第2話 絵士から聞いた闇夜の女騎士の話

 冒険者と呼ばれるチンピラ共を養うのは帝国の伝統だ。

 遍歴へんれきの騎士と冒険者が手を取り合い大悪だいあくを討伐する物語は、始祖皇帝の時代には多くあったという。

 実際のところ、どちらも腕っぷしで世の中を渡り歩くチンピラである。違いがあるすれば、生まれの血筋であろう。

 世襲騎士家の次男など兄が消えねば無駄飯喰むだめしぐらい。実家を追い出されて遍歴の騎士になるのもよくあることだ。


 筆者は剣を算盤に持ち替え書類騎士の法務官となったが、彼は剣から絵筆に持ち替えた。絵師騎士、いや、ここでは絵士えしと記そう。

 以下は彼が絵士になるきっかけとなった初仕事の顛末てんまつだ。


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 エトガル・ミアダーは帝国の食糧庫として名高いサリヴァン領の世襲騎士である。 

 絵画に魅了されたのは、祖母が若き日に買い求めたという『剣士姫リリー』の小さな姿絵を見つけてしまった瞬間からだ。


 亜麻色の髪と掘りの深い顔立ちで美形の女剣士。

 男物の地味な騎士服の上から、自らが打ち殺した魔虎まこの毛皮を腹に巻く。

 侯爵家令嬢でありながら、天下無双の剣士であったという。


 狂皇の時代に活躍したという令嬢騎士だ。

 出自であるサリヴァン侯爵領では英雄視されているが、それ以外では天下に響く無法無頼むほうぶらいであったと伝えられている人物だ。

 別名としては『人食い姫』と呼ばれており、そちらは剣士姫よりも遥かに有名である。また、エルフ自治領では魔払い魔除けの絵柄としても使われている。

 そもそも実在すら怪しい人物なのだが、これ以上の解説はこの話とは関係ない。


 その姿絵は無名画家の作だが、祖母は宝物として大切にしていた。

 いまにも息遣いが聞こえてきそうな精緻な筆遣いに、幼いエトガルは魅了された。

 いや、エトガルが惹きつけられたのは、想像と現実の情景を閉じ込める絵画そのものに、かもしれない。

 次男のエトガルは、いつしか筆を持つようになった。無論、絵師を目指すというのは騎士であるなら叶えられない望みだ。


 そのようなエトガルも、長兄の結婚を機に家を出ることになった。

 いくばくかの支度金に騎士剣と革鎧。そして、祖母から譲り受けた『女剣士リリー』の姿絵。

 それだけしかない旅立ちとなった。

 遍歴の騎士としてミアダー家を出てからは、雇いの騎士として各地を転々とした。騎士であるというだけで、無法者を追い払う張り子の虎くらいにはなれる。

 各地を流浪するのは、嫁探しという意味合いも強い。

 地方領主に仕える世襲騎士家に婿入りする。それがミアダー家として最も良い将来だ。

 エトガルが帝国辺境の港湾都市であるドーレン領にまで流れ着いたのは、ひとえに絵筆を捨てられなかったことにつきる。

 人生を考える自分探しの遍歴では、騎士の嫁探しが上手くいくはずもない。それに、旅の空はなかなかに楽しかった。


 港町には安宿と安酒場が多くある。

 エトガルが安酒場で腹を満たしていると、奇妙な話を聞いた。

 水夫と冒険者たちが酒に酔って言うには、近くの石橋にお化けが出るという。

 モンスター害獣の類いかと冒険者が問えば、地元の水夫が違うと答える。あれは、幽霊やお化けの類いで、魔物であろうということだ。


 さて、そのお化けとはこんなものだ。

 夜半に石橋を渡っていると前方が不意にぼうっと明るくなる。何かと見やれば、対面から不気味な子供が走ってくる。

 それが隣を横切ったら高熱を出して寝込んでしまうのだとか。また、触れられてしまったらそのまま死んでしまうとも。

 そのようなことがあって、夜半には石橋を避けて遠回りするという。

 冒険者たちは水夫の臆病を笑うのだが、水夫たちは真面目な顔だ。

 なんとはなしに聞き入っていたが、旅の空でもよく聞いた類いの与太話よたばなしである。


「もし、そこの騎士様。ご一緒させて頂いても?」


 不意にかかる女の声。

