後編

会議室を片付けた後、コップにお茶を入れてデスクに戻る。


またあの顔面と見つめ合う時間が始まるのか...と少し憂鬱な気持ちになりながら、無表情の顔面を見つめてみるがやはり無表情。


この顔面に表情を求めている自分が少しおかしいのか?と思いながらも仕事を再開する。


彼女の仕事は数字を入力していく事だ。


売上、経費、給料、多種多様な数字をひたすら入力していく。


友人からはその仕事楽しい?と言われたが、給料も今の生活にも満足はしているし、今の仕事を辞めたいと思ってはいない。


しかし、単調な作業で楽しいと言われたら楽しくはない。


それとこの顔面と毎日にらめっこをする事には億劫さを感じている。


しかし、会社を辞める気にはならない自分もいる。


少し休憩でトイレに行こうと思い席を外す。


トイレの個室でスマホを見ると彼から連絡が来ている事に気がつく。


それだけでふふっと笑ってしまう。


連絡だけで自分の表情を変えてしまう彼の力には参ったものだ。


内容は明日の約束についてだった。


私が3日前から生理だと伝えるとお家デートにしようと提案してくれたのだ。


私としては生理の痛みなどは全くないので問題はないのだが彼なりに心配してくれた気持ちの表れが嬉しい。


ただ、1週間前から彼と一緒に行くのを楽しみにしていた新しくオープンしたカフェに行くことが今度になってしまうのは少し寂しい。


この月1の生理現象をコントロールする事が出来ればといつも思っているが叶わぬ夢だ。


ここは彼の優しさに甘えてお家デートでイチャコラしようかな。と菜々子は返事をするため親指を走らせる。


「ん??」


自分のデスクに戻ると今日一日憂鬱をプレゼントしてくれていた顔面が無表情でない気がした。


しかし、もう一度見つめてみたがそれは気のせいだった。


彼女は気分を変えるため、期限に余裕のある数字を入力する以外の仕事をする事にした。


そのおかげか気がつけば就業時間の5分前になっていることに気がつく。


「明日はお家デートだ!」


少しでも彼におもてなしができればとスーパーに行って買い物をして帰ろうと思う菜々子。


そんな事を考えていると就業時間となり今日1日不要なプレゼントをくれる顔面ともおさらばできる。


電源を落とし帰り支度をしている菜々子はふと例の画面を覗くと朝無表情だったものに明らかな明るい表情が垣間見ることができた。


菜々子はなぜその様に感じたのかは不思議でならなかった。


その顔と見つめあったがわからないままスーパーへと足を運ぶことにした。


寝る前の時間は菜々子にとって至福の時間である。


彼と一日あった出来事を話す。


たわいもない時間といえばそうなのだがそれが彼女にとって様々な効果をもたらしてくれるのを彼女自身が知っている。


今日あった事と言えば数字を打ち、同期達とランチを食べ、数字を打ち、画面の話をする。


自分でも何が楽しいのだ?と思う話題でも彼は相槌をして楽しそうに聞いてくれる。


菜々子も楽しそうに話す彼の一日を聞き、明日のデートの話をする。


彼は明日の夜家族でご飯の約束があり夕方には帰ってしまうようだ。


朝から菜々子の家に会いに来て夕方までいてくれる彼の優しさと彼の「早く会いた〜い」という言葉ににやけてしまう自分がいる。


長く話していると彼の眠そうな声が聞こえて来たと思うと、彼は脈略のない事を言い始める。


そうなると彼は睡魔にほぼほぼ白旗をあげた状態だ。


菜々子が彼を諭して電話切り寝る事にする。


電話を切った後、耳に残っている彼の声を思い出し、少し寂しい気持ちとなる。


「早く会いたいな…」心の声が漏れる。


しかし、この会いたいと思う寂しさがそれほど彼のことを好きなんだなと実感する事ができ、幸せを噛み締める事ができる。


菜々子は満たされる寂しさを胸に目をつぶる。


今日の朝は晴れやかだ。


顔を洗う水に冷たさを感じる。


色を塗るキャンバスも昨日と物は同じはずだが今日の色のりは違い筆が走る感覚も指先から感じとれる。


そして出来上がった作品を見て菜々子は感嘆する。


「うん!」


洋服も昨日から厳選した物を手に取る。


そうこうしているうちに彼がそろそろ駅に着く時間だ。


菜々子としては早く会いたいがために駅に迎えに行きたいが、菜々子の家と駅の距離では彼が先に駅に着いてしまう。


駅で待ちぼうけをさせてしまう事に彼は気にしないでと言ってはくれるが、どちらかというと待ちたい派の菜々子は申し訳なさともどかしさの2つを持ち合わせていた。


外は灼熱なほど暑い。


できる限り汗をかかない様にただできる限りの速さを足に乗せて彼が待つ駅へと向かう。


普段、会社に向かう見慣れた道だが今は違って見える。


彼が待っている。


ただそれだけにもかかわらず同じ道でさえ菜々子の瞳には初めてくる旅先での真新しい感覚を味わわせてくれる。


彼が自分の感性をここまで変えてくれるとは菜々子は彼に会いたい一心で足を働かせる。


これから一緒にいられるであろう時間は菜々子にとって短い。


おそらく1日の3分の1程度だろう。


しかし、その時間が菜々子にとって至福の時間である事に変わりはない。


菜々子は駅につくと、すぐさま彼の姿が目に飛び込んでくる。


菜々子は小走りでこれから始まる刹那的な出来事に高揚感と焦燥感を持ち合わせて彼に歩み寄り一言伝える。


「待たせてごめんねー!!」

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