第22話 そんな理由でスティングと敵対するのはさすがに嫌だ

 村の者たちに気遣われる間、いつもの鷹揚な表情を崩さなかったイレイダは、家に帰って一息吐き、姿見に映った自分の、いつまで経っても幼い顔を目にした途端、涙が溢れて止まらなくなり、なんとか笑顔を作ろうとするが、鏡の像がぼやけて見えない。


 十年前に夫ザビーニョが死に、その後を追うように姿を消した義弟ギャディーヤが、やっと帰ってきたと思ったら、今度は息子スティング失踪の一報を聞かされた。

 正直その原因を作ったらしいギャディーヤには、恨めしい気持ちがないでもなかったが、それを言ってどうにかなるわけでもない。


 スティングが父殺しの通称〈災禍〉を諸悪の根源と見定め、仇を討ちに出て行ったというのも、もちろん理屈では理解できるが、彼が返り討ちの危険性を考慮しているとは思えない。


 心配と寂寥、どちらが先行しているのかは、自分でもわからない。

 涙が止まっても依然頭がボーッとし、そのままの状態で諸事を熟していると、いつの間にか夕方になっている。


「!」


 玄関に訪問があることに気づけたのは、果たして何度目のノックだったのだろうか。

 半ば自失状態のまま、慌てて駆けるイレイダは、なんとか明るい声を出せた自分を内心で讃えた。


「はーい、どちら様でしょうか?」


 言いながら扉を開けた彼女は、しかし眉をひそめることを止められなかった。

 相手はみすぼらしいボロボロのローブを纏った、そのくせ体格はやけに良い、明らかに怪しげな男だったからだ。


 ラムチャプ家とラムダ村、どちらがどちらの由来なのかは不明だが、ラムチャプ家がラムダ村における、地主筋の家なのは、どうやら間違いないらしい。何度かは村長も輩出しているとか、生前に夫が言っていた気がする。


 それゆえか村の入り口の一つから、この家はもっとも近い位置にあり、旅の者が真っ先に訪ねてくるのは、このラムチャプ家と相場が決まっているのだ。

 スティングが居たときは、彼が門前払いを食らわせたりもしてくれたのだが、イレイダ一人の今となっては……。


「すまねぇ、お姉さん……道に迷っちまった。一晩だけでいいから、泊めてくれねぇか?」


 荒い息を吐き、しゃがれた声をしているが、十年前に遭った〈災禍〉のような、邪悪な気配を放っているわけではない。

 フードを被ってもおらず、露出した顔の目鼻立ちははっきりしている。


 自慢ではないが、イレイダは観相にだけは自信がある。

 なにせ親戚中に反対され、ほとんど逃げるようにこの家に嫁いだのだが、結局夫は死ぬそのときまでずっと最高の男だったし、今でも愛している。


 そして彼の血を引いたスティングは、どこへ出しても恥ずかしくない、ザビーニョの温厚と勇敢をそのまま受け継いだ青年に育った。

 だからこそ心配ではあるのだが、だからこそ心配はしていないというような、矛盾した思いがある。


 そのイレイダの直感が、眼前の男も危険ではないと言っているのだ。

 なので彼女は、にっこり笑って応じた。


「いいですよー。うちで良ければ、どうぞ!」




 その夜。ギャディーヤの兄嫁イレイダが寝静まってから、サレウスの黒犬はラムチャプ家の居間に音もなく顕現する。

 ソファに横たわる旅の者に近づき、寝たふりをする彼に話しかけた。


『来訪神ごっこは楽しかったか、ドラゴスラヴくん?』

「逆になんであんたから話通しといてくれねぇんだよ、俺が普通に拒否されたらどうするつもりだったんだ」


 赤い髪に橙の眼の龍人ズメウは、一っ風呂浴びて飯にありつき、偽装が剥がれたことで元の精悍さを取り戻している。

 イレイダに正式に紹介すると、きっと彼女に要らぬ気を遣わせてしまうので、陰ながらときどき気に掛け様子を見させるくらいでちょうどいいだろう、と当のフリー傭兵(のようなこともやっている放浪者)くんにも言っておいたはずなのだが……。


「ところで、スティングくんのママすげぇかわいいんですけど、聞いてないんですけど」

『おい、ドラゴスラヴ』

「童顔かつ年上の包容力ってなんなんだ、最強すぎるだろ」

『お前の性癖など聞きたくないのだが』

「ちょっと本気になっちゃっていい?」

『未亡人や間男という言葉は、使い方が難しいものだな』

「俺の固有魔術は」

『ドラゴ』

「しかし俺の」

『スラヴ』

「なんだよ!? うるせぇなさっきから! 下ネタ言うって決まったわけじゃねぇだろ!?」

『ではやはり下ネタを言おうとしたのだな』

「そうだけどよ! 冗談だろうが! 夫に先立たれ義弟が〈銀のベナンダンテ〉となり一人息子が仇討ちの旅に出ちまったばかりの女性と接するのは、あいにく初めてなもんでね! こう見えて俺も結構、神経尖ってんだよ! 取り留めもないことの一つや二つ言わせてくれ!」

『すまぬ……しかしお前は声が大きい』


 ようやく静かになったドラゴスラヴは、感慨深げに部屋を見回す。

 棚の上に置いてある埃を被った粘土細工は、トゲトゲ頭の変なやつを象っていて、土台に刻まれたタイトルは「おれ」とある。

 五歳くらいの頃の作品だろう。あるいは手ずからではなく、未発達の錬成魔術で作ったのかもしれない。


「スティングくんか……一度会ってみてぇな。場合によっちゃ普通に肩入れするぜ、俺は」

『そうだろうな……君はそういう男だ』

「褒めてるかそれ? 暗にアホって言ってる?」

『言っていない』

「そういや来月、枢機卿会議だろ? 俺もゾーラ行っていい?」

『駄目だ』

「なんでだよ」

『君が来ると絶対面倒なことになる……それよりもあれだ、ミレインとかに行くといい』

「厄介払いの雑さと露骨さすげぇな」

『ハロウィンには寮でパーティを開くそうだ、提案者は君のお気に入りの彼だぞ』

「……デュロンか……」

『しれっと参加すれば、案外バレぬかもな』

「一理……ねぇが、それも悪くねぇかもな」


 ドラゴスラヴが沈黙する。なにを考えているのか、サレウスにはわからない。やがて彼はいつものように、気まぐれに核心を突いてくる。


「なぁ、聖下。あんたの望むのは、どんな未来なんだ?」

『死にゆく私に、それを訊くのか』


 今度はサレウスが静寂を導く番だった。彼にしては珍しいことに、思ったことを素直に口に出す。


『君と同じ未来だと言ったら、信じるかな』

「だからこうしてここにいる。まぁ、見てな。あんたの考える『最悪』にはさせねぇさ」


 そう言ったきり、ドラゴスラヴは眼を閉じ、今度こそ本当に眠りに落ちた。

 頼もしいのだか、そうでないのか微妙だが、教会組織内での求心力を必然的に失う一方のサレウスは、外部の、しかも若い世代の力に期待するしかないというのが現状である。

 そしてそれは、思ったほど悪い気分でもないのだった。

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