最初の日


 フッと意識がはっきりして飛び起きた。



「望実っ! 母さんっ!」



 あの時感じた痛みはない。その代わり、望実の温もりも感じられない。ひとりぼっち。虚無感を感じながらボーッと天を見上げると、頭上を恐竜のようなものが飛び去っていった。



「青空と、恐竜か……ん?」



 何かがおかしい気がして身体を起こす。目の前には木、木、木。上は空まで突き抜けている。



「どこだ、ここ」



 状況が飲み込めないまま辺りを見回していると、角が生えたウサギやら髭の長い緑色のヘビやらが茂みから顔を出しては怯えたように消えていった。


 その場からは動かずに目を凝らしていると、何やらログハウスのようなものを見つけた。人が住んでいれば何か教えてもらえるかもしれない。


 とはいえ辺りは森だ。ウサギやヘビも何かおかしかったし、熊でも出てきたら危ない。とりあえず手近にあった木の枝を拾ってからログハウスに向かった。


 ログハウスには表札らしきものがあった。だけど日本語でも他の知っている言語でもなくて全く読めない。とりあえず失礼のないように、木の枝を置いてからドアをノックした。



「こんにちは。どなたかいらっしゃいませんか?」



 ログハウスはシンと静まり返っている。試しにドアを引いてみると鍵はかかっていないようで、ギーッと音を立てはしたもののすんなり開いた。



「こんにちは」



 電気はついてないし、人の気配もやっぱりない。空き家でも入ったらマズイけど、今はここしか頼れそうな場所がない。



「お邪魔します」



 仕方がないと自分に言い訳しながら中に足を踏み入れる。1つしかない窓からの光しか入らない暗がりに目が慣れてくると、そこがかなり埃っぽいことも蔵書が山のようにあることも分かってきた。



「すげぇ」



 よほどの読書家が住んでいたらしい。試しに1冊手に取ってみたけれど、なんて書いてあるのかさっぱり分からない。と思ったんだけど。


 突然文字がグニャリと歪んだ。そしてぐちゃぐちゃに混ざり合ったかと思ったら、次の瞬間には日本語が整然と並んでいた。



「なんだよ、これ」



 目の前の状況が理解できないけれど、今手がかりは目の前の本しかない。頭から目を通すと、魔法について書いてあるようだった。



「魔法、ねえ」



 読み進めていくと、突然心臓がドクリと嫌な音を立てた。何かが身体に流れ込んでくる感覚。一体どこから?


 本を持っている手が熱い。慌てて本を放り投げて手を離すと、本はゴトッと鈍い音を立てて床に落ちた。熱さが去ったことにホッとしながら息を整える。ふと本を見ると、表紙には『魔法の使い方』と書いてあった。


 こんなものを読んだからと言ったって魔法が使えるようになるわけがない。この部屋の主は中二病なんだろう。周りに散々そう言われてきた俺に言われるのは癪だろうけど。


 本は棚に戻してまた部屋の中を物色すると、ボウリングの玉くらいの大きさの水晶玉を見つけた。


 試しに触ってみると、手のひらからまた何かが流れ込んでくる感覚がした。すぐに手を離そうとしたけれど今度は捕まっているかのように動かない。



「くっ……」



 知らないけれど懐かしい感覚。流れ込んでくるものを止める手立てもなく足を踏ん張って耐えるしかない。長いようで短い時間だと思う。


 最後に頭とお尻が割れるほど痛んで倒れ込んだ。その拍子に手が水晶玉から離れて流れ込んでくる感覚がなくなった。ふらつきながらも立ち上がって身体を確認すると、水晶玉に映る俺の頭には何やらふさふさしたものが載っている。そして背後に揺れる同じくふさふさなもの。



「は、耳? と、しっぽ?」



 犬の耳? いやでも、人間の耳……がない! え、しっぽ、しっぽ? え、なんで?


 コンコンッ



「ごめんくださーい」



 ぐるぐると考えながら恐る恐るしっぽに触れようとした瞬間、ドアがノックされて身体が跳ねた。言葉からしてこの部屋の主が帰ってきたわけではないらしいけれど、客人に姿を見られても不味い。住居不法侵入に、ついでに窃盗まで疑われるかもしれない。


 どこか隠れる場所はないかと辺りを見回すと、部屋の隅に謎の置物を見つけた。美術室に置いてあった石膏像みたいだ。誰かは分からないけど小綺麗な格好をしているみたいだし、偉い人だろう。だけど手の形がマジ卍だ。時代遅れ感がすごい。



「お邪魔しまーす」



 ドアがギーッと音を立て始める。とにかく誰かは分からないこの石膏像の裏に隠れさせてもらう。しっぽを抱き抱えると息を潜めて気配を消す。チャンバラ愛好会で不定期開催していた気配斬りのときの要領でいけば気配を消すことなんて朝飯前だ。



「すごぉい」



 ふわっとした声に聞き覚えがあってソロッと顔を覗かせる。


 そこには会いたくてたまらなかった人がいた。



「望実っ!」



 見たことがないゲームの初期設定みたいな服を着ているけれど、間違いない。そんな服でも着こなしてしまう可愛らしさ。そして驚いて見開かれたくりくりした黒目、短く切り揃えられた艶やかな黒髪。



「おにい、ちゃん?」



 信じられないという顔をしている望実の前に出ていく。



「望実」


「お兄ちゃんっ!」



 涙目になって飛び込んできた望実を抱きとめて強く抱き締めた、んだけど。



「これ、なに?」



 望実の背中に何かが背負われていた。この薄暗がりでも自ら光を発しているらしいそれは弓みたいだけど、矢はない。抱き締めづらくてちょっと邪魔だな。



「お兄ちゃんこそ、その頭、どうしたの? それに、これ、しっぽ?」


「いや、これは……」


『朔夜! 無事だったか!』



 望実に自分の身に起こったことを説明しようとしたけれど、突然頭の中に声が響いてきて狼狽える。あれ、この芯のある少し低い声は……



「母さん!?」


『正解! いやぁ、2人ともすぐに分かってくれて嬉しいよ。うんうん』


「いや、どこにいんの?」


『どこって、ここ。こーこ』


「ここ?」


「お兄ちゃん、これ、お母さん」



 キョロキョロしている俺の服の裾をクイクイと引っ張った望実が指差していたのは、望実に背負われた光る弓だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る