第7話 走れギャディ公

 十年前、ラムダ村を一つの影が訪ねてきた。

 黒だか灰色だかのローブを着て、フードを目深に被っていたため、人相風体どころか性別すら判然としない。

 ただ背丈はそれなりにあり、スティングによると、今の彼より少し低い程度だという。


 といっても八歳児の記憶なので、もう少し範囲を広く見ておいた方がいいのでは? というデュロンの意見に、他の二人が頷いた。

 なので身長は仮に百八十センチから二百十センチとする。

 もっともそこは変貌能力などもあるので、あまり深くは考えない方がいいかもしれない。


「……あいつのあの独特の気配を、俺は今でもはっきり覚えています。

 上手く説明できないんですけど、もう一度肌で感じれば、特定できる自信があるくらい、鮮明に残っているんです。

 なにもないようで、その奥に得体の知れないなにかが潜んでいるような……」


 とにかく母親の陰に隠れたスティングは、突然現れた正体不明の余所者に、警戒しつつも声を掛けながら近づく父ザビーニョの後ろ姿を、頼もしく見守っていたのだという。

 だがすぐに悲劇は訪れた。影が放った謎の攻撃により、ザビーニョは大鬼オーガのタフな肉体と再生能力を容易く貫く致命傷を受け、凄惨な死を迎えたのだ。


 その遺体は穴だらけの血だらけで、とても正視に耐えるものではなかったそうだ。

 他の住民たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、恐怖と絶望で失神する母を支えながら、スティングはそのまま立ち去る影が、ボソリと呟くのを確かに聞いたという。

 いわく、『違う、お前じゃない』と……。


 スティングの話を聞き終わったメルダルツは、まずは礼を言った後、彼自身の事情も少しだけ口にする。


「私も娘を亡くしている。その報いをどこへ求めるべきか……私なりに調べ回った結果、君の村に行き着いたわけだが……スティングくん、君もそうなのではないかな?」


 デュロンが視線を向けると、スティングはメルダルツに向かって頷き、デュロンに向かって話してくれる。


「俺も最初は怖くてひたすら忘れようと思ってたんだけど、成長して力が身につくにつれて、やっぱりどんな奴なのか突き止めたくなった。そしてあわよくば、ブン殴ってやりたいとね。ここ数年は家の畑を手伝いながら、時間ができたら色々な街へ行って、目撃情報なんかを集めたりしてる。だけどいまいち要領を得ないんだ」

「〈災禍〉の正体は諸説あり、その大半は眉唾物の与太話が占めているからね。デュロンくん、君も一つくらい聞いたことはないかい?」

「あー、確か……受肉した救世主ジュナスが地上を歩き回ってて、信心の足りねーしからん奴を成敗してるとか、神の正義に反する行いに裁きを下してるとか、なんとか……」


 どうやらその諸説の中でも一番の与太を引き当ててしまったようで、メルダルツとスティングを揃って苦笑いさせてしまった。


「受肉していること自体は有り得なくはないと言われているけど、実際は逆に、彼に命を救われたというエピソードが、最近でもチラホラとあるらしいね。〈恩赦〉の延長として、私たち魔族をときどき陰から助けてくれているとか、いないとか」

「でも、神の意思を疑う声自体はあるんですよね、メルダルツさん。ほら、なんだったっけ、あの……アスパラガスみたいな名前の……」

「アスティリタのことかな? あ、違う、オスティリタだったか」

「それです! 神の命令で動く悪魔だか天使だかが、ジュナス教に関係深い都市で目撃されてるんでしたっけ。あと〈聖都〉ゾーラには、そのオスティリタにそっくりな魔族がいて、そいつこそ〈災禍〉の正体だっていう……」

「そこまで行くと本当にただの都市伝説だけどね。近いものだと、ゾーラで教皇庁の守りを固める最上級の聖騎士たち……〈四騎士〉の一人である、死を司る〈青騎士〉の仕業だとも言われている。フードを目深に被り滅多に顔を見せないが、教会上層部は皆その顔を知っており、知っているからこそ彼を恐れるのだとか」

「あとはもうシンプルに、人間たちの怨念が集合体となり彷徨っているとかですかね」


 根本的な疑問が芽生えたデュロンは、遠慮がちに俎上に乗せてみる。


「仮に一人の人物の犯行だとした場合、そいつの目的はなんだ? さっきスティングの話で、そいつが特定の相手を狙ってるようなことを言ってたよな? 無差別じゃねーなら、どういう条件が考えられる?」


