第4話 死神だろうと決められぬ

 1559年の11月が終わるまでに……ということらしい。

 教皇から使い魔を通して発せられる、名状しがたい静謐なオーラは、己の死を覚悟するゆえか。

 その自若とした態度は宗教指導者としての精神修養から来る賜物なのかと思いきや、どうもそう清いものではないようだ。


『そこにいる私の使い魔の姿が、私の本質を示していると言っていい……魔族時代の新秩序を切り拓き、またそれを維持するため、私の手がどんなにか血で汚れているかは、私の犬たちが知っている……付いた渾名が〈死教皇〉だ……もちろん、陰でしか呼ばれぬが……しかしその私が本物の〈災禍〉によって寿命を縮められるとは、我ながら滑稽極まる』

「〈災禍〉……ってことは、やった奴の正体はやはりわからねえんで?」

『いや……刺客は私の眼前に現れ、堂々と術を掛けていった……人相風体もはっきりと覚えている……我々が奴をなんと呼ぶべきかもわかっている……この世界でもっとも外道で邪悪な、あの悪魔めを』

「なっ……!? なら、そいつを……」

『いや、言えぬ……その名を口にしてはならんのだ、ミウルドよ……奴を告発することはできるが、それによってこのジュナス教会、それにより下支えされているこの社会がどうなるか、それこそ私には予測がつかない……』


 たとえばジュナス教にはオスティリタという名の、天使とも悪魔ともされる存在がいると言われている。

 人間を害し、また誘惑することで神への信仰心を試す必要悪らしいが、人類滅亡後こいつがどうなったかは判然としない。

 そして〈災禍〉はゾーラとミレインで発生件数がもっとも多い。ことによるとそいつの犯行なのでは、という説は比較的根強い。

 ミウルドがなけなしの知識を探っている間に、サレウスの独白は次の段階に入っていた。


『よく言われることだが、世界の死は自己の死と同義であり、また逆に自己の死は世界の死と同義である……つまりはそういうことだ……』

「え、えーと……」

「聖下よォ、あんたの言い草は詩的すぎてすこぶるわかりづれェってことに、そろそろ気づいてもらえると助かるんだがなァ」

「わたしはパパのその、まどろっこしくて教養深いのをひけらかしがちなところ、好きよ!」

「それ褒めてるか……?」


 サレウスは虚飾の罪を自省したようで、猟犬どもの諫言に従い換言した。


『こう言いたかった……果たしてお前たちは、私の葬式など出している暇があるかどうか』

「約一年後、パパの死をきっかけに開かれる教皇選挙を含む一連の流れ……あるいはそのとき任命される新教皇の手によって、この世界そのものが存亡の危機に瀕するかもしれないってことね」

「通訳ありがとよォ、レミレ」

「どういたしまして♡ きっと説教で寓話を用いすぎた弊害なのよ、これも職業病の一種でしょうね」


 サレウスは聞いているのかいないのか、マイペースに話を続ける。


『私に掛けられたのはしかし、時限発動の呪いなどという高度で洒落た代物ではない……ただ致死性攻撃の効果を遅延させられているだけなのだ……いわば断頭台の刃はすでに落とされ、私は確定した死の中で猶予を与えられているに過ぎん……お前たちと同じだよ、私はもはや、亡霊なのだ』

「あァ、またアレだな。最近よく聞くよなァ、〈支払猶予グレイスピリオド〉ってヤツ」

長森精エルフの血有魔術か……そういうもんを気軽に織り込めるくらい、刺客は練達してやがるってことだな」


 教皇のしんみりした語り口に、場の空気まで中てられそうになったところを、おそらくは意図してギャディーヤが混ぜ返したので、ミウルドもとりあえず乗ってみたが、やはり約束された死が落とす影は相殺できなかったようだ。

 レミレの大きな眼から涙が溢れ、静かに嗚咽を漏らし始める。

 忠誠も服従も仮初とはいえ、サレウスを慕っているのは事実のようだ。

 大鬼に慰められる妖精を、黒犬の赤い眼がまっすぐに見つめて諭す。


『よい……よいのだ……一方で問題は、私は今まだこうして生きている……おそらく奴ら自身がそれなりの準備期間を要するためだろう……すなわちこの猶予は、奴らにとっての猶予でもあるのだ……当然私にもできることは残っていようが、私は〈死教皇〉サレウス、神の思し召しと称した手荒なやり方しか知らぬ……私が教会の部下たちにも、そしてお前たちにも遺せるものはなにもないが、せめて奴らの副官くらい砕いておきたい』


