからできるのって聞いたのに……」


 ベネッタは文句を言わずに衣類の山から雑巾と衣類を黙々と分け始めた。


「……だぁ! っくそ! やってやるよ、あーやってやるさ! みてろよアイツら」


 ダンテはモップを勢いよく拾い上げ、


 水を汲んだバケツを床に置いた。


 こうして、


 ヒロ達の地獄のような日々は始まったのだ。


 魔王の城での勤務は超絶ブラック。


 朝は4時までに起床し、


 4時10分には指定された場所で掃除をする。


 食事は1日に2回だけで、


 昼休憩と仕事が終わってから支給される。


 休憩は昼の休憩のみ、


 仕事が終われば自由時間が待っているが、


 ごくわずかとなっている。


 その時間わずか1時間。


 終業時間は夜の21時で、


 就寝は22時となっている。


 普通に考えれば、


 労働基準法に引っかかりそうなものだが、


 この世界にそんなものがあるはずはない。


 だが、


 ヒロはそれを逆手に取ったのだ。


 全員が寝静まった22時から、


 深夜の1時までの3時間で、


 にダンテとベネッタの3人で地下訓練場に向かい、


 魔族武闘会で優勝するための特訓をする。


 4時起床ではなく3時に起床して、


 誰よりも早く掃除をしてわずかな休憩を確保する。


 休憩を確保してからは、


 他のデーモンに愛想を振りまき、


 取り入った。


 他のデーモンが食べ終わった皿を率先して片付け、


 片付けている皿に残っている魔力をつまんでは、


 皿の上を舐めたりして口に運んだ。


 2週間食事抜きの3人はこうして生きるほか道はなかった。


 まるで乞食だ。


 他の者に蔑まれ、


 嘲笑を浴びるも、


 3人は耐えた。


 プライドも何もかもを捨てた3人に怖いものなどなかった。


 あるとすれば、


 外で我を忘れ、


 ただ貪り食うモンスターになるのだけが唯一の恐怖。


 時にダンテが我を忘れかけることもあった。


 必死にヒロとベネッタが声を掛け、


 何とか自我を保つことができている。


 その間も、


 ベルゼルからの嫌がらせは止まることは無かった。


 勿論3人は相手をしない。


 いや、


 相手にする力も残っていない。


 食事抜きを切り抜けるには、


 些細なことで無駄な魔力を使うわけにはいかないからだ。


 目の前にゴミを散らかされても、


 淡々とゴミを片付ける。


 汚されても拭き続ける。


 地獄の日々が続いて2週間が経過した。


 食事抜きは解禁、


 3人は2週間ぶりの食事で、


 感動のあまり、


 涙をあふれさせながら食べていた。


 ヒロは、


『この食事は絶対に忘れない』


 と呟きながら、


 涙と一緒に魔力を頬張っていた。


 食事ができるようになった3人は、


 地下訓練場でより高度な訓練をするようになる。


 ヒロはダンテに戦闘の基礎を叩きこまれる。


 ダンテの戦闘技術は凄まじく、


 ヒロはダンテに決定打を与えられずにいた。


 ベネッタは戦いに参加せず、


 目を閉じて両手で三角形を作りながら、


 頭の中でイメージを膨らませ、


 精神を集中させていた。


 2人と違い、


 戦闘向きではないベネッタは魔法の扱いに長けていた。


 魔法に関しての知識や技術はミニデーモンの中でも随一らしい。


 ヒロは一度だけベネッタが炎の魔法を唱えているのを目撃したことがある。


 グルグルに紐で巻かれた捨てられる布団に、


 ベルゼルの似顔絵を張り付けて、


 一瞬の内に灰と化していた。


 おそらく本気を出していないのだろう。


 余裕な表情を浮かべながら、


 淡々と魔法の訓練をしていた。


 地獄の日々が続いて1ヵ月半が過ぎたころ、


 ヒロ達の身体にも変化が現れる。


 子供の体型だった体つきは、


 中学生ぐらいの体格に成長していた。


 顔はまだ幼さが残っているが、


 髪の毛も生えてきている。


 身体につく筋肉もまだ細く、


 漆黒の肌のままだが、


 徐々に体つきに差が出始めた。


 ヒロは150㎝ぐらいの身長になり、


 背中に生えた羽は、


 非常に頼もしい翼を携えている。


 髪の毛は黒髪のツーブロックで、


 男の子らしい顔つきをしてきた。


 変わらずヒロが使用する武器は三つ又の黒い槍だが、


 訓練のおかげで、


 扱いが上手になり、


 ダンテと張り合えるぐらいにまで、


 戦闘技術が向上していた。


 ダンテは3人の中で一番背が高く、


 体つきも逞しくなってきている。


 白い短髪で顔つきも漢といった感じの、


 頼りになるお兄さんのような存在になってきた。


 ヒロとの訓練でより強さに磨きがかかり、


 いつの間にかダンテはヒロの目標になっていた。


 ベネッタは女性らしく、


 身体が丸みを帯びて、


 女の体になっていた。


 ピンクの長い髪をサラサラとなびかせ、


 容姿も整っているからか、


 よく他のデーモンに話しかけられている。


 2ヵ月が過ぎれば、


 今の生活にも徐々に順応。


 仕事のスピードも上がり、


 掃除だけでなく、


 ロゼの炊事の担当も任されるようになった。


 勿論新しい仕事を覚えるのには時間がかかる。


 ダンテはよく炊事を失敗して、


 叱られてしょげている。


 どうやら家事全般はダンテは不向きらしい。


 炊事を担当して猛威を振るっているのが、


 唯一の紅一点ベネッタだ。


 ロゼの好きな食材が分かっているのか、


