第27話 あきらに任せて
錆びた巨大なタンクがママの一刀両断によって唐竹割にされ、その中から錆色の液体があふれ出し、バシャバシャと石油の海に流れ込んだ。
石油の海が磁石を当てられた砂鉄のように、その表面を無数にとがらせ、くねらせ、身もだえさせた。それは明らかに生命体が苦痛により悶絶する様相であった。
「あんまり暴れると、ますますひどくなっちゃうわよ?」
ママはふんわりと優雅に宙を舞いながら、その微笑とは対照的に冷たく言い放った。
「中和剤タンクの中身があって良かったわ。こんなにたくさんの中性洗剤なんて持ってこれなかったもの。......あら、もう一つタンクがあったわね?」
ママはもがき苦しむ石油の海を眼下に何の躊躇もなく、もう一つのタンクを横一線に大剣で切りつけ、中和剤を吐き出させた。
どぼどぼと無慈悲に中和剤が石油の海に流れ込む。
「......しばらく時間がかかるわね、楽しんでちょうだい?」
ママはそう言いながら一瞥すると、アーレスとあきらの元に飛んだ。
そしてアーレスの方を向き微笑みながら尋ねた。
「さてアーレス、あなたが火星からはるばるここに来た理由を教えて?」
「............。」
ヤコーネと呼ばれ、またアーレスとも呼ばれた彼女は、沈黙と共にママの目を挑戦的に見つめ続けた。
「あなたも私を殺して、この
「............。」
ママの表情からいつもの微笑が消えたが、口調は穏やかだった。
だがそれは嵐の前の静けさを意味する穏やかさとあきらはとっさに理解した。
「ねぇ、ママ。アーレスさんのことすごく興味があるから場所を移して、二人だけで話してみてもいいかな?」
「え?」
「エヴレンさんと一緒で、ずっと前にママとアーレスさんは大ゲンカしちゃったんでしょ?だからママとは話しにくいんじゃないかな?」
「大ゲンカ、ね......。」
「うん、私もね喧嘩した時は色々なことを考えちゃって、素直に言葉が出せないんだ。でも、そういう時に限ってたくさん言いたいことがあるんだよね。それに、たくさんあるから何から言えばいいかも分からなくなるんだ。」
「ち、ちがっ......。」
「だめ、今はまず落ち着いて安全な場所で私と話しましょう?アーレスさんもワンちゃんたちも傷の手当てをしないといけないしね?」
あきらはアーレスの口に人差し指を当てて、口を軽く封じた。
「...うっ?...んっ...!」
「私だとその石油っぽいの倒せなさそうだから、このままママにお願いしようかな。アーレスさんたちは任せてよ。」
「......わかった、あきらちゃんお願いね。」
「うん!」
「私はこの石油に寄生する生命体の正体をしばらく調べるわ。以前、対峙したことはあるけどその個体とは、少し違うかもしれない.....これがオールトの使者なら厄介なことになるわ。」
「オールトの使者?」
「太陽系の最果て、外宇宙との境に位置する無数の自由浮遊惑星から構成されるオールトの雲、そこから稀にやってくる生命体のことよ。」
「そんなところから生命体が......。」
「相手によっては簡単にはいかないわ。油断してたとはいえアーレスの不意を衝くくらいの脅威は持ってるわ。」
「ごくり............。」
「......これが何にしてもあきらちゃん、アーレスたちをお願いね。ここは任せて。」
「了解!アーレスさん行きましょう、立てますか?」
「う...うん、大丈夫......。」
そう言いながらアーレスは立ち上がろうとしたが、中腰の姿勢より立ち上がれず再び地面に座り込んでしまった。
「少し私の
あきらはそう言うとアーレスの右手を取り、指を絡ませた。
パチパチッと強い炭酸がはじけるような音が、彼女たちの結ばれた手から上がる。
「............ふぅ............。」
あきらから電荷の供給を受けると、緊張に支配されていたアーレスの表情が安堵のため息とともに和らいだ。
「......よいしょっ......。」
「よかった。このまま飛べますか?」
「うん、もう大丈夫、ここから私の家に行きましょ。少し遠いけど南のアンカレッジに家があるわ。」
「分かりました、ワンちゃん片方抱っこして飛びますね。」
「ありがとう、フォボス、いい子にしてるのよ。」
フォボスは大人しくあきらに抱っこされると、安心したのかすぐに目を閉じてすーすーと寝息を立て始めた。
あきらとアーレスはゆっくりと空へ上がった。
「私についてきて。」
アーレスはそういうと灰色の空に向けて進んでいき、あきらはその後を追った。
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プルドーベイから南へ約1000km、アンカレッジ
約2時間半かけてアーレスとあきらは帰路に就き、二人は住居の入り口に立っていた。
「......私の家よ、入って。」
「お邪魔しますー。」
部屋に入るとセントラルヒーティングで暖められたぽかぽかとした部屋が出迎えてくれた。あきらは初めて入った部屋なのに妙に親近感と、部屋の暖かさも相まって心が落ち着く感覚を覚えた。
ウルフドッグたちは安心できる我が家に帰るやいなやすっかり元気を取り戻し、絨毯に嬉しそうに寝転がった。
「困ったわ、この子たち、お風呂入ってないから絨毯が汚れるんだけど。」
「じゃあ、一緒にお風呂に入れちゃいましょうか。」
「......ありがとう、あなたも疲れてるのにうちの子達にこんなことしてもらっちゃって、申し訳ないわ......。」
「いいえ、ずっと前からやってみたかったんです。ワンちゃんのお世話」
「そういえば紹介が遅れたわね、この子たちはフォボスとダイナモっていうの。」
「君たちよろしくね、すごくしっかりした体つきだけど犬種はあるんですか?」
「いいえ、この子たちはミックスよ。そして元々野良犬なのよ。」
「そうだったんですね、お家に帰ってからとっても安心してるみたい。」
「野良と言っても子犬の頃からこの家にいたのよ。」
「じゃあアーレスさんもこの子たちのママ、なんですね。」
「......そうね、そう............今の私にはこの子達さえいればもう他に何もいらないわ。」
「ふふ、では大切な子たちをさっそくきれいにしていきますか!」
「えぇ、お湯を沸かしてくるわ。」
アーレスはそう言い置くと、バスルームに赴いた。
きゅっきゅと蛇口をひねる音、シャアシャアとシャワーが勢いよく噴き出す音が聞こえる。
その音を聞きながら、あきらは思考していた。
(言葉の端々からエヴレンさんと同じく、元管理人の一人でありながらこの星に来た従来の目的を、現在の生活への満足度から放棄しているように感じる......。)
(このまま安寧に過ごしてくれればいいけれど、もしこの
(だから、この星女の平和を崩さないよう都度支えてあげないといけないし、望ましくは明確に完全に私たちの味方になってもらわないといけない。)
(......それにしても、アーレスさんにママはあまり良い印象を持ってなかったような感じだったなぁ?何か係累がありそうだ。)
「お湯がでたよ、その子達を連れてきてもらえる?」
バスルームからアーレスの声が届いた。
「......はーい!フォボス、ダイナモ、お風呂行こ!」
あきらは思考をやめ、二匹を連れて当面の仕事にとりかかった。
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