転移の記憶
とりあえず家の住人が帰って来ても不味いからとログハウスを出ると、母さんの言う通りに丘まで移動した。どうやら母さんと望実は転移してすぐこの場所に降り立ったらしい。
「綺麗な場所だな」
丘からの眺めは開けていて、山が続いた先、意外と近くに街があるのが見えた。石造りの中世ヨーロッパ風な街並みがここからでも良く見える。
そう、母さんと望実が言うには俺たちは異世界に転移して来たらしい。俺もよく戦術の検討のためにそういう小説を読んだりゲームをしたりしていたけれど、さっきはあまりにもテンパり過ぎて頭から抜け落ちてしまっていた。
丘の切り株に望実を座らせて、俺も隣に腰かけた。母さんは望実の背中から降ろして望実が座っている切り株に立てかけた。
「それで、お兄ちゃんは神様からどんなスキルをもらったの?」
「神様? スキル?」
聞けば望実と母さんは死んでから神様に会ってスキルをもらったり名前を設定したりしたらしい。
「俺はそんな記憶ないけどな。望実、神様とはどんな話をしたんだ?」
「えっとね、私は勇者なんだって」
「勇者? それって、魔王と対峙したりする、あの?」
「うん」
この世界は3つの勢力に分かれている。魔力を持たないアブス、魔力を持ち魔法を使うエグス、この世界を統べる皇帝とその配下であるエンペルス。
その3つの勢力の内アブスとエグスには魔力の有無以外の違いはない。しかしエンペルスは全く異なる身体を持ち、アブスとエグスとは一線を引いた土地、天上に築いた街で暮らしている。
一方俺たちが今いる土地で暮らすアブスとエグスの間には確執がある。どちらが発端かは分からない。どちらかがどちらかの人間を殺したことがきっかけとなり復讐のいたちごっこが始まった。
エグスの王とアブスを率いる賢者。その2者の和解が今後を大きく左右すると言われるが、1度もそれが実現したことはない。
「エグスの王、一般的に魔王と呼ばれる人が亡くなって、代替わりをすることになったんだって。それでその人が力をつける前に討伐する人材をって思っていたところで私たちが想定外に死んじゃったんだって」
「想定外?」
「うん。あの私たちを襲った人、この世界の人だったんだって」
どういうわけか俺たちの世界にこの世界の人間が現れて、俺たち家族を殺した。そして想定外の死への補償として転移させることになったらしい。神様たちはちょうど現れた望実と母さんに目を付け、若い望実の方に勇者の任を与えた。
俺も一緒に死んだんだけど。忘れられてない?
「想定外の死と身勝手な転移のお詫びってことで2つもスキルをくれたんだけど、お兄ちゃんはそれもないの?」
「うーん、無いと思うけど……」
「そうなんだ。あ、そうだ。私のステータス見せてあげる。ステータスオープン!」
望実はそう言うと目の前に青色の液晶のようなものを出現させた。透明だし触れることもできないし。不思議なものだ。
「本当に勇者だ。名前は、そのままだな」
「うん。そこだけは譲りたくなくって。だって、お母さんとお父さんが考えてくれた大切な名前だもん」
望実という名前は俺が生まれるときに母さんと父さんが女の子の場合に備えて考えた名前だった。娘の名前はこれしかない、と言い張っていた父さんの言葉通り、母さんは望実にその名を与えた。
父さんと会ったことがない望実にとって、唯一の父さんとの繋がりがその名前だった。だから望実はこの名前をすごく大切にしてくれている。
ニコニコと嬉しそうに笑っている望実の頭を撫でてやると、望実はふふっと笑った。ああ、可愛い。癒される。っと、今はそれどころじゃない。
「それで? そのもらったスキルって言うのは?」
「あ、そうそう。えっと、ここ」
「〈剣技S級〉と、〈鑑定〉か」
「うん。〈鑑定〉は相手のステータスを見ることができるスキルだよ。〈剣技S級〉は勇者の象徴なんだって。普通の人だとA級までしかなれないらしいよ」
「へぇ」
望実のステータスはレベル1。種族は人族アブス。HPは2,500と高めらしくて、MPはアブスだからかダッシュ記号になっている。だけど全てのステータスが50になっている。
望実が神様に聞いた話だと、この世界の人々のレベルとHP、MPを除いた各ステータスの最大値は99だと言う。一般的なステータスは15程度、S級冒険者で平均70程度、50だとB級冒険者並みらしい。
「かなり強いな」
「うーん、でもここからは自分で強くなれって。99まで上げてからさらに鍛錬を積めば99+っていう数字に能力が現れないようになるんだって。そうなれば魔王にも勝てるだろうって言われたよ」
「旅をして強くなってって話か」
望実が神様に聞いた話だと、アブスを率いる賢者のステータスは全ての項目で99+が必要。つまり知力も体力も、運すら味方につけたものが賢者になれる。歴代の賢者は全員冒険者からの成り上がりらしい。
戦場で生き抜くための運と強さと知恵。賢者に必要な要素を育てるにはもってこいな職業というわけだ。
「なあ、望実。勇者としてこの世界を救いたいのか?」
俺の言葉に望実は首を傾げた。
「望実はこの世界に縁もゆかりもない。勇者として強くなれってことは危険な戦いに身を置けと言われているのと同じだ。見ず知らずの人間のために命を差し出すのか?」
望実は俺の言葉の意味を理解したようで、うーんと悩み始めた。俺は正直、そんなことはしなくて良いと思っている。だって俺は、望実の兄貴だから。望実の身の安全が1番だから。もしそれで望実がいじめられるなら、いじめるやつは俺が薙ぎ払う。
望実をジッと見つめていると、望実は覚悟を決めたように頷いて俺を見つめ返してきた。真剣な瞳。凛々しく、美しい。
「私、頑張りたい」
「どうして?」
「だって、この世界が平和にならないと、お兄ちゃんだって危ないってことでしょ? 私が世界を平和にしたら、お兄ちゃんもここで幸せに暮らせる。そのためなら、頑張るよ」
ああ、この子は確かに俺の妹だ。ならば俺も、この世界の頂点を目指そう。望実よりも強くなって、この子を何者からも守れるように。
「分かった。それなら俺も一緒に戦う。一緒に平和な暮らしを手に入れよう」
「うん!」
『それなら私も戦うよ。子どもたちを守るのはお母さんの役目だからね』
頭の中に母さんの声が響くと望実はふわりと微笑んだ。そして隣に置いた母さんを撫でる。
「よし、梓家の平和のために戦うか!」
「おー!」
2人で揃って拳を突き上げる。なんだか懐かしい。望実と一緒にいるだけで心が満たされて、生きているって感じがする。
『はぁ、家族思いな子に育ってお母さん嬉しいわぁ』
母さんは人の姿をしていたらきっとわざとらしく泣き真似をしているだろう。少し震える声を出すから、俺もそっと母さんに触れておいた。これも泣き真似だろうけど。
「なあ、次は母さんのステータス見せてよ。って、見れるのか?」
『そりゃ出せるよ。私を誰だと思ってるの、まったく。えーっと、なんだっけ? あ、ステータスオープン!』
母さんの声と共に、望実のものと同じ液晶のようなものが現れた。
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