第28話 数億歳のライフワーク
「君たちすごいねぇ、お風呂全く怖くないんだ?」
2匹をドライヤーで乾かし、コームで毛をときながら、あきらは感心していた。
「この季節は散歩させるたびにお風呂に入れてるから慣れてるわ。雪に混じった融雪剤がこの子たちの肌に悪いからお風呂は不可欠なの。」
「そうなんですね、確かにすごい雪だもん。生活するのは大変じゃないです?」
「ふふふ、私は火星からやってきたからそこに比べればここはとても過ごしやすいわ。」
「え、あ、そうだった。」
「......3年前にここに戻ってきた。当初の目的はテラの言う通り、地球の奪還だった......。」
「テラってママのこと?」
「そうよ、今はそう名乗っているのね。まぁ名前が複数あることは珍しいことじゃないわ。私もヤコーネという名前があるから。」
「どっちの名前が好きなんです?」
「......好き?」
「名前がたくさんあるなら好き嫌いもあるかなって思って。」
「......考えたことはなかったわ。」
「私は実は自分の名前が好きじゃなかったんです。だって女の子っぽくなかったから。」
「へぇ、そんなことが気になってたの。」
「でも、今は嫌いじゃない。」
「......理由を、聞かせてもらえる?」
「自分の中での大切なものが変わったから、かな。」
「............。」
「大人になるまで女の子っぽくあることが、好きな人と付き合ったり、自分を好きでいるために大切だと考えてました。」
「でも現実は好きな人と付き合ったりしてこなかったし、別にそんな自分を好きでいるわけでもなかったことに、気が付いて......。」
「今は正直に生きれてすごく気が楽です。それで名前の中性的な雰囲気が結構気に入ってるんです。」
「......なるほど、あきら?といったかしら。それで色々な葛藤や苦悩の末に大切なものを得たようね。」
「はい、私はママやアーレスさんみたいに一人で強く生きることができなかったから、周りに合わせないといけなくて......。」
「ふふふ、テラも私もあきらちゃんと同じよ。どれだけ長く生きても、強くなったとしても心は同じよ。」
「そうなんですか?」
「えぇ、......今、好きな名前を決めたわ......ヤコーネという名前が好き。」
「ふふ、なぜですか?」
「この星に住む私を受け入れてくれる人たちが、そう呼んでくれるから......。」
「............なるほど、この星で生きたい理由と新しい自分を見つけたんですね......。」
「......そう、以前の私にはなかった大切なもの......。」
「うふふ、素敵です。」
「ワン!ワン!ワンッ!」
「きゃっ!?」
しびれを切らしたウルフドッグたちが何かを催促するように吠えた。
驚いたあきらはしりもちをついた。
「あぁ、ごめんごめん、ご飯だね?あきらちゃんこの子たちを乾かしてくれてありがとう。」
「いいえー!」
「この子達と一緒に私たちもご飯にしましょ。分けてくれた
「ごちそうになります、私結構燃費悪くてすぐお腹すいちゃう。」
「ヘラジカのソーセージとチーズ、サーモンとレタスのサンドイッチが好きなの、あきらちゃんも大丈夫?」
「ヘラジカ!?すごい食べてみたいっす!!」
「お眼鏡にかないそうで何より、私は普段パン屋で働いているからサンドイッチに使うパンはたくさんもらえるの。」
「星女も勤労を......。」
「それでいいのよ、ちゃんとこの星の住人の一人として、静かに正しく生きていたいの。」
「身が引き締まる思いです......。」
「ふふふ......じゃあほかにも色々作るから少し待っててね。フォボス、ダイナモ、キッチンにおいで。」
そういうとアーレスもといヤコーネは、更衣室をでてキッチンのほうへ2匹と共に向かった。
あきらはしばらく手持ち無沙汰になると、周りを見渡して興味深いものがないか調べた。洗面台には英語で書かれた歯磨き粉、ハミガキ、オーラルケア、ヘアアイロン、ドライヤー、乳液、化粧水、薄いオリーブ油、緑茶の香水、寝ぐせ落とし、ヘアゴム数本、安全カミソリが置かれ、そして犬の肉球ロゴがはいったタオルがかかっていた。
あきらの目には、これらありふれたものがすべて不思議に映っていた。なぜならこの道具たちの持ち主は、はるかかなたの火星からやってきており、かつ数億年の時を生きてきた人物なのだから。
あまりに普通過ぎて何を以てこの道具たちは選ばれたのだろう?すごく特別なものなのだろうか、そう思わざるを得なかった。
(そういえばエヴレンさんの孤児院もこんな感じだったな......なんていうかみんな案外と家庭的というか平凡というか......ほんとに数億年生きてきた星女って信じられないのよね......。)
(こんなものなくっても虫歯にならないとかお風呂に入らなくてもいいとか、寝癖を直さなくていいとかありそうだけどなぁ。)
あきらは視界の端に映ったバスタオルを取ると、ちょっと罪悪感に躊躇った後、顔を近づけて香りをかいだ。
すると、嫌みのない石鹸風の柔軟剤の香りが鼻腔をさわやかに抜けた。
(バウニーの柔軟剤も使ってる......!)
