体感時間

@Tanoue_okie

前編

朝起きてやる事など決まっている。顔面に蛇口水をあて眠りまなこを叩き起こす。


潮見菜々子の平日はここから始まる。特別な事をするわけでもない、その後は自分の顔面をキャンバスに見立て色を塗っていく。


純白でもなく昨日の自分が塗ったものに再度色を重ねる。白いキャンバスがなく他作の上に自作を重ねる昔の芸術家の様だ。


今日の作品も筆が走らない。

誰かに見せるわけのないキャンバスだ。進むわけもない。


作品作りが終わると衣装棚より今日着ていく洋服を見繕う。


彼女の会社はオフィスカジュアルなるルールがある。なぜかというと理由はよくわからない。入社した後に聞かさせる「女性はオフィスカジュアルだから」の一言。


しかし、彼女は洋服選びが得意とは言えない。


何が似合うのか自らの骨格を3つ診断したものを真剣に考えたことはあるが、自分の骨格に合う洋服を来てみるがどれもしっくりこない。まず、調べたタイプが本当に自分に合っているタイプなのか疑ってしまう。


その様な事を脳裏に放置し今日のオフィスカジュアルを選ぶ。


月曜に着た雰囲気と同じ様にも見える。だが、選び直す時間も気力も彼女にはない。


彼女を乗せて会社へといざなう列車はもうすぐそこまで来ている。

自ら行きたいと思うわけでもない。しかし彼女を待ってくれている列車のいる駅へと足を運ぶ。



会社に着くと彼女のやる事はまず機械の箱についてあるボタンを押す事だ。少しすると四角い顔面が明るく色づく。

自分のキャンバスもボタン一つでここまでなるなら楽なのだろうとくだらない事を考える。


彼女は仕事中その顔面と対峙する。


1日の3分の1もその顔面と向き合うわけだから勘弁してほしい。そんなに向き合ったら疲弊してしまうではないか。そんなわがままを思いつつも、彼女はその画面と向き合い始める。


「疲れた、、」と一言漏れる。案の定疲れてしまった。


この顔面は無機質で感情が読めない。そんな者ものと見つめ合うこの時間は正直どうかしている。


彼女はチラッと時計を見る。


驚いた。未だ短針を刺す数字が一つ増えただけだ。


彼女は短針が頂点を示していると思っていたから余計ため息が心の中で漏れる。今日は長い1日になりそうだと心に声をかけて再度向き合う。


相変わらず無表情を貫いている顔面と。



昼となると彼女は席を立ちコンビニへと足を運ぶ。コンビニの周りにはオフィスがたくさんありお昼は小綺麗な人たちでいっぱいになる。


どこかでお昼を食べに行く人、コンビニなどで済ませる人。


私はいつもコンビニで済ませる。


食べに行くところがあるわけでなく、お昼のお店の忙しさがあまり得意ではない。今日の昼ごはんは何を食べようかなと思い、ツナマヨとおかかのおにぎりを1つづつ、即席のお味噌汁のカップを一つ。


平日のお昼はこれくらいで済ませている。決して、ダイエットとかそうではない。


本当なら、唐揚げ定食とかもペロリと平らげれる胃の大きさは持ち合わせている。お昼にいっぱい食べても午後から眠くなるからあまり食べないようにしている。


決して、ダイエットとかそうではない。



お昼の時間のコンビニのレジは戦場みたいだ。終わりなき人並みを捌いていくレジの向こう側の人間が生物学上自分と同じ分類とは思えない。時々、揚げたての唐揚げを大声で宣伝する気力にすごいな〜と思う。


私じゃ絶対できない。


もし動物図鑑があるならば彼らが表紙となり、自分はページの隅の方にいる小動物の様な存在だろう。

しかし、図鑑に載るだけでありがたい。



お昼は同期たちと会議室で日々感じた事や取り止めもない出来事をコンビニに手に入れた戦利品を食べながら話をする。といっても同期達に「菜々子は喋る方じゃないもんね。」とお墨付きをもらっているように自分は彼女たちとあまり話す方ではない。


同期たちの話はほぼ恋愛話が多く「誠実な男性が良い」「この前会った男は自分語りでつまらない」などこちらから聞いてもいない言葉を浴びせられる。自分としては冬場に間違って浴びせられる冷水のシャワーの方がマシである。


「菜々子は彼がいていいよね~」と急に自分に声が浴びせられる。


「え?うん。そうだね。」まだ付き合って日は浅いのだけど、なぜか長く付き添っている様な感覚を与えてくれる彼だ。


「私も菜々子みたいに彼氏作ってキュンキュンした~い。」

「付き合ったばかりだから今のうちに楽しんでおかないとね!」と聞いてもない言葉が耳に入る。


「ははは。そうだよね〜。」と言うとお昼の時間が終わった。


「付き合ったばかりが楽しい」「楽しいのは今だけ」という謎の忠告はなんだろうと思う。もちろん、本人たちにはその気はないのだろうけど、自分の経験と他人の状況が同じになるとも限らない。


ただ、そうならないためにも気をつけようと反面教師を演じてくれているのだろう。そう考えたら優しい同期たちだ。


そんなことを考えながら自分のデスクに戻るため早く会議室を片付ける。ふと自分が話している間にもあの戦場で人を捌さばき続ける人を思い出した。彼らに何ができるわけでもないが、少し気持ちを込めて言ってみようと思った。


「ごちそうさまでした。」

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