第3話 病院へ行こう!
「学校に行くんじゃないのか?」
ある朝、乗り込んだ電車が何時もと違う方向だと気付いたのだろう。メがそう指摘した。幸い周りには他の乗客がいなかったので、俺はボソッと呟いた。
「今日は病院なんだ」
「どこか悪いのか?」
「別に。月に一度の通院」
悪いのかもしれない原因は目の前にいたが、面倒臭いので端的に言う。
「何科に行くんだ?」
「精神科」
そう言うと、メは少し驚いたように見えた。
「幻覚が見えるようになったから行く、という訳ではないんだな?」
なんだか意味深な言い方だ。俺は少し考えてから言った。
「それも聞いてみようかな」
どんな反応をするか揺さぶりをかけるつもりで言ってみたが、メは無反応だった。そして、そのまま黙り込んでしまった。
怒ったかと思い、俺は「冗談だよ」と声をかけたが、言葉は返ってこなかった。
学校には復帰したが、あの動画がSNSにあげられて以来、俺とメはギクシャクしていた。
外にいる時は周りを警戒して、メに反応しなくなったりし、最近では逆に、メの方が俺の言葉に反応しなくなったりしていた。
その後もメはおかしかった。改めて謝罪をしても、「別に怒っていない」と言うだけ。何時もならしつこいぐらい話しかけてくるのに。
病院は外観よりもフロアが広く感じられる作りで、混み具合はそこそこだった。
待ち時間は日によってまちまちだ。その間は読書をするつもりで、いつも本を持ってくるのだが、今日はメと話すことになるだろうと思って持ってこなかった。
そのメは院内を興味深そうに見渡した後、「ちょっと失礼する」と言って消えてしまった。追いかけようかと思ったが、不審すぎるので憚られた。というか、奴は俺の所有物と言っていたが、主人からはどれぐらい離れられるのだろう?
することがないので、待合室で時間を持て余していた。
仕方なく正面にあるTVに視線を向ける。写っているのは報道番組だ。ちょうど映像が切り替わり、新しいニュースが流れる。が、見た瞬間に目を背けたくなった。何度も見たせいでうんざりするものがやっていたからだ。それは"お告げ"関連のニュースだった。
曰く、"お告げ"によって目覚めてしまった人々が籠城する事件が発生。政府に要求を主張したものの、警察によって制圧された、という内容だった。
要するに頭のおかしい連中が起こした事件なのだが、ここ最近頻発している。さらに恐ろしい事にはSNSなどでは彼らを支持する層が一定の割合でいる。世も末なのだろう。
"お告げ"によって、目覚めるというのがそもそもよく分からないと思っていたが、よくよく考えてみるとメが見えるようになった俺も彼らに近いのかもしれない。
今だって、結局メのことを考えてしまっている。これは依存というやつなのだろうか?
悶々としている内に名前を呼ばれた。
担当医とは随分付き合いが長く、診察時の会話もパターン化している。近況や、精神状態について話をして、大体終わりだ。だが、今日はそうはいかなかった。
担当医は中年ぐらいの痩身の男で、常に微笑んでいるかのように目が細い。いかにも争いごとには向かなそうだった。
いつもにこやかに対応してくれるが、今日は様子が違った。話をしている最中にも、貧乏ゆすりをしたり、両手を擦り合わせたり、何処か落ち着かない様子だった。
彼のそんな姿を見るのは初めてだった。だが、医者も人間だし、私生活で何かが起きたという可能性もあるだろう。俺は特に気にしない事にした。
大体いつも通りの手順で診察が進み、薬の処方箋も出してもらった。お別れの時間だと思い、俺は腰を浮かしかけた。
「……ところで」
「はい?」
医師の言葉で俺の動きは遮られた。妙だった。呼び掛けたと言うのに、彼は俺を見ていない。デスクに掌を組み合わせた両手を置き、その上に自分の顎を乗せている。何か思い詰めたような表情だった。
「ここ最近、何か奇妙なモノを見たり、或いは見えるようになったりしていないですか?」
「……えっ?」
核心をつくような質問に俺は固まってしまう。まるでメのことを言っているみたいだ。確かに近況報告でメの話はしなかったが、それは相手にされないと考えたからだ。
「いや、なってないですけど。何でそんな話を?」
すると、医師はふっと笑った。こちらを煽っているような、或いは自嘲しているような不気味な微笑み。
「失礼。確かに唐突なお話でしたね。最近、通院されている方の中に『変なモノが見えるようになった』とか、『見えている気がする』と主張される方が居ましてね。それも1人や2人ではないんです」
医師が俺に目を向けてきた。血走ったその瞳は、俺の知っている彼とは別人のものに見えた。
「妙だなと思っていたんです。ですが、実は最近、私も妙なモノが見えているような気がしてならないんです。他人には見えていないモノが、自分には見えているような……。貴方はどうなのかな、と思って質問してしまいました」
俺はいよいよ怖くなった。用は済んでいるので、さっさと辞去しよう。そう思って椅子から立ち上がった時、奴が現れた。メだ。
