第7話 ジャパンカップ

 週末前の祝日、今日は午後から晴れ間が出てきたので、買い物ついでにブラっと近所をそぞろ歩いてみた。

 カフェというより昔ながらの喫茶店といった構えのお店に入ってみて、他にお客は二組のみという静かな雰囲気の中、名物だという手作りタルトなぞつつきながらカップ片手に珈琲カッフェエを喫する。

 行儀は良くないかもしれないが、もう片方の手にはスマートフォンを持ち、つい先ほど出たばかりのジャパンカップの枠順を確認。

 1枠の2頭に少なからず吃驚しながらも、そう来たかとニヤリと笑い、検討を進めていく。


 ——そんな、サラリーマン馬券師として理想の休日の過ごし方を体現していた次第であるが、それは珈琲がまだ半分以上残っているうちに打ち壊された。


「これはこれは。このようなシックで趣のあるお店の中に汚らわしい異物が紛れ込んでいると思ったら、エロスの果てことエロ兄ィじゃないですか」

「誰が汚らわしい異物だ。あと、人を何か怖い舞台作品のように言うな」


 唐突に入店してきた護志田もりしたさんへと、溜息混じりに言葉を返す。

 彼女も学校が休みなのであろう、今日は制服姿ではなく、白いブラウスシャツにチェック柄のワンピースという秋らしい出で立ちをしている。

 ふわっとした茶髪に、ぱっちりした目鼻立ちの美少女には良く似合っており、黙っていればお人形さんのように可愛らしく見えるであろう。


「まったく、こんなところで一服などと、感謝されるほどの勤労もしていない分際で良いご身分ですね。そんな時間があるのなら、町の自販機や券売機の釣り銭口に指突っ込みながら歩きまわって、少しでも家計の足しにしたらいかがですか?」


 残念ながら黙っててくれないので、あまり可愛らしくは見えないのだった。


「お見受けしたところ、休日だからと家でゴロゴロされては目障りだと鬼嫁に叱責され、命からがら退避してきたご様子。ここはひとつ、弱者への慈愛深さに定評のあるこの私がお話し相手のボランティアでもしてあげましょう——あ、りんごジュースと季節のフルーツパフェをお願いします」


 勝手なことをペラペラと言い、勝手に僕の対面に座り、勝手に注文をする。

 誠に勝手な少女ではあるが、GⅠの枠順が出た後に競馬仲間と過ごす時間は他に変えがたいのは確かである。それなりに良いお値段はするが、お茶とデザートぐらいはご馳走してやろう。

 ちなみに、今日僕がこうして一人で過ごしているのは、澤多莉さんパートナーが友人の結婚式に出かけているからであって、決して護志田さんが邪推したような理由でないことは述べておきたい。


