受験戦争
あやめ
第1話 プロローグ #成瀬
(はぁー、今日のシフト終了〜。)
成瀬は、シャツのボタンに手をかけながら、ロッカールームの時計をチラッと目を向けると、短針が9の少し後を指していた。
素早く学校の制服へと着替え終わると、着脱室兼ロッカールームを出て、ちょうど帳簿をつけている店長に「お先です。」と肩越しに声を掛けると、作業はそのままに「お疲れ様〜」と疲れ混じりながらも明るい声が返ってくる。
(「次は貴方たちが受験生だ。」か、そろそろ真剣に考えないとな)
バイト先を出て、駅に向かいながら、成瀬は大学受験向けの塾の野外広告が目に付く。時より強い風が吹き、思はず呂色のコートをきゅっと引っ張り身を縮める。
何故だろうか。以前は気にも止めなかった宣伝が、やにわに意識するようになっている。風に煽られ空き缶がカランコロンと前方を転がっていく。
心当たりがあるとすれば、先程の言葉である。それは、担任が、春休み前最後の日だというのもあってか、今後のことについて言い聞かせていた中の一つだった。
受験生、つまり自分が行きたいと切に願う大学に向けて、全身全霊をかけて挑む者たちのことだ。といっても、高1高2と先輩の姿を見てきた限り、勿論の如く人によってまちまちだ。
推薦にかまけて遊びまくっている人もいれば、日に日にやつれていく人もいる。はたまた恋人同志でイチャイチャしながら仲良くして勉強している者たちもいる。まあ、最後に、挙げたような生徒の結果はお察しの通りであるが……。
そうやって、のらりくらりと過ごしているうちに今度は自分の番がやってくる。
なのに、ぼんやりとしてイマイチ受験生としての自覚が湧いてこない。はっきりと高3になる前から大学受験を意識できるのは、余程の進学校あるいは、自称進学校と揶揄される学校くらいだろう。
あまつさえ、偏差値が並の学校で、友人との外出やバイトに明け暮れていた生徒は言うまでもなく、『突然受験生だから勉強しろ』と言われても困惑するだけだろう。彼も漏れず後者である。
成瀬自身は、学校の中ではまあまあ成績が良い方で、順調に行けば地元の国公立に進学できるレベルだと、担任からは言われているし、本人もそれでいいかなとぼやっと思っていたのだった。
『次は紫藤町、紫藤町……』
ふとスマホから顔を上げると、やつれた会人の中、単語帳らしき本を開けている学生が目に付く。自分と同じようにバイト帰りだろうかと一瞬思ったが、制服のリボンが特徴的なことに気付いた。
それは、成瀬が知る数少ない名門校の一つを象徴するもので、言わずと知れたお嬢様学校であり最上位の進学校だった。確か中高一貫校なので、中学生の可能性もあるが、成瀬は何となく彼女が高校生、それも来年高3生のように感じた。
それを考えると、彼女はバイト帰りではなく、塾からの帰宅途中に思えてくる。
再びスマホに目を落とすと、変わらずshort動画が矢継ぎ早に移り変わっている。それも大して興味の湧かない下らない動画ばかり。
別段悪いことをしているわけでもないのに、心臓がチクッとし、虚心に苛まれる。
カンカンカン、踏切のサイレンが聞こえてくる。窓からは赤い点滅が一瞬にして流れていく。
ホームに電車が到着すると、パラパラと人が降りていく。車内は、空席の方が多くなる。
扉から、冷たい風が吹き込み、一気に寒気立つ。成瀬も含め、残った乗客は、寒そうに早く出発しないかなと、身を縮こませる。
残念なことに、特急列車の通過待ちで、扉は開かれたままであった。
一方女子高生は、寒風に気を散らされず、ずっと単語帳に視線を落としたまま集中していた。
数分が経ち、再び発車する。唐突に成瀬は、snsを落とし、スワイプで検索ブラウザを立ち上げる。まるで胸の痛みが彼を奏し向けたかのようだった。
[○○大学 入試]と検索ボックスに入力する。成瀬は、現状第一志望である大学の情報ですら何一つ調べたことがなかった。
どんな入試形式で、共通テストと2次試験の点数配分がなされるか、偏差値はどれくらい必要で、合格ボーダーはどれくらいか、全く考えもしてこなかった。
今の時代は便利なことに、あらゆる情報がネット上で手にいれることができる。
それは受験情報も例外ではない。
大学入試センターをはじめとする大手予備校など、多くの有益な情報を発信してくれている。わざわざ昔のように専門雑誌を買ったり、予備校に直接行ったりする手間やコストが必要なくなったのである。
ただ受験生は稀にしかその情報をうまく活用できていない。だから教師が代わりに情報を収集し、生徒に伝えることがよくある。
成瀬は、一番上にでてきたサイトを選択すると、ずらっと大学の募集人数・試験日程・偏差値・合格最低点など多くの情報が目に入る。
ぽちぽちと流し読みしていくが、なかなか頭に入ってこないというか、わからない。流石に模試での自分の偏差値くらいは覚えていたが、そもそもの見方が分からない。
これが、成瀬の現状だった。進学校とは違う、一般的で平凡な高校のちょっと頭のいい学生。
列車が橋で徐行しはじめ、景色がゆったりとしてくる。月明かりが川水を照らし、キラキラと反射する。
『次は夜沢川、夜沢川……』
一次試験共通テストまであと
受験戦争 あやめ @luna012
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