法務官ベイル・マーカス 『債鬼の遺産』

海老

第1話 毒蜘蛛ブリアーニから聞いた奇怪な話

 帝国辺境において魔都とさえも呼ばれるに至った城塞都市トリアナン。

 筆者こと一等法務官ベイル・マーカスは、人形の祠にまつわる一連の事件を秘密裏に解決した功績により辺境における法務統括を任じられた。


 さて、話は変わるが城塞都市トリアナンには金貸しが多くいる。

 貿易中継点であることに加えて複数の資源迷宮を抱えるドーレン伯爵領の経済は、帝都をしのぎかねないほどに巨大で血なまぐさい。

 金貸しが多くいるというのはその証明でもある。

 トリアナンの荒っぽさは、御用商人ですら渡世人とせいにん顔負けの取り立てを行うことであろう。


 あこぎなことで知られるブリアーニ商会は歴史ある両替商なのだが、その当代は悪魔的な辣腕らつわんで人々から金を毟りとることから、毒蜘蛛と呼ばれ恐れられている。

 曰く、トリアナンの闇の部分を全て知る大悪党だとか。


 なめくじのようなガキ、過去を吐き捨てるよう表現したブリアーニは立派な髭をしごいた。

 紳士然としたブリアーニはトリアナンの顔役に相応しい品格がある。なのにどうしてか、女衒のような話し方をする。


 筆者が一等法務官として税務監査を行った際に、毒蜘蛛ブリアーニから頼み事と引き換えに聞き出した話を小説としてまとめたものが以下である。

 奇異で醜悪な内容であることを先にお断りしておく。



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 それはもう親父殿は厳しくて、あたしが御用商人の跡取りだからといって甘やかされたことなんてありません。

