第32話 生物濃縮の極地

「うわああああああっ!!」


「............。」



 モハメドとミンファは地獄色をした邪悪なワームの口内へと真っ逆さまに落ちて行った。

 奈落の底のような体内に向けて走馬灯のように流れる体内の側壁の凹凸が、数多く飲み込まれていった者たちの怨念の表情を示しているかのように見えた。


 この状況を見てモハメドにはここから助かる術が全くないように思われた。

 だが、ミンファはまっすぐ奈落の底に目を向け、その先に何かを見ていた。



「う、う、うおおおおおおおッ!!」


「............これだな。」



 ミンファはそうつぶやくと、奈落の底に向けて手をかざした。



「集え......!」



 すると奈落の底から黒い矢のようなものがミンファに向けて一斉に放たれた。

 さらに黒い矢はミンファの掌に次々と飲み込まれかとおもうと、それは彼女の掌を根元として鋭い巨大な剣山のような形に成長した。


 剣山は二人が落下するにつれてさらに肥大化し、ワームの体内の直径よりも剣山の直径が大きくなると、側面の針や刃の部分が鋭く体内に突き刺さり、切り裂くに至った。


 ミンファは体内をずたずたに切り裂きながらも自由落下を続けた。



「な、なにやってるんだーーッ!?」


「見てわからないか。」


「わかるが、わかるわけないだろーーーッ!!」



 突如、ウォータースライダーのように急傾斜が目の前に現れたかと思うと、体内の奥に続く方向は真下から真横になり、二人は滑空しモハメドだけゴロゴロと転がった末、止まった。



「あいてて......こ、これはアイツが倒れたのか......?」


「大丈夫か?モハメド。......まぁ、そういうことだ。」 いつの間にかミンファの右手には、剣山ではなく身長ほどの分厚く巨大な刃が握られていた。


「一体それで何をしたんだ......?」


「ワームの神経を切断して生体活動を止めたんだ。」


「あ、案外あっけないものだな......。」


「このような生物は、口腔よりやや後方に中枢神経系が、そして体長方向に沿って各種の神経系が梯子状に存在する。どれだけ巨大で剛殻を纏っていても内側から神経を傷つけられれば、死に至る。」


「なるほどな......しかし、その武器はどこから呼び出したんだ......?」


「いわゆる奥の『砂ずり』からだ。これは単純に砂に含まれる複数種の金属を武器化したに過ぎない。」


「すげーな......そんなことをあの状況で考えてたとは。」


「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。モハメドの故郷ではそういう話があるだろう?」


「まぁあるけどな......ミミズの体内に入るなんて発想がなかったからな。」


「そういう話じゃない。勇気が必要だということだ......何事もな。」


「う、うむ......。」


「......用が済んだ。さっさと出るぞ、ここは生物濃縮の極限、放射線の強度が高過ぎる。」


「あぁ、そうだな。」 モハメドは腰をさすりながら起き上がると、ミンファの元へ駆け寄った。


 そして二人は足並みをそろえて、ワームの体外へ向けて歩み出した。




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 二人が地獄のようなワームの体内から這い出すと、空は青みを帯びはじめており、それとともに東の方角を底として鮮やかな金色のグラデーションが、払暁の時を示していた。