何処をほっつき歩いていたのか知らないが、最悪のタイミングだった。俺は見逃さなかった。奴の出現に医師が反応したことを。
「あ」
彼はぽかんと口を開け、細い目を精一杯見開いていた。
衝撃だった。俺以外にもメの姿が見える人物がいる。だが、次の瞬間、更なる衝撃が俺を襲った。
意識が突然ブラックアウトした、と思ったら目の前が真っ白になる。淡い輪郭のようなものが広がった。
さっきまでいた病院ではなかった。というか、現実に見ている光景ではないようだ。映像というかイメージのようなものだということに気付く。夢を見ている時のように、視界はぼやけている。
それは都会の光景だった。立ち並ぶ建物と、街を行き交う人々の群れ。日差しが照り付け、人々が半袖を着ている事から考えると、季節は夏らしい。
だが、その光景には何か違和感があった。夏だというのに何がおかしい。
しばらくして気付いた。夏らしさを妨げるモノ。それは人々の口元を覆うマスクだった。
皆が色とりどりのマスクを着けていた。サラリーマンも、学生も、ギャルも、高齢者も。
うちわで仰いだり、タオルで汗を拭う者もいるが、マスクは外さない。何とも異様な光景だ。それはまるで、何かを恐れているかのようだった。
眼前の光景が急に切り替わる。そこはさっきの病室だった。隣にはメ、正面には医師がいる。立ち位置が変わっていない事を考えると、一瞬の出来事だったらしい。
「今のは?」
誰にともなく言ったが、メはため息をついて首をふる。医師は呆然としたままだった。かと思うと突然、けたたましく笑い出した。
「見えた! 私にも見えたぞ! やはり本当だったんだ! 殺人ウイルスの存在は!」
「……ウイルス?」
物騒な言葉に混乱するが、どうやら医師も今のイメージを見たらしい。その中で皆が着けていたマスクが、医師の言葉と繋がった。イメージの中の人々はウイルスを恐れていたというのか?
そして、遅れて理解する。今のイメージこそが"お告げ"なのだ。"お告げ"はある日突然来るという。とあるビジョンを見ることがそれに当たるらしい。
誰にでも来るわけではないし、"お告げ"が来た人が必ずしも過激な行動をするわけではないが、活動に身を投じる割合も少なくないという。
"お告げ"界隈は怖いので、詳しく調べたことはないが、殺人ウイルスだの、核ミサイルだの、人類が終焉に至る危機についても言及されているらしい。
そして、街中の人々が、まるで着用を義務付けられているかのようにマスクをしている世界。彼らの主張の根本にはあのイメージがあるのだろうか?
「そして貴様は某国の先兵だな?」
イメージを見たせいで、思考に没頭してしまったが医師の言葉に現実に引き戻された。
どこから取り出したのか分からないが、医師は用意していたらしいモップをこちらに向けていた。よく見ると、その矛先はメを向いていた。
「先兵?」分からない事だらけで混乱する。
医師は不審げに俺を見る。
「アレを見たと言っていただろう。ということは、街中のそこかしこにコイツに似たヤツも見たはずだ」
俺は首を傾げた。同じイメージを見たのかと思いきや、人によって見えるものは違うのかもしれない。
ともかく医師の血走った目はメに向いており、モップが振り下ろされるのは時間の問題だった。とばっちりを食らわないように距離を取らなくては。
そんな事を考えていると、部屋の奥から看護師2人が現れた。
「先生、大変ですよ!」
駆け込んできた看護師たちは慌てた顔をしていたが、モップを構える医師を見て、悲鳴をあげた。
「何やってるんですか、患者さんに向かって!」
「……ええい! うるさい!」
看護師の悲鳴を聞いて、医師は一瞬パニックになったようだが、結局自分の信念に従うことにしたらしい。メに向かって、モップを振り下ろした。
だが、仕事に誇りを持つ看護師たちはこれを見過ごさなかった。2人がかりで医師に組みついて、動きを止めた。
彼女たちからすれば、医療従事者が患者を傷付けるというのはあってはならないことなのだろう。
医師と看護師たちの揉み合いに呆然としていると、片方の看護師から怒鳴られた。
「何やってるんですか! さっさと逃げてください!」
そうは問屋が卸さない。ここで逃げてしまえば治療費の未払いという後ろめたいことになる。
「だけど支払いが……」
「来られる時に来てください! その時にちゃんと請求します!」
激しい剣幕で言われ、慌ててその場を離れた。
「君は奇妙なやつだな。高校が何処か聞いているだけの人間から逃げたり、逃げるべき時に逃げなかったり。とても不思議だ」
走っていると、メの声が追いかけてきた。
「この大変な時に何処行ってたんだ!」
「定点観測だよ」
「こんな時にかよ」
「まあ、もう意味はないがな」
メの言葉に違和感を覚えつつも足は止めなかった。
そういえばあの看護師さんたちも「大変」と言っていたな、と気付いた。何のことだろう?