「まあ、それはさておいて、早速ジャパンカップの検討に入ることにしましょうか」


 こちらが内心で思っていたことを勝手にさておくと、護志田さんはどこからか競馬新聞を取り出してテーブルに広げた。


「ま、どうせまたの名をロリ兄ィと言われてるエロ兄ィのこと、3歳女子のリバティアイランドに安月給すべてを注ぎ込むおつもりでしょう?」

「そんな風に呼んでるのは君だけだし、そんな変な目で競走馬を見たことないし、人の労働の対価を安月給とか言うな」

「まあそれはさておいて、そのリバティアイランドとイクイノックスとが揃って1枠というのは出来すぎというかやりすぎというか……もう穴馬の入る余地は無い感じですね」


 また勝手にさておかれたことはさておいて、確かに護志田さんの言う通り、歴史的名馬かもしれない2頭ともが最内枠となると、もはや逆らいようがないように思える。

 配膳されたジュースをストローで飲みながら、彼女は思案顔で出走表を見やる。


「やはり、強いて言えば逃げ馬に微かな期待を寄せるしかないでしょうか」

「そうだね。白枠の2頭がパンサラッサをどこで抜かしにいくかによってはチャンスもあるかも……」

「同型馬がいる中で、タイホがどう出るかも気になりますね。こちらもこんな枠にいますし」


 言いながら、護志田さんは馬番3のタイトルホルダーの馬名を指差した。このGⅠ3勝馬をタイホと略す人は少なくない。

 僕も何の気なく相槌を打つ。


「うーん、タイホねえ——」

「ええ。逮捕ね」

「!?」


 背後から声が聞こえるとともに、いきなり左腕に手錠をかけられる。

 驚いて振り向くと、コート姿にハットを被り、レンズの大きなサングラスという、まるでお忍びの芸能人のような長身の女性が立っていた。


「よもやこれほどの鬼畜だったとは……もはや看過できないわ。即刻あなたを警察に引き渡します」


 いきなりわけのわからないことを言ってくるその声には聞き覚えがあった。


「……伊鷲見いずみさんですか?」


 その女性はおもむろにサングラスを外すと、ご丁寧にいつもの眼鏡をバッグから取り出して付け替えた。紛れもなく、僕の直属上司である伊鷲見さんだった。

 凛とした顔立ちの美人には、つば広ハットに眼鏡というコーディネートも似合ってしまうことを僕は知った。


「フッ、私よ」

「いや、フッじゃなくて。どうしたんですかこんなところで? 何なんですか手錠これ?」

「え? え? どなたですかあなたは?」

「逃げなさい! 私がこの男を取り押さえているうちに。早くっ!」


 いきなりの事態に困惑模様の護志田さんへと鋭く言い放ち、伊鷲見さんは僕を羽交い締めにしてくる。

 静かだった喫茶店の一隅が混沌カオスに陥る。店員さんやもう一組のお客さんたち(ご婦人二人組)が訝しげにこちらへと視線を送っているのがわかる。


「ちょ、ちょっと、一体なんなん……」

「神妙になさいっ!」


 引き離そうとするが、彼女はより強い力がかかるよう、全身を使って僕を取り押さえてくる。

 こういうシチュエーションの摂理として、背中に柔らかいふたつのものが当たってくる。コート越しでも、えも言われないその感触。


「さあっ! 大人しくなさいっ!!」

「…………」

「あーっ! この男、どさくさにまぎれておねえさんのオパーイの感触を堪能してますよ!」

「ななななっ! どこまで卑猥な色魔なのこの男はっ!!」


 見かねた店員さんが止めに入るまで、僕は伊鷲見さんから五発、なぜか護志田さんからまで三発のビンタを浴びせられたのだった。


× × ×


「フン、言い逃れしようなんて思わないでよ。私は確かに聞いたんだから。あなたが眼鏡の男と少女売買について話していたのを。それも会社内で堂々と!」


 とりあえず実力行使はとりやめてくれた伊鷲見さんだったが、手錠は外してくれぬまま僕の正面に護志田さんと並んで座り、なぜか彼女まで注文した季節のフルーツパフェを食べ食べ、僕を難詰してくる。

 もちろん全くもって身に覚えのないことなのでその旨伝えると、パフェ用の細長いスプーンをビシッと向けてくる。


「いいえ! 私は確かにこの耳で聞いてこの目で見たわ! あなたが『いやあJC楽しみだな。思いきってたくさん買っちゃおうかな』とか言って鼻の下伸ばしているのをね!」

「いやいやいや、JCって言うのは……」

「よもやジャッキー・チェンのことだなんて言わせないわよ。いえ、むしろあなたは絨毯にくるまれて爆殺されるべき人間よ。女子中学生を買おうだなんて!」


 ツッコむべきか大真面目に否定すべきか躊躇していると、伊鷲見さんは手のひらをテーブルに叩きつけて詰め寄ってくる。


「他にも、今年のJCは興奮するだの、着床てきちゅうさせたいだの、身の毛もよだつような話をしていたわね!」

「何か勝手に妙な当て字を用いていませんでしたか?」

「そこで、人事部のフォルダにアクセスしてあなたの住所を調べて、張り込みをして、こうしてまんまと援助交際の現場を捉えたというわけよ」


 目眩がしてきた。何から説明もしくは指摘をすれば良いものか。

 まずは彼女の今後のために、他部署の社員が人事部のフォルダにアクセスして情報を抜き取る行為は、社内規定はもちろん、おそらくは法律に抵触するであろうことを伝えるべきだろうか。

 隣にいる護志田さんを見ると、パフェにぱくつく手と口を止め、自身の肩を抱くようにしてこちらを睨みつけていた。


「スケベなクズ人間だとは知ってはいましたが、そこまで外道な男だったとは……知っていましたよ!」


 よくわからないことを仰っている。

 伊鷲見さんはそんな少女の姿を憐れみをもって見やる。


「しかもこんな中学生にしてもかなり幼い、おそらくは中学一年生の女の子を餌食にしようだなんて……恥ずかしくないの? ついこないだまでランドセル背負ってた女の子よ! ランドセルといっても、バーニアが搭載されててビームサーベルが格納されてる方じゃないわよ!」

「ザクのどこが悪いんだよっ!」

「原作無視のバーニィのセリフ言ってないで、君も否定しろ!」


 もう話にならぬと逃げ出したかったが、本気で警察まで連れていかれかねない。

 僕は根気と忍耐を総動員して、JCというのはジャパンカップというGⅠレースのことであり、この女の子は妹の友だちであって、それ以外の目線で見たことは一度たりともないこと(そのくだりで何故かどちらかに思いっきり足を蹴られた)と、ついでに中学生ではなくて高校二年生であることを説明した。

 伊鷲見さんはまるで納得してくれる様子はない。


「でもさっき、白のパンツを脱がしにいくチャンスがあるとか言ってたじゃない!」

「そんなこと言ってません!」

「この子なんて、イクイクイク〜もう穴に入れて〜とか言ってたわ!」

「言うか! 既に何かの行為をしてるじゃないかそれ!」

「そのようなことは言っていませんが……」


 さすがの護志田さんもドン引きの様子で否定をする。

 伊鷲見さんは激昂して、立ち上がった。


「言っていたわ! 他にも安月給で3歳の女の子を買うとかなんとか! 上の方にスクロールすればわかるわ!」


 ついには錯乱してわけのわからないことを言い出す。


 そして最終的には、


「競馬の話をしていただけだと言い張るのなら、今その続きをしてみなさいよ! そんなとってつけたような嘘、すぐにボロが出るに決まっているわ!」


 という展開になったので、やりづらいことこの上ないが、仕方なく僕と護志田さんは検討を再開した。


「2強以外では、昨年勝ってるヴェラアズールなんか——」

「フェラをすーる!? 上の口ならセーフなんてルールはないわよ!」


 だの、


「ディープボンドもスローのキレ勝負でなければ——」

「ディープスロート!? やっぱり口淫する気満々じゃない!」


 だの、


「海外馬のイレジンは——」

「入れチンって何! ヤリマンの対義語!?」


 だのといった感じで、相変わらず始末に負えないキャリアウーマンの伊鷲見さんなのだった。


 何でキャリアウーマンなんてやれてんだこの人……


(つづく)



 ◆ジャパンカップ

 護志田さんの本命 パンサラッサ

 僕の本命 リバティアイランド

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る