 それと共に寒すぎて痛いからっ風が、生の感覚を確かなものと感じさせた。


 モハメドはあたりを見渡して、思い出したかのようにため息をついた。



「ふぅ......そういやラクダが逃げたんだったな......。」


「私はラクダなど居なくても何とでもなるが、モハメドが居てはそうはいっていられないな。」


「す、すまない......足手纏いになってしまって。」


「ふむ......。」 ミンファはしばらく顎を指で撫でながら考えた後、青みがかった夜明け前の空に顔を向けた。


「......ここまでエネルギーを用いれば、もはや存在の秘匿は不可能だからな......。」


「え?なんだって?」


「その通りよ。」 不意に2人の後ろから女の子の声が掛けられた。


「うわぁあッ!?」 モハメドは驚きのあまり前に吹っ飛んだ。


「尤も、あなたたちの行動はずいぶん前から見てたけど。」



 2人が後ろを振り返ると、ラクダを2頭引きつれた白銀の髪と青色の目をした少女がゆっくりと歩み寄ってきた。

 少女は金枠に縁どられた空色のケージ・ドレスに身を包んでおり、その姿があまりにも砂漠に似つかわしくないので遠いところからやってきたことを伺わせていた。



「............。」 ミンファはわずかに口元を締めた。


「......クロノス、この地球ほしに何か用かしら?」


「クロノス?え、え?君の名前はミンファじゃないのか?」


「.......そう呼ばれていた時はあった。」


「かつて、私たちの名前はその時代に生きる人々の要請を表現するものだった。」


「.......テラ、私たちのことは放っておいてくれ。」


「そういう訳にはいかない。ここは私の地球ほし、妙なことをさせないためにも。」



 険悪な雰囲気が増す二人の少女の間にモハメドが割って入った。



「ま、待ってくれ!僕たちは怪しいものじゃないんだ!!僕たちは、このタクラマカン砂漠で胡楊コヨウの木などの極限環境に強い植物たちを調査している。」


「調査......胡楊の木の群生区域とはだいぶ離れているようだけど......?」


「あぁ、調査目的は砂漠の緑化のためだ。胡楊の木は乾燥に強いことが知られているが、地下水の変動に敏感ですぐに枯死してしまう。胡楊の木がある区域は地下水が安定していると言えるだろう。」 



 モハメドは熱っぽくつづけた。



「しかし、それはこの砂漠の一部に過ぎない。さっき胡楊の木『など』と付け加えたのは、砂漠全体を緑化するためには胡楊の木が存在しない区域に生息する草木こそが、大きなヒントになるんだ。塩分やアルカリ濃度が高い場所、地下水の高低、栄養の貧富等......この砂漠には絶望的だけどそんな環境でも生きる植物たちの多様性が溢れているからね。」


「そうね、ここでは唯一不変なものはタリム盆地東縁から進入してくる乾燥した気団、それがおおよその植生にとって生存を難しくしている。にも関わらず、植生はゼロではないわ。」


「そうなんだよ、緑化の望みはあるんだ!」


「でも大国も砂漠の緑化事業なんてずっとやってるけど、あなたはそれに同調しないのね?」


「あぁ、あいつらは南北の雪解け水や雨などの季節水が潤沢な地域でやってるな。だけどそれじゃあダメなんだ。季節や天候の影響であっという間に洪水で流されてしまう。」


「......比較的、季節や天候の影響を受けにくい中央部での緑化が重要と考えてるのね?」


「その通りだよ。一番厳しい条件だが、もし可能なら季節に影響されない緑化の足掛かりを得ることができると思うんだ。」


「......クロノス、あなたはこのために土星からやってきたの?」 テラはクロノス、もといミンファに目をやった。


「ここにやってきて目的を見つけた。」


「そう、それはどうなれば達成できるの?」


「飢えによる争いを根絶するまで。」


「行動は変わっても、中身はあの時と変わってないわね、クロノス。」


「ミンファは、ただの人間はじゃないことは一目瞭然だったし、とても長く生きている神様みたいな存在ということも承知している。そんな彼女が僕の緑化事業に共感してくれることにすごく感謝をしている。きっと、僕がいなくなっても彼女は事業を引き継いで飢えを世界から根絶してくれるだろう。」


「......そうね。数億年間、心持が変わってないようだから、その神様はきっとあなたの期待に応えてくれるわ。ところで......。」


「......忘れた、何もかも。」 テラの言葉を遮るようにして、クロノスは言葉を発した。


「......私もよ。」 テラはにっこりと笑うと、和解の握手を差し出した。



 クロノスはゆっくりとした動作でテラの手を取ると、わずかに上下にゆすった。

 その瞬間、数億年間続いた彼女たちの心の砂漠に穏やかな緑の風が芽吹いた。


 荒涼とした砂漠の緑化は容易ではない。しかし、永く粘り強く取り組んだ末に成されることは確かなのである......。





 ゴビ砂漠における緑地化事業で有名な植物学者の遠山正瑛は、30年間同地区における緑地化事業に従事した。その過程においては彼は常に技術的困難、現地民との衝突、天候による悪影響などの試練に晒され続けた。特に現地民との衝突は、軍隊を巻き込んで彼を拘束するなど激しい試練となった。


 しかし、彼は不屈の決意を示し続け、最終的に行政が緑地化を断念した2万haの砂漠の緑地化と農地化を達成した。


 その事業において最も貢献したのは意外にも衝突していた現地民であった。諦めない彼の挑戦に感化され、多数の現地民が100万本の植樹に携わったのである。


 ......2024年、彼の死後から20年経った今でも意志は受け継がれ続け、緑地化は日中友好の重要な懸け橋であり続けている......。






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