第3話 来たる年、死の月が死ぬまでに、私は死ぬ

「あらあら。お頭さん、命拾いできてよかったわね」


 野戦砲で破壊した門の残骸の上から、蜂蜜を含んだような甘ったるい声とともに、小柄な影がふわりと舞い降り、ミウルドの斜め前に着地してきた。

 薔薇色の髪をシニヨンにまとめ、竜胆色のドレスに身を包んだ、身長百五十センチくらい(ミウルドと同じくらい)の女だ。


 泣き黒子のある牡丹色の垂れ目で、ミウルドを興味深げに観察してくる。

 背中から生えた蝶のようなはねからして、妖精族で間違いないだろう。


「おォ、ハニィー、援護ありがとよ」

「気にしないで、ダーリン♡ あなたが倒した下っ端たちの、お片付けをしただけだから♡」


 ギャディーヤにデレっと答える様子からして、彼と恋仲らしい。

 体格もだが、年齢にも相当な差があるように見える。

 実際その通りのようで、女は黒妖犬ブラックドッグにしか見えない、何者かの使い魔の犬にしな垂れかかると、もふもふすりすりしながらおねだりし始めた。


「そうだわ! ねーぇ、パパぁ♡ わたしこの前、誕生日が来て二十歳になったの、ご存じでしょう? お祝いになにか買ってぇ♡」

「レミレよォ、おめェが言うといやらしい意味にしか聞こえねェんだよなァ……実の父親が故郷で泣いてんぞ」

「問題ないわ! わたしのママも昔はわたしみたいな感じらしかったから、父様パパも慣れてるはずよ!」

「あァー、そういう血筋なんだなァ。じゃ俺も直に慣れるかァ」


 レミレというらしいその女に、黒い犬は……正確に言うと、犬と同期リンクしている主は、至極冷静に応えている。


『いいとも……どこの土地が欲しい?』

「やった♬」

「甘やかしすぎだろォ!? つゥかそれ職権濫用じゃねェのか!?」

『知っての通り、私には子がいない……レミレのことは孫のように思っている』

「もうパパ通り越して祖父じいさんの気持ちなんだなァ……」


 すっかり毒気を抜かれたギャディーヤと、皮算用を始めるレミレの間で、血のように赤い眼と、闇のように黒い体をした犬は、威風堂々見下ろして宣告してくる。


『というわけで……ミウルド・ケチダスくん……君さえ良ければ社会的に死んだものとし、私の麾下で働いてもらう……いわゆる〈銀のベナンダンテ〉というやつになるわけだ』

「……ありゃ都市伝説じゃなかったのか……つーか、なぜ俺の名を?」

『固有魔術の認定部門もまた、私の掌握下にある機関の一つだ……というのもあるが、君は元々学究肌だろう……君がまだ体制側にいた頃に、このゾーラで直接見かけたことがあって、記憶に残っている……これもまた登用するには十分な縁だろう』

「そりゃまあ、俺は生まれたときから盗賊だったわけじゃねえ、インテリ崩れってやつだが……あ、あんた一体、何者なんだ?」


 横で聞いていたギャディーヤがレミレと顔を見合わせた後、存外親切に説明してくれる。


「よォ、ミウルドくん。これから俺たちの後輩になるてめェのために、基本的なこたァ教えてやるが……〈銀のベナンダンテ〉はその土地の司教が直轄するってのが通例らしい。もちろん配置によっては、間に挟まる上役もいるがな。祓魔官エクソシストになるなら、管理官マスターがそれだァ」