 見やれば、いつの間にか隣に女がいる。やけに古風な騎士服を着こんだ、年若い女騎士であった。

 女に声をかけられれば悪い気はしないもので、どうぞ、ということになった。

 噂話や旅の話をした気はするが、エトガルはなんだかふわふわとして何を話しているか覚えられない。

 酒も多く飲んでいないというのに、女と何を話しているのかよく分からなくなってしまった。


「一つ、頼みを引き受けてはくださいませんか。あの石橋を一人で渡ってほしいのですよ。それだけでよいのです。あなたがサリヴァン領の血筋であるのでしたら、それだけで」


 白磁のような柔肌というのだろうか、女の肌はあまりにも白い。しかし、艶めかしいとは思えなかった。どうしてか、不吉なものに見える。


 エトガルは、それを引き受けた。


 くだんの石橋には通りを少し歩くとたどりつけた。

 酔漢すいかんたちの行き交う通りから離れた人気も無い。うら寂しい場所である。

 想像していたよりも小さな石橋には、これといって何の不吉さも感じなかった。近くに墓地があるという訳でもなし、何か恐ろしい逸話があるとも思えない。


 拍子抜けした。

 怪物やら幽霊が迷い出るような雰囲気は一切ない。しんと静かで寂しいだけだ。

 馬鹿げたことだと思いながらも、小さな石橋を渡る。


 不意に、歌声のようなものが響いた。

 幼子が甲高い声でやる拍子外れの歌とも奇声ともつかぬ、不快な音。あれが耳の奥に突き刺さる。

 前方からたったっと小さな姿が駆けてきた。

 エトガルはそれを見て、腰を抜かしてしまった。


 臍の緒がついたままの赤子が、二本足で宙を滑るようにやって来たからだ。


「ひっ」


 自分の悲鳴に気づいたのか、赤子がこちらを見やる。

 開き切っていない目だというのに、エトガルを確かに見ていた。


 金切り声が近づいてくる。エトガルの身体は金縛りにかかったように全く動かない。

 赤子の小さな手が、へたり込むエトガルの胸元に伸ばされた。


「ぎゃっ」


 墓場鳥のような鋭い悲鳴は赤子のものだ。

 エトガルに触れようとしていた赤子の手の平が、半ばまで裂けて真っ黒な血を流している。それはまるで、剣で斬られたかのように。


「捕まえた」


 その言葉と共に、赤子の頭をつかむ白い細腕。

 酒場で出会った女騎士である。彼女は、女がするとは思えない乱暴な手つきで赤子の頭をつかんでいた。


「おかげで、これをようやく連れていけます。エトガル様、とても助かりました。いつかこのお礼は必ず」


 女騎士は赤子をつかんだまま石橋を渡っていく。そのまま、闇に溶け込むようにしてその姿を消した。

 エトガルは言葉もなくそれを見ていることしかできなかった。

 へたりこんだまましばらくして、赤子が触った胸元を探る。そこにあるのは、お守りとして肌身離さず持っている『女剣士リリー』の姿絵であった。

 助けられたのだな、と思えた。


 そこまではよかったのだが、翌日からエトガルは高熱を出して寝込んでしまい、逗留費のために鎧を手放すことになってしまったという。


 鎧を売り払ったことは、良いきっかけになった。

 ドーレン領を出てからトリアナンへ向かったエトガルは、絵師として働くようになった。

 あの女騎士を題材として描いた『闇夜の女騎士』がそれなりの評判となっている。


「実家に知れたら、きっと勘当されるでしょう」


 エトガルは笑い話として締めくくった。

 闇夜の女騎士の姿絵は、どうしてか遊女に人気があるのだとか。

 筆者も譲ってもらったのだが、どこか不穏で艶のある姿絵であった。


 サリヴァン侯爵領において『女剣士リリー』は武運長久の加護を持つとされている。

 侯爵家に仕えるミアダー家の次男であるエトガルがそれに護られたものか、それとも別の要因があるのか、真実は分からない。


 奇妙な女騎士もまた、筆者が関わることとなった人物だ。

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