第9話 阪神ジュベナイルフィリーズ

「どういうことか説明していただけますか?」

「是非説明してあげてください」

「説明って言われても……」


 周囲の視線を気にしつつ答える声は、我ながら毅然さに欠けていた。

 一週間の労働で疲れた身体に更なる負荷をかける金曜の帰宅ラッシュを耐え、降り立った最寄駅ホームにて待ち構えていたのは、顔見知りの女子高生二人だった。

 僕の姿を認めるなり、特にその小柄な方が、えらい勢いで詰め寄ってきて、いきなり問責が始まった。


「タマちゃんの肉体的魅力に惑溺し、もうすっかり攻略されてしまったというのは本当なんですか!?」

「惑溺って……ともあれ落ち着いて。そんなに押されたら線路に落ちちゃうから。轢殺エンド迎えちゃうから」


 いつもはくりっとまん丸な眼を逆三角に吊り上げ、護志田もりしたさんは迫ってくる。


「中に誰もいませんよエンドを迎えたくなければ、きちんと説明してください!」

「何それ怖い。だから説明って言われても……ただ僕は、この子にいきなり勝負を挑まれて……」


 ややこしくなるので、そう至るまでの経緯は割愛して説明しようと試みると、傍らの喜多珠きたたまさんが口を挟んできた。


「先輩ったら、いくら言っても信じてくれないんですよ。貴方が今やあたしに屈従する下僕に成り果てたということを」

「そんな者に成り果てた覚えはないんだけど……」


 顔の上半分が前髪に隠れて表情は窺えないが、その口調は自信に満ち溢れているように感じられた。

 嘲笑うようにこちらを——こちらのお腹よりやや下のあたりを指差してくる。


「ソコなんてあんなにしちゃって」

「いやいや! そ、それは順序が逆……いや逆っていうか、あんな状況では不可抗力で……と、とりあえず話は場所を改めて」


 駅のホームで女子高生二人に詰め寄られるサラリーマンという構図ほど、人目につくのに好ましくないものはない。しかもここは毎日使う地元の駅である。

 再度移動を促そうと護志田さんに目を向けると、彼女は俯き、肩をわなわなと震わせていた。


「……あなたの名前を検索したら、一番上の関連ワードに『クズ』と出るでしょうね」


 彼女としては低い声で呟く。

 心なしか、背景にほのおが立っているように見えた。


「……えと、護志田さん?」

「……肉欲エンドなんて絶対に認めません!」

「うわっ!」


 いきなり狂戦士のように飛びかかってこられ、僕は自分より頭二つ分は小柄な少女にあっさりと仰向けに押し倒される。


「氏ね! 氏ね! 誠氏ね!」

「僕そんな名前じゃないから! 痛い、痛いって」


 馬乗りになってきて、胸や頭をポカポカ叩いてくる護志田さんを押し退けようとしていると、甲高い足音とともに踵高のヒールが視界に入ってきた。どうやら尋常ではない光景を見かねた人が近寄ってきたようだ。

 駅のホームで女子高生に取り抑えられるサラリーマンの姿。十中八九あらぬ誤解をされていることだろう。


「ちょっと、あなた——」


 グレーのパンツスーツに包まれた脚が、スラッと二本伸びている。その全身を見なくとも凛とした立ち姿が想像できた。

 体勢的に、その人の顔を見上げるのは難しい。失礼かもしれないが、脚を見やったまま言葉を発する。


「あ、ち、違うんです。この子たちは知り合いで——」

「公衆の面前で幼女をまたがらせて破廉恥行為に及ぶなんて。今日からあなたのことはミスターやりたい放題と呼ばせてもらうわ」


 聞き覚えのある声だった。

 僕は、我が身に更なる災厄が降りかかってきたことを悟った。


「マークしていた甲斐があったわ。もう言い逃れは効かないわよ。公然猥褻及び未成年との淫行、そして私の足を舐めまわすように見た変態的視姦罪の現行犯で、あなたを私人逮捕します」

「いや、そんな目で見てないですし……」


 当然泣き言など聞き入れてもらえず、いきなり出現した会社の上司・伊鷲見いずみさんはどこからか取り出した手錠を僕の手にかけてくる。


「悪の栄えた試しはないのです!」


 何故か護志田さんまであっち側の尻馬に乗って、こちらを見下ろしてくる。

 どうして疲れて帰ってきて、いきなり暴行を受けた上にこんな目にまで遭わなければならないのか。


「さあ、この社会のゴミにはもはや司法の手続きすらも不要。どこか人気の少ないところに移動して、粛々と刑を執行することにしましょう」

「そうしましょう、そうしましょ」

「異議はありません」

「…………」


 あんたらの方がよっぽど反社会的だろと言葉を返す気力もなく、僕はただ無抵抗に連行されるのだった。


 × × ×


 駅近くの広場の片隅、人気のないベンチへと座らされ、両脇を伊鷲見さんと護志田さんにガッチリ固められる。もう一人の喜多珠さんは目の前で腕を組んで立っている。

 囲んでいるのがキャリアウーマン風の美女と、小柄な美少女と、少し翳のある女の子なので側から見たらかなり異様な光景だろうが、こんなの実質オヤジ狩りだ。


「さて、どう成敗してやったものか。とりあえずは宮刑でいいかしら?」

「そんな、とりあえず生ビールみたいなノリでちょん切られるのはきわめて不本意なんですが……」


 おそるおそる言葉を返すと、伊鷲見さんは呆れたように溜息をついた。


「どうやら自覚が足りないようね。あなたはそれだけの重罪を犯したのよ」


 そう言うと、護志田さんに憐憫の籠った目を向けた。


「本当に卑劣な男。こんな年端もいかない、ラジオ体操第二のゴリラっぽい動きでゲラゲラ笑うような年頃の女の子を毒牙にかけるなんて」

「……そこまで幼くはありませんが」


 さすがの護志田さんも、ここはツッコミにまわる。


「そもそもアレで笑っていたのはアホな男子だけだったと記憶していますが」

「そういえばそうね。お姉さんが小学生の頃なんて、クラスの男子全員が最後の深呼吸の時に『チ◯コキュウ!』とか叫んで局部を露出してきたものだから、女子みんなで力を合わせて一人残らず潰してやったのよ」