ロビーに出て、それは明らかになった。本来なら呼ばれるのを待つ人が静かにしている場だった。だが、今は騒然としていた。隣にいる人と何かをまくしたてたり、看護師に食ってかかっている人もいた。
俺はすぐに分かった。皆もあのビジョンを見たのだ。
ともかく退散しようと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。出口に向かおうとしている俺に気付いたらしい患者が、急に叫び声を上げたのだ。
「何アレ?!」
その声に釣られ、皆が一斉にこちらを見る。俺は固まってしまうが、皆の視線が俺ではなく、俺の腰の辺りに向けられている事に気付く。どうやらメを見ているらしい。振り返って見回すと、かなりの人間がメのことを目視出来ているらしい。
しばしの静寂の後、悲鳴が爆発した。甲高い叫びに襲われ、俺は耳を塞いだ。
「いったい何なんだ? お前は俺にしか見えないんじゃなかったのか?」
「時が来た、ということだ」
「何の?」
呑気に会話している場合でもなかった。メが見えている者たちはメを気味悪がって、逃げていくものもいれば、怒りの表情で近付いてくるものもいた。慌てて出口に向かうが、出口に陣取るものもいた。よく分からないが、一難去ってまた一難らしい。
気付いたら囲まれていて、どう動くべきか迷った。さっきからフィクションのような出来事が続いて、現実感がなかった。夢の中にいるようだ。
「逃げない方がいい」
メが唐突に言った。それは運命を受け入れろ、ということなのか。お前は疫病神だったのか、と問おうとしたところで、手を引かれた。
「何やってんだよ、馬鹿!」
何か柑橘系のにおいが香ったかと思ったのと、けたたましい音が響くのが同時だった。
俺の手を引いた人物は、玄関前に設置されている、長めの傘立てを倒したらしい。皆が飛び退くなか、俺はそいつに引っ張られるまま、病院の外に出た。
そのまま暫く走り、その途上で俺はブレザー姿の女子に腕を引かれていると気付いた。
息が続かなくなり、最寄り駅の近くで俺たちは足を止めた。
俺はへたり込み、女子は膝に手をついて、ゼイゼイ言っていた。助かったには助かったが、こいつは何者だろう?
「手間かけやがってよ」
しばし息を整えたのちにブレザーの女子は顔をあげた。俺は悲鳴をあげた。女子はあのヤンキーだったのだ。
「なんだよ、うっせーな」
「お、女?」
出来れば会いたくない人物に会ってしまったことと、それが女子だったことに更に衝撃を受けていた。よく考えると、声もやけに甲高かった覚えがある。
「見りゃ分かるだろ」
彼女は呆れたような目を向けてくる。
「だから、逃げない方がいいと言ったろう?」
メがこちらを見上げながら言う。
「何だって?」
「君は彼女を見ると、逃げてしまうからな。だから忠告したんだ」
メの言葉はどこか得意げに聞こえたが、ならばヤンキーは危険じゃないことをもっと早く教えて欲しかった。
俺は彼女に向き直った。
「ありがとう。でも何で助けてくれたんだ?」
そう言うと、彼女はそっぽを向いた。
「まあ、探してたからな」
「探してた?」
そう言えば、駅で姿を見かけて、追っかけられたことがあった。あれは偶然ではなく、俺を探していたのか。
「何で俺を探すんだ?」
彼女は俺の方を向いて、首を傾げた。何と言ったものか迷っているらしい。そこで、目線を落として、メの元へしゃがみ込んだ。
「似た者同士だから、かな」
怖い顔をしていたのに、メの前では微笑みを見せていた。俺は目を奪われる。彼女と、彼女がメを撫でたことに。
「触った?!」
彼女は見えるだけじゃない。メに触れることが出来るらしい。それは俺以上の異常者ということを意味していた。
彼女は俺に向き直って微笑む。さっきの言葉の意味はこれで分かっただろ、と言いたげに見えた。
彼女は言った。
「この後、時間あるよな?」
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