あきらはヤコーネ御用達の香りを確認した後、そそくさとバスタオルを戻した。
(ううむ、私よりもはるかに女の子だなぁ......数億歳も年上だなんて。)
そう思いながら次々と興味がわいてきてしまい、あきらはちらりと後ろを確認すると今度は引き戸を開けた。
すると中には黒、白、赤、緑色の各種下着が小さくたたまれて収納われていた。
あきらはその下着の内、白いひとつを引き出すとおもむろに広げてみた。
(い、犬の絵柄......!!さすがに犬飼いだけあるな.....。)
あきらは見てはならないものを見たという気持ちになり、しばらくどうすればいいのか分からず、固まってしまった。
「あきらちゃーん!!」
「ッビクゥゥッ!!」
「できたわよー!こっちきてー!」
ヤコーネが食事の準備ができたことを告げた。ただそれだけなのに、あきらの心臓は極限にまで高鳴った。
「は、は、はいー!!」
あきらはそう返すと、ヤコーネの下着を急いでたたみ、元に戻した。
そしてあわあわと更衣室の扉の縁に膝を打ち付けながら、リビングへと向かった。
リビングでは既にウルフドッグたちが、ウェットタイプの餌にかじりついていた。相当お腹が減っていたのか、結構な勢いでかじりついていたが、量もまた多いので一向に減る気配はない。
ヤコーネがキッチンから顔をのぞかせ、尋ねた。
「飲み物は何がいい?水もいいけど、暖かい紅茶もあるわ。」
「あ、紅茶がいいです。」
「甘くする?しょっぱくする?」
「しょっぱく?紅茶に塩を入れるんです?」
「大陸では紅茶にミルクと塩をわずかに入れて飲むことがあるの。例えばモンゴルではスーテーツァイと言われてるものね。」
「へぇ......おいしい?」
「脂が多い料理には合うわよ、紅茶のポリフェノールと塩の風味でさっぱりと口の中を洗い流してくれるの。」
「ほほぉ......。」
「今日はサーロ、白熊の脂身の塩漬けサンドイッチも出すわね。だから普通の暖かい紅茶でも美味しいわよ。」
「く、く、く、熊!?」
「そう、西側の伝統的な食べ物よ。昔は、寒い時期に日光が不足するからビタミンが足りなくなることが多かったの。だから栄養豊富な脂身を調理してそこから補給してたの。」
「へ、へぇ......でもすごくおいしそうです!暖かい普通の紅茶でお願いします!」
「わかったわ、じゃあ席についてて。」
ヤコーネはフレンチプレスに茶葉とお湯を入れると3度、プレスさせて紅茶をステンレスのマグカップに注いだ。
それをもってテーブルに置くと、すぐにキッチンから数種類のサンドイッチが盛られた皿を持ってきた。
どれも赤、白、黄色と確実に食欲を掻き立てる色彩を放っている。
「さぁ、たくさん食べてね。まだたくさん紅茶も、食べ物もあるから。」
「うん、いただきます!」
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