 丁稚でっちのように小突かれたほうがねえ、まだよかった。みんなの前で「出来損ないめが」なんて大声でやられて、随分とみじめでしたよ。

 跡取りに相応しい恰好をしろ、それも親父殿の口癖でして。

 ええ、ピカピカの服を着て怒鳴られるんです。こどもの時分なんて、あたしが泣くまで。

 親父殿に詰められて涙目なんてえ、誰が見てもあたしはボンクラ息子でした。

 使用人にまで軽く見られましてえね。友達もいませんよ。

 じめじめしてイヤぁな気持ちの毎日で、明日なんてきてほしくありませんでした。寝る前がイヤなんです。明日が近くなりますから。

 そんなことで、あたしはなめくじみたいなガキに育ちました。

 あら失礼、話がそれちまいましたァね。

 婆様ばばさまには世話になりましたよ。いまのあたしがあるのは婆様のおかげです。





 不幸な子供時代を過ごしたブリアーニは、長じるにつれて悪所通いが常となった。

 女遊びについて親父殿がうるさく言わなかったこともあり、十二のころには娼館しょうかんの常連になっていたというのだから相当のものである。

 悪所の男女はブリアーニをみじめにさせない。金で買ったものであっても、親父殿とは違い人間として扱ってくれる場所であった。

 当然のことながら、通えば金はなくなる。

 持ち金が尽きた折に、融通してくれる『オロチの婆様』と知り合った。

 オロチとは、山の民に伝えられる巨大な蛇の魔物であるという。

 そのような二つ名ともなれば、行いも推して知るべし。

 オロチの幅ざまがやる金の取り立てはたいそう厳しいものであった。

 娘を遊女にされるなどまだマシ。耐えかねて首をくくればその死体から衣服をはぎ取ったという。


 最初はびくびくと怯えながら金を借りていたブリアーニだが、何度も借金を繰り返すうちに気安く言葉を交わすようになった。

 婆様とそのような付き合いがしばらく続いたが、借りて返すを繰り返していれば金に詰まる。

 親父殿には内密にと土下座するブリアーニに対して、婆様はにたりと笑んだ。


「小僧、あたしの仕事を手伝いな」


 どのような悪事の片棒を担がされるのかと戦々恐々せんせんきょうきょうであったというのに、蓋を開けてみれば小間使いか鞄持ちであった。

 借財証文の詰まった蛇革の鞄をもって、婆様の言う通りにする。

 オロチの婆様は、噂ほどの悪事を働いてはいなかった。毒蛇じみた凶眼きょうがんでじっと見つめて、彼らに忠告するだけだ。


 お前の後ろ暗いところは全て知っている。


 どのような伝手があるのか、債務者の秘密を正確に言い当てた。

 騎士が決闘沙汰を金で解決したとか、商家の番頭が帳簿を誤魔化しているとか。どれも、当人でなければ知り得ないことだ。


「その古傷、あんたの兄貴を埋める時についたんだってえね。一緒に食べたエルフ麦は大層苦かったろうに、最後の最期さいごにわざわざそんなものをねえ。痛い腹は探られたくはなかろうよ」


 古風で婀娜あだな遊女のような口調で、老婆は薄暗い秘密を見てきたように語る。

 秘密で脅す卑劣なやり口も、地獄めいた瞳も、なめくじのようなブリアーニの好みにぴたりと合う。

 彼は一方的に婆様を慕うようになった。

 オロチの婆様もブリアーニを気に入ったのか、半年もすれば簡単な取り立てを任される。家業をどれだけ学んでも親父殿は怒鳴りなじるだけだが、婆様は「その調子でやりな」くらいのことは言ってくれる。

