第11話 最悪の妥協点

「くっ……!」


 自己申告通り、メルダルツが戦闘はからっきしというのは本当らしい。

 この距離まで近づいてしまうと、巨霊化や隕石招来を行おうとすれば、デュロンが魔力の兆候を読み取り、先手を取って刺すことができる。

 そもそもメルダルツはすでにかなり消耗している様子であるし、詰みと考えていいだろう。


 ギャディーヤが過去働いた悪業には、明かされるまでもなく察しはついていたが、どの道デュロンは立場上、彼が消えては困るのだ。

 それはサレウスも同じようで、口調にいささかの安堵が滲んでいる。そしてスティングは言うまでもない。


『よくやった二人とも……ではそのまま……』

「……やめろ。そいつァ筋違いにも程がある」


 おそらくメルダルツの抹殺命令を下そうとしただろうサレウスを、ギャディーヤが呟くような、しかし妙に響く声で制した。


「叔父貴……?」


 甥の呼びかけにも答えず、悄然と項垂れて、生気のない眼をして佇むギャディーヤは、ひどく小さく見える。

 平生の覇気はどこへやら、自嘲の言葉を吐き始めた。


「もォいい……自分の行状に追いつかれちまったんじゃしょうがねェ、潮時だったんだろう。幸い、挨拶は済ませてきてある……あれじゃァ少々味気ねェ気もするが、あいつなら納得してくれるはずだ……」


 ギャディーヤは膝を折り、五体を地面へ投げた。垂れ下がる長髪で顔は見えないが、影の中でせせら笑ったり、舌を出してはいないことは、人狼の嗅覚感知が保証している。


「メルダルツ、あんたの娘を殺したのは確かにこの俺だ。申し訳ねェことをしたと思ってる。本当にすまなかった」

「……なんのつもりだ?」


 鋭い声に刺されて反応するように、上げられたギャディーヤの顔は、死の恐怖に引き攣る筋肉を無理矢理動かし、虚勢の笑みを形成している。


「気にしてくれんな。こうする方が、俺が楽な気分で死ねるってだけだ。早くやってくれ……いや、そうじゃねェな」


 ギャディーヤは勢いよく立ち上がり、気力を振り絞って胴間声を張り上げる。


「やれるもんなら、やってみやがれ! 生半可な威力じゃァ、この俺を殺すこたァできねェぞ! 出し惜しみせず、最大威力で落とすこった!」


 この状況をこれ以上続けるのはまずい、とデュロンは歯噛みする。

 いきなりこんな場面に立ち会わされる羽目になった、スティングの精神面が限界を迎えつつあることが、彼の震える手だけで察せられたからだ。


 なにか考えがあるのか、サレウスの犬たちも動こうとしない。

 まさか本当に今、ギャディーヤの処刑が始まるのか?

 しかしデュロンのその危惧は、他ならぬメルダルツによって否定された。


「……二人とも離れてくれ。そんなものを向けられていては、話の一つもできやしない」


 先ほどまでの殺気を失ったメルダルツの声に自然と動かされ、デュロンとスティングは彼の言う通りにした。

 メルダルツは夢遊病のように頼りない足取りで数歩前に出るが、魔術を行使する様子はない。

 娘の仇と正面から視線を交わした彼は、数拍置いて、ゆっくりと口を開く。


「ギャディーヤ・ラムチャプ……貴様なりの誠意は理解したつもりだ」


 まったく温度のない口調と表情の中で、当然だが彼の怒りは、まったく変わらず燃えている。


「その上で寸毫たりとも、私の腹は癒えない。なので少し、やり方を変えようと思う」


 まずい流れだ、と頬を汗が伝うが、デュロンにはこの場において決断を下す権利が、この場の他の誰よりも乏しい。

 サレウスやギャディーヤの指示に、そしてメルダルツの方針に従うしかない。


「こうしよう。この場はひとまずお開きにして日を改め、明朝六時、もう一度この場で会おうじゃないか。もちろん今と同じように、スティングくんやデュロンくんや、教皇聖下の使い魔たちを連れて来ても構わない。私は君らや君らの村から距離を取り、森の中で野営でもして過ごすことにするよ。眠れるとは思えないから、一晩中星空でも眺めていようか」

『要求は……?』


 これが交渉だと気づくのにも、デュロンの頭はいささか遅れを生じた。

 サレウスの端的な申し出に対し、メルダルツは笑みすら浮かべて応じる。


「なに、簡単なことだ。明朝まで待てないというのなら構わない、たった今からいつだって、私に会いに来てくれればいい。遠慮することはない。私の命が危ぶまれた瞬間、ギャディーヤくん、私は君が言う通り最大威力の隕石をラムダ村の真ん中に落としてやる」


 息を呑むことすらままならない。メルダルツがやけに近距離で使うので失念していたが、奴の固有魔術の本領は、重力により星屑を引く、圧倒的な遠距離攻撃なのだ。


「今この場で勢いに任せて殺してしまうのは、どうにも口惜しく思えてきてね。明日の朝になったら、ギャディーヤくん、君の口から選んでほしいな。私としてはもう、どちらか一方でいいんだ。君の頭上か、君の故郷の村、私が隕石を落とすのはどちらがいいか、君が決めてくれればいい」


 ギャディーヤの答えは変わらないだろうが、一度決めたはずの覚悟は揺らぎ、恐怖が再来するだろう。死刑執行を宣告しておくから、せめて一晩だけでも苦しんでくれということらしい。本当はいくらでも長引かせたいはずだが、サレウスが黙っている期限は、せいぜいそのくらいだと踏んだのだろう。


「もちろん私に都合良く心変わりを起こさせる素敵なアイデアが浮かんだら、そのときに発表してくれてもいいよ。まあこんなところかな。では諸君、良い夢を」


 言うことが終わったらしいメルダルツは、悠々と背中を見せて、森の奥へ去っていく。

 むしろすぐにでも刺されることを期待してすらいるのかもしれない。

 そうなれば死ぬ間際、彼は宣言を実行に移すだろう。


 どうもデュロンは思い違いをしていた。むしろこれほど復讐向きの能力もないかもしれない。

 天から降り注ぐ大規模破壊という蓋然性は、特に相討ちに際してこそ、死にゆく術者に想像の余地を許してくれる。


 仮に失敗に終わったとしても、命を落とすメルダルツがそれを知ることはない。

 今際の際に消えゆく意識の中で、見事に消し飛ぶラムダ村を思い浮かべれば、いささかなりともスッキリした気分で死ねるだろう。


 ギャディーヤがどんな顔で絶叫するか、スティングやデュロンがどんな絶望の表情を晒してくれるか、サレウスがどんな気休めを吐くか、そこではすべてが自由となる。


 しかしもっとも大きな問題は、本当にメルダルツがそれを実現する力を持っていることだ。


 緊張の糸が切れたのか、ついに耐えかね失神するスティングに対し、デュロンができるのは肩を支えることくらいだった。

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