 ベネッタの作る料理はロゼの口を喜ばせ、


 そろそろ専属になるんじゃないかとも言われてるほどだ。


 ヒロは変わらず掃除を黙々とこなしている。


 ロゼの言った言葉を忠実に守っているのか、


 なるべく目立たないように生活をするよう心掛けている。


 2ヵ月も経てば、


 ベルゼル達はちょっかいを出してこないだろうと思っていたが大間違いだった。


 彼らはその後も執拗にヒロ達に嫌がらせを続けていた。


 ベルゼルも肉体が成長し、


 長い黒髪を後ろで1つに束ね、


 スラリと長い手足と高身長の爽やかな青年になっているが、


 性格はより悪魔に近くなっている。


 女の子の前では優しく振舞っているのか、


 かなり評判がいいことをダンテは延々と愚痴っていた。


 しかしヒロは全く気にしていなかった。


 今は好きなようにさせておけばいいとばかりに、


 彼の嫌がらせを受け入れる。


『今に見てろよ……』


 時折見せるヒロの本音はダンテとベネッタを度々焦らせる。


 そして……―――


 ―――3ヵ月が過ぎた。


「よし! 今日はこれぐらいにしておこうぜ」


 そう話すのは、


 剣を右手に持って、


 肩で息をするダンテ。


 3人はいつもの仕事を終えて、


 地下訓練場で鍛えていた。


「明日はいよいよ魔族武闘会。疲れを残すわけにはいかないからな」


 ヒロは三つ又の槍を片手でくるくる回す。


「ふぅ、あとは全力で臨むのみですよねロゼ様」


「あぁ、私が直々に指導したんだ。できるだけのことはやったはずだ」


 ベネッタの横には、


 ロゼが腕を組んで3人を見ていた。


 3人が仕事終わりに地下訓練場で何かをしていることを、


 ロゼは知っていたのだ。


 3人の様子がおかしいと思っていたロゼは、


 夜な夜なヒロ達の行動を見張っていた。


 疑問が確信に変わったのは、


 地下訓練場の汚れがここ1ヵ月で異常に増えたことだった。


 誰かが就寝時間に何かしていると思ったロゼは、


 深夜に1人で地下訓練場に来ると、


 3人が訓練しているところを発見した。


 最初は叱るつもりでいたロゼだったが、


 ヒロから内容を聞いたロゼは、


 状況を理解し、


 ちゃんとした指導者がいた方がいいだろうということで、


 指導者を自ら買って出てくれたのだ。


 ロゼの指導はヒロ達の日々をより地獄と化させていく。


 少しでもおかしな動きをすれば、


 罵声が飛び交い、


 とんでもないほどの体罰を受ける。


 現代であればすぐに問題になりそうなものだが、


 この世界では全く関係は無い。


 ダンテはむしろ喜んでいるようにさえ思えてしまう程、


 顔が緩んでいた。


 ロゼの指導によりメキメキと上達したヒロ達は、


 3ヵ月前に比べ、


 格段に成長していた。


「しかし、ヒロのスキルは結局発現することは無かったな」


「はい……俺のスキルはそんなに特別ってことなのでしょうか」


 そう、


 ヒロのスキルは発現することは無かった。


 ロゼの地獄のような指導の間も、


 幾度となくスキルを試そうとしたが、


 一度もスキルは発現しなかったのだ。


「大丈夫だろ俺とヒロ、ベネッタなら絶対優勝間違いなしさ」


 ダンテは自信に満ち溢れていた。


 ヒロはほっとするような表情でダンテの言葉を聞いていた。


 ずっと刃を交えた2人だからこそわかるのかもしれない。


 ダンテの言葉にはどこか安心できるような、


 本当に優勝できてしまうんじゃないかと思えてしまう何かがある。


「そういって、真っ先にベルゼルにやられないようにね」


 ベネッタに笑われながらダンテは冷やかしを受けた。


 ダンテは顔から湯気が出るほど顔を真っ赤に染め上げ、


 ベネッタに詰め寄った。


「うるせぇ! あんな奴俺の敵じゃねぇよ!」


「いや、ベルゼルは強いぞ。今回の魔族武闘会で紋章の所持者はベルゼルとヒロのみ。ベルゼルに至ってはすでにスキルを発現しているからな。お前たちの前に立ちはだかるのはおそらくベルゼルだろう」


 ロゼがここまで言うのだ、


 弱いわけがないとは知っていた。


「ロゼ様、ベルゼルのスキルって一体……」


 ヒロがベルゼルのスキルを聞こうとすると、


 軽くあしらうように鼻で笑った。


「ふん、教えるわけが無かろう。それはベルゼルと対峙した時に探し出すがいい。お前たちだけを優遇するわけにはいかないからな」


 上に立つ者だけあって、


 不公平なことはしない。


 流石は王の名を持つ者といったところか。


「だが、私はお前たちに期待はしているぞ。何せ直々に教えたのだ。これで負けたらしばらく食事抜きだな」


 ロゼは冗談交じりに笑いながらヒロ達を脅した。


「そ、そんな~勘弁してくださいよロゼ様~」


「もう! ダンテったら変な声でロゼ様に話しかけないでよ、汚らしい!」


 ヒロは2人のやり取りを見ながら、


 ダンテとベネッタの会話に交じるように笑った。


 3人はロゼを部屋まで送りとどけた後、


 自分たちの部屋に戻った。


 ようやくこの長い地獄のような日々も終わる。


 地獄のような日々からの解放感からか、


 身体の力が一気に抜けるような感覚に陥り、


 ヒロはベッドで寝転びながら、


 2、3分もしないうちに意識が飛ぶように寝た。


 いよいよ明日、


 狂乱の宴である魔族武闘会がここ魔族の地で開催される……

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