「どんな壮絶な学級だったんだ。全員って」


 頓狂なエピソードに、思わず口を挟んでしまう。

 喜多珠さんが怯えたように肩をすくめた。


「ラジオ体操でそんなことが……昭和は恐ろしいですね」

「昭和ではないわ。殺すわよ」


 にこやかな顔で額に青筋立てる伊鷲見さんに恐怖を感じつつ、僕は僕で、いつ終わるかしれない理不尽な仕打ちにいい加減辟易としてきていた。


「……とにかく、僕はこんな目に遭うようなことは何もしていない!」


 思わず語尾が強くなってしまった僕を、三人ともが目を丸くして見てきた。

 怒り慣れてない人がキレちゃってる感じになってると自覚しつつ、このまま押し通すしかないと判断。


「強いて過ちがあったとしたらクラウンプライドを本命にしてしまったことぐらいだ! もう離してくれ! 家に帰りたい!」


 最後の方はほとんど絶叫になってしまう。

 白けたような間があった後、最初に口を開いたのは護志田さんだった。


「まあ……私もそろそろ帰って晩ご飯食べないといけない時間ですし」

「あたしも、そろそろ佐藤くんの部活が終わる時間なんで、偶然を装って帰り道で待たないと」

「タマちゃん、まだそんなことやってるんですか?」

「ええ。この人に勝ったから、もういつでも告白できるはずなんですけど、なかなかタイミングとか難しくて」

「あ、そうだ、その話をしてたんでした。エロ兄ィ、タマちゃんの下僕に成り果てたというのはどういうことなんですか!?」

「え、何々? 告白? 何その乙女な話? お姉さんに聞かせてみそ」

「みそって」


 何だか混沌としてきてしまった。

 喜多珠さんの片恋相手の話で女子会のごとくキャーキャー盛り上がってみたり、急にこちらに矛先を向けてきたりのよくわからない時間がしばし流れる。


 ——そして、気がついたら。


「——つまり、今週は私とエロ兄ィがGⅠ予想で対決して、エロ兄ィが勝てば今回は警告止まりで釈放、私が勝てば一旦エロ兄ィは私とタマちゃんの共同所有物になるということでよろしいですね?」

「はい」

「仕方ないわね」

「……もう、何でもいいっす」


 どんな経過でそんな話になったのか、護志田さんの言葉に頷く二人に続いて、僕も力なく首を縦に振る。どうせ抗っても無駄なことはわかりきっている。

 それに、先週喜多珠さんとの競馬予想で敗れ、実際に馬券も外したのはまぎれもない事実。ここで挽回したい気持ちも否定できない。


「さて、今週から2歳GⅠに突入ですね。まずは阪神ジュベナイルフィリーズですか」

「は、半チン女陰べべ入るシリーズ? どんな企画物なのそれは!?」


 どうやら伊鷲見さんの聞き間違いは、僕の言葉に対してのみではないらしい。


「有力馬が回避しちゃって、かなり難解だよね。ボンドガール本命で間違いないと思ってたんだけど」

「ボ、ボンドガール? 何かエッチじゃない? 何かエッチじゃない!?」


 そして、聞き間違えなくても、勝手な解釈違いは発生するらしい。


「前走は負けたけど、サフィラなんて能力高そうな——」

「さあフェラ!? やはりあなた淫行、いや口淫大好き男なのね!」


「あとアスコリピチェーノも重賞勝ってるし有力かなって——」

「アソコピチャピチャーのでジューシィになってる!? それにむしゃぶりつこうっていうわけ!?」


「プシプシーナも何気に無敗で——」

「プッシー!? プッシーって言ったわよこの男! 女性器のスラングじゃない!!」

「…………」


 相変わらずの伊鷲見さんに、JK二人もかなり引き気味だった。


「……なんか耳が終わってる人もいらっしゃいますし、さっさと終わらせて帰りましょうか」

「いや辛辣」


 護志田さんはスマートフォンに表示していた出走表の画面を指差した。


「新馬戦こそ大差で負けましたが、そのあとは二連勝、特に前走は先行してぶち抜いての大楽勝。明らかに強くなっています」

「キャットファイトかあ」

「キャットファイト!? キャットファイトって、女性が殴り合いして、男がそれをオカズにするアレのことでしょ!?」

「いや、ひどい偏見ですから」


 これについては偏見とも言いきれない気もしたが、一応嗜めておく。


「エロ兄ィの本命はどの馬ですか?」

「そうだなあ、マイルが向くかどうかわからないけど、何か大物っぽい気がするのはこの馬かな」

「ほう、ルシフェルですか」

「る……ルシファー吉岡……芸人界で最も忌むべきエロネタ野郎じゃない! どぶろっくのギターの方と同じくらい嫌いよ!」

「ギターの方なんだ。歌ってる方じゃないんだ」


 もはやよくわからない取り乱し方をしている伊鷲見さんをよそに、僕とJK二人は、最終的にはお疲れ様でしたときちんと挨拶をして解散したのだった。


(つづく)



 ◆阪神ジュベナイルフィリーズ

 護志田さんの本命 キャットファイト

 僕の本命 ルシフェル

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