第4話 ヤガテソコニ至ル


「それで、どこから話す?」

 カフェラテをひと口含んで、彼女が切り出した。

 まず、情報の共有をするというのが最初のプロセスらしい。だが、俺の持っている情報など無いに等しい。素直にそう言うと、彼女は大げさに驚いた。

「じゃあ、何も話してないってこと?」

「時が来れば話すつもりでいた」

 テーブルの下からメの声がした。

「それが思ったより早くて、予定が狂ったのさ」

「めんどくせーなー」

 彼女は頭をかきながら、俺をじっと睨む。そして溜め息を吐いた。

「分かった。じゃあ、最初から説明してやるよ」

 病院での騒動の後、とりあえず落ち着ける場所に行こう、という話になった。それで、彼女の行きつけだという喫茶店に赴いた。

 その道中も騒然としていた。あちらこちらで人々がまくしたてるように熱っぽく会話をしていた。殆どパニックのようだ。

 どれだけの人があのビジョンを見たのかは分からない。だが、頭のおかしい連中が主張していた極端な思想が、事実かもしれないという根拠の一端がもたらされたのだ。

 その中をメを連れて歩くのは気が引けた。だが、女子はどこからともなく家電の箱を取り出すと、それをメに被せ、さらに小型のキャリーカートに乗せて、悠々と歩き出した。

 確かにそれで、メの正体は隠せるだろう。気になるのはやけに慣れていることだ。既に分かっていたが、俺は彼女が只者じゃないことを再確認した。

 そもそも普通の人間では、俺みたいなおかしな物体が見えてしまう奴を助けることは出来ない。彼女は似た者同士と言っていたが、言い換えれば同類ということだ。つまり、彼女にもメのようなおかしな友達がいるのだろう。

「アタシも全部を把握出来てる訳じゃないけどさ」

 そう前置きして、彼女は話し出す。

「アンタはメって呼んでたっけ? 呼び方は何でもいいけど、奴らはアマビエって名前なんだと。元々予言をする妖怪として知られていたらしい」

「それが何で俺達の前に現れるんだ?」

 俺が聞くと、彼女は手で制し、「質問はあとにして」と言った。

「本来アマビエは人の前に現れたりしない。伝承とは違って、実際には予言をする訳じゃなくて、願い事を叶える存在なんだと」

 オカルトじみた話だが、伝承とは違う力を持つ、というのが気になった。

「それは力を利用される恐れがあるからだよ。願い事を叶えるって、要するに現実を都合よく変えるようなもんだからな。だからアマビエたちは自分の能力を予言と、伝承を書き換えたんだと」

 今度は伝奇みたいな話になった。聞いている分には面白いが、それが俺達とどう関係するのかはさっぱり分からない。

 彼女も俺が胡散臭そうな顔をしているのを感じたのか、軽く睨むような顔になった。

「ここからが大事なんだ。よく聞けよ?」

 彼女は勿体ぶるようにひと息ついた。

「実は、この世界は既に改変された世界なんだ」

 数秒の沈黙の後、俺は言った。

「は?」

 理解が追いつかなかった。それは本来あるべき歴史を辿らなかった世界、ということだろうか。SFに改変歴史ものというジャンルがあることは知っているが、自分の住む世界をそのように認知する、というのは歪な気がした。

「仮にそうだとして、そんなことどうやって分かるんだ?」

「アイツが言ってたから」

 彼女はこともなげに言う。アイツとは多分彼女のアマビエのことだろう。

「割り込んで悪いけど、君にもアマビエの友達がいるんだな? そして姿が見える?」

「ああ」彼女はこくりと頷いた。

「アタシのはダディって言うんだ」

「……」

 そう呼ぶに至った経緯は聞かないことにした。

「そのダディはどうしたんだ?」

「彼は今、力を使っている」

 答えたのはメだった。テーブルの下に隠れていたのに、気付けば俺の席の隣に座っている。

「お前、隠れてなきゃダメだろ!」

「今は大丈夫だよ」

 メに向かって怒鳴ると、彼女が諭すように言ってきた。

「何で?」

「ダディのおかげ。さっきのビジョンのせいで、アマビエたちは見えるようになった。彼らはそこかしこに偏在してる。でも、極端な思想の奴らは彼らを悪魔の手先だとか言ってるからね。襲われたら大変。だから、ダディが力を使って、アマビエたちを再度不可視にした」

 彼女の友達は強力なアマビエらしい。メも見習ってほしい。

「でも、長くは持たないみたい」

「そうか……」

 そこで俺達はもっともらしい話をしているようで、話に現実感が全くないのに気付いた。

「ダディの言うことだったら、君は信じるの?」

「そりゃ最初は半信半疑だったよ」彼女がまた睨んでくる。

「でも、そうかもって思える証拠がいくつもあったし、今じゃこの有様だしね」

 他のテーブルも騒がしかった。聞こえるのは決まってあのビジョンの話だ。TVでも奇妙な体験をした人がかなりの数に昇ることを報道していたし、ネットではそこに端を発したデマが次々と生まれていった。