「待てよ……ゾーラの司教ってことは……」


 二人は心得顔で両脇にしゃがみ込み、手指をパヤパヤさせて黒犬の主を讃えた。


「やァやァ、ここにおわしますは魔族社会完全成立後に数える、ジュナス教会の第三代教皇の座に就く、サレウス一世聖下にござァい。頭が高ェぞ、控えろォ!」

「ヒューッ♫ 教皇パパかっこいーっ♡ 教会領いっぱいちょうだい!」

『いいとも……修道院の一つくらいならくれてやろう……美味いチーズやワインを作っているところがいいかな』

「パパ大好きっ♡」

「だから甘やかしすぎだろォ!? レミレお前、そんなん貰っても持て余すだけじゃねェのか!?」

「ならギャディが管理して♡ ダメにしちゃったら怒るわよ♡」

「お前世話飽きたペット丸投げするタイプだろォ!? 一度買ったら最後まで責任持って育てなさァい!」


 どうやら見た目に反して、レミレよりギャディーヤの方が常識的なようだ。

 二人の痴話喧嘩を聞き流しながら、サレウスがミウルドへ改めて問うてくる。


『それで、どうする……? このまま自棄やけになり、夜の三叉路で新月の導きに従うというのなら、私は強いて止めはしない……あるいは、そうだな……私はてっきり〈災禍団〉というのは、行き場のないゴロツキの集まりだと思っていたが……義理立てして死にゆくほどの絆があるのだとすれば、やはりその意を尊重するつもりではある』


 けっして力強い、カリスマを感じさせる声ではない。とうに全盛期を超えていることがわかり、奇妙な震えが混じる、弱々しくさえ聞こえる類のものだ。しかし、よく知りもしない本体の顔が自ずと見えるような迫真の響きがあり、敢えて逆らおうという気になれない。結果としてミウルドは大人しく跪いたまま、平伏の言葉を口にしていた。


「滅相もねえことです。教皇聖下の仰せのままに」


 取り返しのつかない決断だったのだろうが、どの道この場でこいつら相手に戦った場合、ミウルドが生き残れる確率は0%だ。ならばどんな無茶な密命を帯びる羽目になったとしても、差し当たり寿命を伸ばす措置にはなるだろうという打算の帰結であった。


 ミウルドの処遇が決まったところで、ミウルドが連れてきた手下どもは、ゾーラの祓魔官エクソシストと思しき連中に引っ立てられていく。

 行き着く先は牢獄や処刑台のはずだが、たまたま率いただけの連中に同情し、我が身を再び危ぶめてまで嘆願するほど、ミウルドに慈悲の持ち合わせはない。

 悪党はどこまで行っても悪党で、所詮は犯罪者風情に誇るべき流儀などない。


 それよりふと思い出したミウルドは、気になることがあり言葉を濁した。


「そういや、噂で聞いたんだが……その、教皇聖下……」

「あァー、このおっさんが一年後に死ぬってことかァ?」


 あっけらかんと言ってのける大鬼オーガへ、さすがに抗議する小鉱精ドワーフ


「ギャディーヤ、あんたもう少し表現ってもんがあんだろ!?」

「いィーじゃァねェか、ほんとのことなんだからよォ。サレウスだって気にしてねェし」

「呼び捨て!? 友達かよ!?」


 教皇は本当に気にした様子もなく、代弁する黒犬はリラックスした様子で欠伸している。


『構わない……私とギャディーヤの齢は、六つしか違わないことだし』

「そういう問題なのか……?」

『宮廷だけでなく、教皇庁にも道化があっても悪くない……最近そう思っていたところだ』

「へへ、褒められちまった。照れるぜェ」

「いや、あんた今めちゃくちゃ無礼な愚か者だって言われてるんだからな?」

「無礼な愚か者ですって? それはわたしの役目のはずよ!」

「あんたもあんたでなにを自慢げに言ってんだ、レミレ!?」


 遠回しにはぐらかされたのかと思ったが、サレウスはきっちりと本題に言及する。

 それもまるで晩餐の内容でも発表するように極めて淡々と。


『本当だ……来たる年、死の月が死ぬまでに、私は死ぬ……これは予見でも予測でもない、確定事項なのだ……他ならぬ私自身がそういった、普通は見えないものが見える眼を持っていてな、鏡にも数字が映るわけだ……私の残り寿命はあと一年ひととせ一月ひとつきと、もう少しといったところだよ』

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