 ことここに至り、ミウルドは眩暈を覚えていた。とんでもない死命の切所に足を踏み入れてしまったと、今さら後悔しているわけではない。世界を救う英雄になれる、というよりならざるを得ない因果というものが、まさか自分に巡ってくるとは思わなかったのだ。


『ミウルドよ、自分でわかっているだろうが、お前の能力は潜入暗殺でこそ、その真価を発揮する……私が果てるとき、処すべき相手を示したらば、お前は私の……』

「みなまで言わんでくださいよ、聖下」


 さっきの今で忠誠心が生えてきたわけでもないが、柄にもなく殊勝な言葉が転がり出るのを、ミウルドは自嘲する。


「俺をなんだと思ってんです? 薄汚え出来損ないの盗賊風情だぜ? そいつが〈死教皇〉の命を受け、本物の〈災禍〉にとっての〈災禍〉と成り果てることができるとすりゃ、こんな僥倖はなかなかあるもんじゃねえ。謹んでお受けいたしますとも。ただ、前金は弾んでくれなくちゃ困りますがね」

『約束しよう……そして途中で放り、逃げても誰も責めぬ』

「そりゃ、逃げる道も責める奴も全部滅びちまうんじゃ世話ねえからな……なんとかやってみるよ」


 話がまとまったと解釈したようで、ギャディーヤが不遜な態度で提案する。


「一年後、あんたのいなくなったこの街は戦場になる、どうやらそれは確からしい。結果どうなるにせよ、そのときまで悔いの残らねェよう生きなきゃなァ。つゥわけで聖下、俺とレミレとミウルドで、順番に里帰りの休暇を貰ってもいいか?」

「おいおい……〈銀のベナンダンテ〉ってのは要するに教会の下僕みてえな立場なわけだろ? そんな要求が通るわけ……」

『良かろう』

「いいのかよ!?」

『身辺整理の必要性は、他ならぬ私自身がますます強く実感している。お前たちにそれを強いる私が、お前たちにそれを禁じるというのは、今一つ筋が通らぬ』

「聞いたか、ミウルドくんよォー? 我らが教皇聖下は律儀で寛大なお方だァ。ご存命の間に、てめェもせいぜい限度一杯まで要求吹っ掛けておくこったな」

「あんたたちがそんなんだと、せめて俺はガキの頃に仕舞い込んじまった聖典を、どうにか掘り出して来ようって気になってくるぜ」


 しかしやはりと言うべきか、危険な飼い犬を鎖も着けず野に放つことはしないようで、教皇は早速条件を提示してくる。


『ただしもちろん監視役は付けさせてもらう。ミレインのグランギニョル枢機卿に話を通し、デュロン・ハザークをその任に就かせよう』

「ゲェッ! なんでよりによってあのガキを!」


 なにかトラウマでもある相手なのか、やけに騒ぎ立てるギャディーヤに、教皇はやはり淡々と示していく。


『理由はもちろん逃亡防止のためだ……まず互いに遠地にいるため、事前になにか示し合わせを行える可能性が低い……そしてお前と彼の共通点として、にえ……は語弊があるな……しちが効くことが挙げられる』


 ギャディーヤがレミレをチラリと見たのが、どうやら答えのようだった。

〈銀のベナンダンテ〉の中には、こうして兄弟姉妹や恋仲同士で、銀の鎖をペアリングされている者が一定数いると見える。

 そうでない者たちは別の縛られ方をしているのだろう。命懸けで戦わなければならない反面、追っ手に怯えず迫害されず、腹一杯食って眠れる生活を保証されるとか、そんなところか。

 もう一度レミレを優しく抱きしめたギャディーヤは、彼女の耳元で囁いた。


「これまでお互い好きにやってきた。これからもそうするだけだ。そうだろ?」


 その言い草はミウルドには、一年後の聖都決戦が終わるまでに果てるつもりのようにも、その先を生き抜くつもりであるようにも、どちらにも聞こえた。

 しかしつまるところ、それは彼ら自身にもわからないだろう。


 極論を言うなら、たとえばサレウスに呪いを掛けた〈災禍〉の正体その者であっても、仮にそいつが死神だろうと、その力が運命を確定させる類のものでない限り、相手の命日を決めることは、厳密にはできない。

 それができるのは相手の死期を無理矢理前倒しして、即刻裁きを下す意思と手段を持つ者だけだ。


 その危惧に思い至りつつも、ミウルドは口には出さず、ただ祈るしかない。

 我が親愛なる同胞となりし、亡霊どもに良き旅を……と。

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