第10話 勇者か、あるいは
最初は何を言ってるのか分からなかった。
勇者というのは魔王を倒して、世界の平和のために戦うやつだと思っていた。
けどこの世界では、世界の平和を守るための生贄?訳が分からない。つまり、俺はこれからこの穴に堕ちて死ぬっていうのか?
「...嫌だ」
「......そうだよね、誰だって死ぬのは怖いよね」
そう言うと、アンナはこっちににじり寄ってくる。
「けど大丈夫、私も一緒に堕ちるから。一人で死ぬより、二人で一緒に死ぬ方が寂しくなくていいでしょ?」
「...は?」
一緒に死ぬ?その方が寂しく無い?
お前は本当に何を言ってるんだ。頭がおかしい。いや、もしかしたらおかしいのは俺の方かもしれない。
アンナは笑顔で、純粋な瞳で、両手を広げて近づいて来る。
そのどれもが恐ろしくて、気が付けば、俺はアンナを突き飛ばし、洞窟の入り口の方向へと走り出していた。
_______________________________________
一体どれだけ走っただろう。外は雨が降り、服と靴を濡らして熱を奪い、まるで戻ることを促すかのように俺の身体に打ち付けてきた。
実際、登るときに感じた身体の軽さはもう感じない。そりゃそうだ、この力を与えた神様は俺に死んで欲しいからな。
気が付けば、俺は森の道を息を切らして今でも倒れそうに歩いていた。俺はこれからどうすれば良い?
死にたく無い。
死んで転生した目的が死んで世界を救うためだなんて、訳が分からない。
...ああ、考えてみればおかしいはずだ。なんで街からここまでこんなに交通の便が良いんだ? 今も、横を荷馬車が通り過ぎて行く、俺に泥を浴びせながら。
そう思うと冒険者の登録も納得がいく。あくまで冒険者として、何かしらの事故で死んだ扱いになるだろうし、世界の危機が1人の犠牲で救われるなんてことを世間が知ったらどう思うか分からない。
だから冒険者として、勇者の存在を隠す必要があった訳だ。それで選ばれたのが俺。天文学的確率で選ばれて得たものがもう一回死ねることだなんて、ほんっとうに笑えない。
神様、アーシアにとって、俺は自分の育てたペットを死なせないための餌に過ぎない訳だ。
足元を見て歩き、やがて目に映る水たまりに一つの光が反射していた。その光は一つの、雨宿りしている荷馬車から発せられていた。
死にたく無い。
人の足じゃやがて限界がある。次の船の時間は分からないが、早めに港に着きたい。このままじゃ追い付かれてしまうかもしれない。
そうだ、俺には剣がある。もう光らないから切れ味はないかもしれないが、それでも見てくれは立派な剣だ。
中の御者を脅せば港に早く着くかもしれない。
死にたく無い。
だからと言って、本当にそんなことして良いのか?
そのとき、後ろから何かを感じた。振り返ると、雨による霧の向こうから、黒い影が見えたような気がした。
あれは...アンナじゃない....アンナのような死神だ。
...嫌だ...嫌だ嫌だ嫌だ! 死にたく無い!
視線を荷馬車に戻し、剣の柄を握りしめる。
やるしかない。...やらなきゃ、死ぬんだ。これは仕方のないことなんだ。必死に自分がこれから行うことを正当化して、静かに後ろから乗り込む。
幸いにも乗客は御者1人だけのようだった。音を立てないように剣を抜き、ひっそりと後ろへ忍び寄る。
「逃げるの?」
御者が急に喋り出す。周りに他の人はいないはずだ。じゃあこれは独り言なのか? 逃げるってなんのことだ?
「君に聞いてるんだよ、勇者さん」
若い男のような声で喋るそいつは俺を間違いなく認識していた。乗り込んだのかが誰なのかも、勇者ということも分かっていた。怖い。だけど、死ぬのはもっと怖い。
「動くな!」
剣の切先を首に当てがい、小物のようなセリフを吐き捨てる。
「まるで小物だね」
「黙れ!早く馬を走らせーー」
「そんな君に一つ言っておこう」
「足元はちゃんと見たかい?」
一瞬。足元を見たその一瞬で御者は姿が見えなくなった。
「誰だって死ぬのは怖いと思うよ」
後ろからの声に振り返ろうとしたとき、頭に何かが挿されるような感覚がした。
「けど大丈夫、もうすぐそれが幸せだと感じるから」
その声が聞こえたのを最後に、目の前が真っ暗になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます