第10話 其は妖精の敵を裁く者なり

「アンタ、何者だ……?」


 聞き覚えのない声に対し、デュロンが尋ねると、自己再生が終わったばかりのギャディーヤが、常にない細い息で口にする。


「サレウス……一世……」


 その名が当代教皇だと、さすがのデュロンも知っている。

 メルダルツも多少は面食らったようだが、威光に臆するどころか、その怒りに薪を焚べるだけに終わったようだ。


「なるほど、つまりそれがジュナス教会の公式見解というわけだ。あなた方の神を、そこまで信じていたというわけでもないが……さすがに失望させられる。聖下、敢えて言わせてもらいます。罪科つみとがある者を囲い、都合良く使い潰すあなたに、もとより守るべき晩節などない!」


 とうに決死の覚悟があるのだろう。横行する〈銀のベナンダンテ〉という労役制度に、真っ向から異を唱える者を、デュロンはベルエフ以外で初めて見た。しかしサレウスは特に気分を害した様子もなく、ただ認識の相違を指摘していく。


『勘違いしてもらっては困る……私が得るべき名誉は、終末に瀕するこの世界を繋ぎ止めた、ジュナス教会最後の教皇、というものだ……「最後にして最悪」でさえなければ、ひとまずそれで良しとする……そして救うべき民草の中にはメルダルツ、お前も含まれていよう』

「それは良いことを聞いた。では私を救う方法を提示しましょう。今すぐ時間を遡り、その男が私の娘を殺す場面に居合わせて、犯行を止めてこい! 私がこの命一つ拾うことが、なんらの利になるとでも!? あの子のいない世界など、いつでも滅びて構うまい!!」

『それは良いことを聞いた……命が要らぬというのなら、話は早いというものだ』


 ジリ……とメルダルツへ距離を詰める二十頭の黒妖犬ブラックドッグが、もとより逞しいその体躯を、さらなる筋骨隆々に変貌させ、口からは漏れ出る地獄の業火が垣間見える。

 これではもはや一頭いれば、悠に紳士の頭を噛み砕き焼き潰せようものを、教皇聖下の慎重さには、皮肉抜きで頭が下がる。


『礼にこちらも、もう一つ良いことを教えよう……後ろに控える十頭の膂力があれば、ギャディーヤの重量を担いで走れど、さほどの鈍足にはなるまい……この意味はわかるはずだ』


 メルダルツが黙して語らぬのをいいことに、サレウスは勝手に情報を開示していく。


『先日新たな虜囚に対し、同じことを言って聞かせたのだが……固有魔術の認定部門もまた、私の掌握下にある機関の一つだ……ギルベルト・メルダルツよ、お前の〈占星術師スターゲイザー〉による隕石の招来は、発動から着弾までおおよそ一分間のラグを……そして発動から次の発動までに、おおよそ三分間のインターバルを抱えている……』


 シンプルな効果に、シンプルな名前……典型的なヤバいタイプの固有魔術だ。

 とはいえサレウスの言う通り、大きな欠陥がある。

 在野の一市民が持つには大きすぎるその力は、やはりそれなりのリスクを術者に強いるということなのだろう。

 強力なのは間違いないが、それゆえ逆にあまり復讐向きの能力とは言えないかもしれない。

 仇を討ったと確かめることができなければ、それこそ永遠に生ける亡霊となり、荒野を彷徨うしかなくなるのだから。

 そんなことはわかっているはずだが、メルダルツは気の抜けたため息を吐くばかり。


「結局は力による支配……あなた方のやり方はよくわかりました」


 しかしすぐさまその眼には万丈の炎が盛り、開いた口が喝破する。


「ならばその流儀に従い、押し通るまで!」


 突如として風が吹き荒れ、彼の五体が膨れ上がったかと思うと、体長五メートルはあろうかという、上半身裸の白き怒れる巨人となる。

 その剛腕の一振りで黒犬どもを吹き飛ばし、叩き潰した。


 サレウスの元へ召還されているのか、妖精界に帰っているのかわからないが、一動作で数頭の犬が容易く消される。

 呆気に取られる三人の足元で、サレウスが同期リンクしているらしい一頭が、驚くほど冷静に声を掛けてくる。


『よく見ておくといい、デュロン・ハザーク。あれが世に名高き巨霊精スプリガンだ』

「妖精たちの守護者……そして俺たち魔族の中でも、最強種族に数えられることもあるっていう……」

『そうだ……まったく生半可ではないな』


 次々に数を減らしていく使い魔たちを、憂うでもなく静観する教皇。


『彼らが持つ種族共通の技能に、巨霊化というものがある……今、メルダルツが行使しているのがそれだ……彼らは巨人の幽霊であり、体の大きさを自由に変える能力を持っており、怒ると筋骨隆々の姿となって地面を揺らす……今一つ互いに噛み合わないこれらの言説をすべて部分的な真とするなら、彼らの本質となる解を導けるか……?』


 さっぱりわからないデュロンとスティングに代わり、ギャディーヤが口を開いた。


「……あの白い巨体が膨れ上がるとき、上半身の服が弾ける様子がなかった……対して下半身は元の大きさのままで、明らかに重量のバランスが悪いように見えるが、それも実体ならの話だ……つまりあの白い部分だけが霊体なんじゃねェか……? 半分程度幽体離脱して肉体を覆う、いわば霊的な鎧ってとこか……霊感なんざねェはずの俺たちの眼にも映るってこたァ、可視化しうるほど濃度が高いか、威圧のために可視化しているかのどちらかだろうな……」

『ご名答……霊能と呼ばれるものを持つ者には私も何度か会ったことがあるが……ポルターガイストという現象が示すように、どうやら霊というものは、この世への物理干渉が可能なようなのだ……』


 二人の見解に驚きつつ、デュロンの頭にも閃きが訪れていた。メルダルツはこの巨霊化で自分の肉体をガードすれば、敵を自分ごと隕石の標的にしても、彼だけ生き残る目が出てくる。固有魔術の遠隔攻撃と撃ち分けができれば、そしてどちらも実戦水準まで鍛え上げれば、その隙のなさは確かに最強と呼ぶに足るものなのだろう。


 しかし巨体を維持するため、多くのエネルギーを消費するというのは、肉体でも霊体でも同じなようで、長時間の連続使用は、少なくともメルダルツに関してはできないと見える。

 都合二十の黒犬を倒したメルダルツは元の大きさに萎み(正確には霊体が引っ込んで本体が露出し)、本体は険しい顔に汗を掻き、鼻から血が流れている。

 魔術は思念の力、無理が祟って脳に負担がかかっているのだ。自前の再生能力の範疇から漏れ出るほどに。


『手数を消費した甲斐はあった……』


 サレウスの独言を後方へ置き去り、デュロンはスティングと同時に駆け出す。

 片や部分変貌、片や固有魔術で指先から鉤爪を生成した二人は、二手に分かれてメルダルツに肉薄し、両側からその細い首に寸止めで突きつけることに成功した。

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