 確かに大規模でおかしな事態になっているのだから、今なら絵空事じみた話にも信憑性を見出せそうだった。

「あのビジョンみたいなのは何だったんだ?」

 素直に疑問を口にすると、彼女は「それそれ」とでも言いたげに指をさしてきた。

「あれが元の世界なんだと」

「何だって?」

 思わず声が大きくなる。

「皆が真夏でもマスクをしているような異様な世界が?」

「そう。ビジョンというより、皆が元の世界の記憶を潜在的に持っているから、同じ光景を見えるんだとさ」

「元の世界ではパンデミックが起きたらしい。それは全世界に波及して、多大な犠牲者が出た。でも、それはなかったことになった。何故か分かるか?」

 俺にもようやく話が見えた。

「アマビエが世界を改変した……。いや、誰かがパンデミックのない世界を願って、それが叶ったってことか?」

「ご名答」

彼女は笑顔を見せた。

「だけど、そんな大規模なことが可能なのか?」

 たとえ願い事を叶えられるとしても、限界はあるだろう。

「問題はそこ」

 彼女は難しい顔になった。

「変えられた世界と言っても、正確にはまだ改変中らしい。願いが大規模すぎてね」

 皆がビジョンを体感したのも、この世界の改変が不安定になったためだという。

「とてもじゃないけど、世界そのものの改変は一体のアマビエじゃ出来ない。だから、世界中のアマビエがこの改変に関わってるらしい」

 日本だけでなく、世界中にいる妖怪というのは驚きだった。妖怪というより、偏在する物質のようなものなのかもしれない。

「今もアマビエ達は連動して、この世界の安定を保とうとしている」

「それを崩そうとしてる奴がいるってことか?」

 彼女は無言で頷いた。

「人間には良い奴と悪い奴がいるけど、残念ながらアマビエもそうらしい。さっきも言ったけど、アマビエは本来人前には現れない。願いを聞き届けたら、消滅するさだめなんだと。その理から外れたいやつが現れたみたいだ」

 溜め息を吐く。

「間の悪いことにそいつは人間のパトロンを見つけたみたいなんだ。陰謀論とか大好きで、その上金持ちって最悪なやつをさ」

「何をするつもりなんだ?」

「世界を元通りにするつもりらしい」

 これまた衝撃的な情報だった。

「元の世界って、パンデミック以外で問題でもあるのか?」

「ないよ。でも、その悪いアマビエに色々吹き込まれたらしいんだな。今の世界は欺瞞だとか、殺人ウイルスを使って攻めてくる国がいるとか、アマビエはその先兵だとか」

 彼女は呆れたように言う。

「何がしたいのか、本当は奴自身も分かってないかも。でも、悪いことにそういう話に乗っかっちゃう奴はそれなりにいるんだな」

 馬鹿げた話だが、腑に落ちる感覚があった。極端な思想を掲げて暴れる連中と言えば、随分前から世間を騒がせている。

「そいつが"お告げ"の連中の親玉ってことか」

「そういうこと」

 彼女は力無く頷く。

「世界の改変なんか起きてなければ、可哀想な奴らだと思っとけばいいだけなんだけどね。今は、とっても厄介だな」

 その通りだろう。あのビジョンが決め手になってしまった。あれで意趣返しし、彼等の主張を疑いなく信じる人々がSNSには溢れていた。

 極端な思想を前もって押し出していたのも、こうなった時のための下準備なのかもしれない。先手は既に打たれてしまった。

「そいつらを止めようとしてるのが、メとか君のアマビエってことか?」

 彼女はふっと笑った。

「思ったより、物分かりがいいじゃん」

「いや、正直何がなんだか分からないよ。でも、メは頑固だからな。口にはしないけど、何かをするために俺のところに来たんだろうな、とは思ってたよ。まさかこんなことに関わってるとは思ってなかったけどな」

「まあ、ともかく、殆どのアマビエは世界を安定させることに必死で、外からの干渉には無防備なんだ。だから、アタシとアンタのアマビエで事を運ぶしかない」

「だけど、一介の高校生に何が出来るってんだ? 武器もないし、腕っぷしにも自信ないよ」

「でも、パンデミック、ウイルスっていうヒントがあるよ」

 つまり病気にして、機能不全を起こさせるということだろう。

「奴らのとっておきは、アマビエの改変能力を増幅する装置だからね。それに何とかダメージを与えられれば、改変を成功させることが出来るかも」

「いやあ」

 途轍もない重荷を背負わされているのは自覚したが、どうにも気が進まなかった。いくら何でも自分の関わる領域を超えている。

「流石に俺には不相応な話だと思うよ」

 そんなことを言えば彼女はキレるかと思いきや、「そうだよなあ」と頬杖をついて遠い目をしてしまった。

 不思議な女だった。怖いヤンキーかと思ったら、話を聞くうちに、聡明で律儀な性格なんだと分かってきた。

「君は、やるつもりなの?」

 浮かんだ疑問をぶつけてみた。

「やるしか、ないのかも」

 視線は合わせずに、おどけるように彼女が言った。

「覚悟が決まってるんだ」

 素直に凄いと思ったが、彼女はこちらに顔を向けると、微笑んで笑う。

「そんなワケねーだろ。アタシにも後がないってだけ」

「後がない?」

 そう言うと、彼女は真顔になった。

「アタシ達、似た者同士って言ったじゃん?」

「ああ」

「それは改変される前の世界でも同じだったみたい」

 何を言っているのか、暫くは分からなかった。だが、これまでの会話を辿ると、自ずと答えは浮かんできた。

「パンデミックがなくなる世界を願ったのは、俺達だってこと?」

「そう」

「そんな……」

 パンデミックのない世界を願うような状況にいる自分。それは一体何を意味するか。

「それだけじゃない」

 呆然としている俺に追い打ちをかけるように彼女が言う。

「本当なら、アタシ達は元の世界では死んでるんだって。パンデミックにやられて」

「だから、世界が元通りになったら、アタシ達は存在できない。後がない、っていうのはそういうこと」

 












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