 スティングの父ザビーニョとメルダルツの娘エレンの基本情報が擦り合わされるが、年齢も性別も種族も出自もまったく異なることがわかっただけだった。

 強いて言うなら二人とも生まれ持った魔力の属性が雷霆系だったことが、共通点といえば共通点ではあるが、ありふれすぎているため、狙われる理由に結びつくとは考えにくい。


 これ以上この三人で話していても埒が明かない。おそらく三人ともが考えていたことを、提案したのはメルダルツだった。


「古傷に塩を塗るようで申し訳ないのだけど、君の村に行って、他の住民の皆さんにもお話を聞かせてもらうことはできないかな?」

「もちろん、俺から話を通します。俺も改めて気になっているので。手がかりが見つかるかわからないですけど、いずれにせよもう日が暮れそうですし、良かったらうちで夕食でも……あ、そうだ」

「どうしたんだい?」

「メルダルツさん、歩きながら話しましょう」


 幸い肉は一角兎アルミラージが丸々一頭手に入った、結構大きいので食いでがある。肩に担いで引きずりながら、デュロンが話も先導する。


「あの人ほんとめんどくせーからな、あんまり遅いと拗ねちまうぞ」

「あはは……なんか酒持ってたみたいだから、もう出来上がっちゃってるかもね」

「もしかして、先客を待たせてしまったかな? それは失礼したね」

「いやいいよ、待たせときゃいいんだよ、あの大人気なさの化身みてーなオッサンは」

「俺の叔父さん……さっき話に出た亡父の弟さんが、近くに帰って来てるんですよ。俺が小さい頃は、父より俺と遊んでくれ……ん?」


 急に紳士が足を止め、後方で置き去りになってしまったので、スティングが不思議そうに顔を向ける。


「あれ……メルダルツさん?」


 デュロンにはその理由がわかった。木立ちを抜け、開けた場所に出たことで、焚き火の前に座り込む、見間違えようのない巨体が視界に入ったからだ。

 しかしそれだけにしては、立ち止まったきり動こうとしない、メルダルツの様子がどうにもおかしい。

 帽子の下に隠れた表情が伺い知れず、嗅いだことのない感情に噎せ返りそうになる。


「……なんということだ……こんな偶然があるものか……お世辞にも信心深いとは言えない性質たちだが、神の思し召しというのは、こういうことを言うのかな……」


 デュロンは気づいた。メルダルツは「私の娘は〈災禍〉によって死んだ」とは一度も言っていない。一方でデュロンとスティングにそうと勘違いさせる言い回しをしていたのも事実だが、それは二人を騙すためではない。二人の、特にスティングの心を気遣い、穏便に済ませるために真意を隠しただけだったのだろう。


「いや、果たしてこれは幸運なのだろうか……せっかく折り合いをつけるべく、元を辿ればということで、を代行してやることも、やぶさかでないとまで思えるようになっていたのに……慕う兄の死が貴様を狂わせたのだと、吐く血を呑もうと苦心しているというときに!」


 メルダルツは必死で彼自身をなだすかして、憎しみの連鎖を一つ繋げるのでなく、一つ遡ることで溜飲を下げようと考えたのだ。なので直接憎しみをぶつける相手が不在だと確信していたからこそ、こうしてラムダ村を訪れることができた……はずだったのだが、よりによってまさにその日に……。


「気が変わった……やはり娘を殺したギャディーヤ・ラムチャプ、貴様を私がこの場で誅滅する必要があるらしい。

 復讐するは我にあり……他ならぬ私こそが、貴様に裁きを下す神なのだ!!」


 それはメルダルツがギャディーヤに敵わず、臆するゆえではない。むしろその逆だ。ギャディーヤを殺せる力を持っているからこそ、メルダルツはギャディーヤを避けたかった。


「その場を動くなよ……被害を広げたくないのなら!」


 だがもう遅い。デュロンは今一つ理解する。こうして長々と喋っているのは、内容こそすべて本音だろうが、「今から攻撃を始めます」という悠長な予告ではない。

 その気迫により全員を釘付けにしつつ、時間稼ぎを行なっていた。


 察するに先ほど立ち止まった時点で、メルダルツは固有魔術を発動していたのだ。

 それもおそらく、術者を殺しても止まらないタイプのものを!


「走れ、ギャディ公! 死ぬぞ!」

「!?」


 デュロンの叱咤を受け、頭上に影が差すにあたり、ようやく事態の把握に至ったようで、ギャディーヤは重い腰を上げて逃げ始める。

 デュロンとスティングは示し合わせるまでもなく、全速力でその広い背中に駆け寄り、両掌で力一杯、効果範囲の外へ向かって押し込む。


 ギャディーヤは巨体のわりにフットワークが軽い方だが、それでも間に合わない!


 直後、ギャディーヤが当たっていた焚き火を中心とし、地面に半径約二百メートルのクレーターが穿たれた。

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