 ますます婆様になつくのも自然なことだった。


 オロチの婆様。

 なめくじブリアーニ。

 二人の間には、言葉にしなくても何かが通じるような、みじめさで結びつく呼吸と親愛のようなものが確かにあった。

 互いに口には出さずとも、母と息子のようになる。

 そんな日々が一年ほど続いた時、婆様は咳き込んだり嘔吐するようになった。

 年齢を考えれば無理からぬことだ。

 癒し手いやしてを呼ぼうとすれば、婆様に止められた。


「小僧、あんたァ今日限りでここに来るのはおよし。身体がよくなるまで、一人でいたいのさ」


 婆様の凶眼も、その時だけはなりをひそめた。


「それから、あたしは使いなんて出さないよ。いいね、絶対に、あたしに言われて来たなんてもんについていくんじゃないよ」


 婆様は何度も繰り返しそう言った。そして、ブリアーニを追い出してしまう。

 死を間近にした老婆は、ブリアーニにとって唯一の理解者だ。神に祈ったところで助けてくれそうにない悪人だとしても。


 悪所通いをやめて気の抜けたようになってしまった息子に対しても、親父殿は何も変わらなかった。

 使用人や番頭、丁稚までもが内心で彼をさげすんでいることがありありと伝わる。

 曇り空だけの日々に、また戻る。蔑まれるくらいなら、恨まれたい。


 いっそのこと、婆様の後を追おうか。

 そのようなことも考えていた三日月の夜に、使いは来た。

 いやに古い様式の皮鎧を身にまとう年若い女騎士である。いや、本当に騎士であろうか。

 あまりにも、その顔と手足はほっそりと艶やかで、遊女が戯れに騎士の扮装でもしているかのような。


「お迎えにあがりました」


 女の顔は死人のように青白く、吐息からはしかばねの匂いがした。

 どうして彼女が生家の部屋まで誰にもとがめられることなくやって来れたのか。そして、どのようにして婆様の住処へ向かったのか、判然としない。

 馬車に乗っていたような気もするし、薄暗い煉瓦造りの家々の隙間を通り抜けたような気もする。


 オロチの婆様は、吐しゃ物と血膿、糞便まみれの寝台にいた。

 誰も信用せず使用人も雇わない婆様は、垢じみて汚れている。これが悪所で恐れられた女であると、今の姿からは信じられない。

 婆様は、あまりにもみじめな死を迎えようとしていた。


「ああ、来るなと言ったのに、お前のことは息子のように思っていたのに」


 ブリアーニは婆様にすがりついて咽び泣く。

 婆様をとりあげないでくれと、神に祈る。


 女騎士はそんな二人を冷ややかに見ていた。その瞳にはどのような感情も浮かんでいない。


「ブリアーニ、あなたにはその女の金蚕きんさんを受け継ぐ資格があります。あなたが望むのなら、魂と財は受け継がれていくでしょう」


 女騎士の言葉にあるのは冷淡だけ。決められた言葉を繰り返すだけの役人のようである。


「やめておくれ。お前は幸せになるんだよ。あたしのようには」


 真実の息子となったブリアーニには確信があった。婆様は望まなくとも、これは共にいるために必要なことだと。家族の絆であると。


 だから受け継ぐ。

 

 女騎士に伝えれば、婆様の身体がびくんと弓なりにしなって、か細い断末魔を上げた。

 その口元から、大きな白い芋虫のようなものが出てくる。いや、芋虫ではない、頭の部分は美しい女の顔がある。

 虫の顔には婆様の面影があった。きっとこれは、婆様の若き日の相貌そうぼうであろう。

 それと目が合う。

 悲鳴を上げようとしたブリアーニの口に、虫がずるりと入り込む。


「相続はこれでなされました。次の相続の折に参ります。ではまた」


 女騎士の言葉だけがいやに冷たく響いた。





 次に覚えているのは、葬儀屋に婆様の遺体を引き渡したところだ。

 婆様の葬儀に訪れる者は少なかったが、婆様のため込んでいた金貨をはたいて盛大に弔った。

 奇異な行いとしてトリアナンの笑い者となった彼だが、その評価はすぐに逆転する。


 凶眼はブリアーニへと受け継がれた。

 親父殿は息子の変貌を成長と喜んだのも束の間、それを向けられたがさいご。怒鳴りつけることもできなくなった。

 このようにして、ブリアーニはボンクラ息子から冷徹でやり手の両替商となったのである。

 もはや、彼を軽んじる者は一人もいない。

 人の薄暗い秘密はいつだって婆様が囁いてくれる。腹の中から聞こえる不思議な声は確かに婆様のものだ。

 時折、死にたいという言葉も聞こえる。

 腹の中に住む芋虫となった婆様は、身体が溶けていく苦しみを味わうらしい。ああ、なんということをしてしまったのだろう。

 だけれど、こうも言う。


「お前はわたしの息子だよ。お前がいてくれたら、どんなことにも耐えられる」


 これが婆様なのか、それとも虫の言葉なのか。

 分からない。その時が来ないときっと分からない。





 まあ、このような話です。

 あたしは虫になりたくないし、婆様の苦しみもとりのぞいてやらないと。

 はははは、こんな話をさせるのですからあなたは酷い人だよ。

 その代わり、あたしの遺言状の件はよくよく頼みます。

 ええ、そう、間違いありません。

あたしがおっ死んだ後のことを頼みますよ。

ベイル・マーカス法務官、あなたが指定する誰かに商会は引き継がせてやってくださいな。ええ、あたしが死ぬその日をもってブリアーニ商会はおしまいで結構。

 親父殿は悲しむし、婆様には感謝されるでしょうよ。

 いまとなっては、あたしの望みなんてそれだけなんですから。




 語り終えると、ブリアーニは感情の籠もらない笑みを浮かべた。

 なかなかに興味深い内容で、記録をとるのにも熱が入ってしまう。

 彼は妻帯しておらず、子も成していない。明言はしていないが自らは男色家けつもどきであると、その言葉遣いで自己主張している節がある。

 誰も愛さなければ、それを引き継げないからであろか。


ブリアーニとの出会いは、筆者があのおぞましい金蚕きんさんに関わる最初の出来事となった。

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