第29話 地球へのパスポートはサンドイッチ

食器に並べられたサンドイッチがあらかた片づけられ、残すはお皿のみとなった。

二人は寒冷地ならではのジビエを楽しみ、食後を語り合っていた。



「......ふぅー、すごくお腹がいっぱいです。」


「ふふふ......。」



ヤコーネはあきらのマグカップに紅茶をたっぷりと注ぐ。

温かで爽やかなアッサムティーは何杯飲んでも優しく体に沁み入る。



「ありがとうございます。そういえば......。」


「うん?」


「ヤコーネさんは、この地球に戻ってきて3年目なんですよね?」


「......そうね。」


「どうして戻ってこれたんですか?ママの話だと、この地球の存在を欺騙するバリアが一時的に弱くなったのはほんの数か月前のはず、だと。」


「ふっふふ......火星と地球の距離がこれだけ近ければね。いくら何でも近い距離の存隠し通すことは、不可能」



ヤコーネは熱い紅茶を一口慎重にすすった。



「へぇえ......。」


「......戻ってきた最初の動機は、やはりあなたたちのことが恋しかったから。もっとそばであなたたちの成長を促し、育てていきたかった。」


「今もそう思いますか?」


「......少し違う。あなたたちはもう一人歩きできる。自分たちの未来を幾星霜の選択の末に描いていける。お互いに手を取り合って、過ちを犯しながらもより良い明日を進むことができる。」


「戻ってきたけれども、管理者が干渉する必要がなくなったと思った?」


「......そうね。」


「............。」


「そう思えたのは、ここ極地で人間の可能性の根拠たる温かみを強く濃く認めることができたから。」


「......別の国で争っている人間がいることをどう思いますか?」


「............本質は生命が争いを生むのではない、争いが生命を生む。そして生命の『持続』には争いとは異なる要素も必要」


「............。」


「......ヒトはパンのみに生きるにあらず、でしょ。」


「はい......。」



その言葉を了承するとあきらは視線をわずかに下げた。視線の端にフォボスとダイナモが丸くなり寝息を立てているのが映った。

それを見てヤコーネは微笑むと、やおら食器を静かに重ねだした。



「あっ、手伝います。」


「ふふふ、ありがとう。」



二人は立ち上がり、銘々が食器を流しに持って行った。

そして黙々とまるで静寂を破ってはならぬように食器を洗い、拭いた。


しかし、玄関のチャイムの音でその静寂は破られた。まるで満を持したかのように。



「誰だろう?」



その瞬間、窓が風でガタガタと震えていることに気が付いた。



「......開いてるわよ。」



ヤコーネはドアの向こうの相手がわかるが如く、つぶやいた。


ドアノブがガチャリと回され、ドアが開くとブリザードを背にママが立っていた。

その姿はブリザードが吹き荒んでいるのに、雪粒ひとつついていなかった。



「寒いからお邪魔するわよ。」


「あ、ママだ。」


「.......どうぞ。」



ママはドアを静かに閉め、すとんとお人形のように近くの椅子に腰を掛けた。

そして息を吐きかけながら手を揉み、ヤコーネに顔を向けて話しかけ始めた。



「あれは終わったわよ。」


「あなたにしては時間がかかったんじゃない?」


「少し素性を調べてたから。」


「それで......?」


「確かに似ていたけど、新種だったわ。」


「どういう点で?」


「外部から電気的なエネルギーを加えると、それを増殖の糧とできる点よ。」


「......なるほど。」


「石油を主体とするなら高熱が弱点となり得るのは、自然な考え。でもその実、高熱を生むための電気的な攻撃の手段が敵に塩を与えていた。」


「......ふむ......。」 ヤコーネは腰に手をかけた。


「実質的に炭化水素を固定するために電子を糧とする極限微生物は珍しくないし、高熱がある増殖因子の機能を高めることも既知」


「そう、それくらいは......。」


「今回あなたが遭遇したのは、純粋に電子を糧とするものよ。」


「......なるほど、そして黒色の石油は光を吸収する意味でも都合のいいボディに思える。」


「うん、石油中の成分と光電子効果によって得られた電子を糧とする、新しいタイプの光合成経路の可能性もあるわね。」


「......ともかく、助かった............ありがとう。」



ヤコーネがそう述べると、ママは目を丸くして痛く驚いたような表情をした。



「アンタがそういうなんて、一体どうしちゃったの?」


「私の能力不足で2匹の家族が失われるところだった。」


「.........そう。」 ママはちらりと2匹の寝息を立てている狼犬を見た。


「今の私は満たされている。」


「......変わったわね。」


「テラ、あなたも変わったように見える。」


「変わったかは分からないけど、いろんなことを考える時間はたっぷりもらったわ。」


「............私はまたここで過ごすことができるか?」


「........................。」


「........................。」


「......寒かったからお腹がすいちゃった、何かないかしら?」


「......さっき食べたサンドイッチのあまりなら、ある。」


「頂戴」 ママは微笑み両眼を閉じるとテーブルに肩肘をつき、頬を掌に預けた。


「......いいの?」


「いいの。」 ママの答えの後、しばらく沈黙と静寂が流れた。


「............ありが、とう。」 それは彗星のような謝意だった。


「アーレス、いえ今はヤコーネ赤い星と名乗ってるのね。」


「......それをどこで?」


「そこのおっきなモールの中のパン屋で聞いた。」


「そう......。」


「赤い星......地球ここから見れば、確かに火星はそう見えるわね。」


「以前はそう見えなかった。だけどここに戻ってきて初めてそう見えた。そのことが印象的だった......。」


「たぶん、その時と大気の組成は変わってないわよ。」 ママは白い歯を見せて微笑んだ。


「......なぜ、そう感じるのだろう。」 ヤコーネは瞳に浮かんだ涙をごまかすかのように大げさに不思議がった。


「......さぁ?ヤコーネ、あなたの心が変わったからじゃない?」


「さぁ?」


「私は最初からそう見えていた。あなたが今私と同じ世界が見えているという理由は、私と同じ思いでいるからということにしたいわね。」


「なっ!?っく......かっ......勝手にしなさいっ!」 冷静沈着なヤコーネが大声を上げた。


「......ふふふ、ねぇ?お腹すいちゃったんだけど?」


「......く.......く、くそっ......!」 ヤコーネは顔を真っ赤にしながら目に涙を薄く浮かべ、足音を大にしながらキッチンへと向かっていった。



「えへへ......。」 あきらはその様子を見て少しおかしく感じた。


「ふふふ、ありがとう。あきらちゃん。」



ママはあきらを見ると軽いウィンクをした。


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