第24話 油田に咲く ”チューリップ”

 ......ピシャッ!


 水たまりがはじける音が響く。



(............!!)



 彼女の足元には、焼き払った筈の黒い油溜まりが再び湧き出していた。


 しかし、今度は足元だけではなかった。


 周りを見渡すと、地面の至る所から油溜まりがボコボコと湧き出し始めていた。

 そして油溜まりはあっという間に辺り一面を支配し、まるで油の海をつくった。


 空間に濃厚な硫黄や油、軽質なガソリンによる悪臭が充満する。



「......っ!?」



 その光景と悪臭に圧倒されていると、不意にガクリと足元から下に強く引っ張られる力を感じた。彼女は足元を見るとそこにはなんと何本もの黒いぬらぬらとした触手がブーツにまとわりついていたのだった。

 ウルフドッグたちも脚に触手が絡みつき、身動きが取れないようだった。



「おいでっ!!」



 彼女は自身に絡みつく触手を強引に引きちぎると、捕えられているウルフドッグたちを両脇に抱えたまま、自身の翼をはばたかせ、ぐんっと飛び上がった。その勢いは強力なダウンウォッシュとなり、強く叩きつけられた油溜まりと触手たちはちぎれ飛んだ。



「フォボス、ダイナモッ!大丈夫っ!?」



 ウルフドッグたちの脚を診てみると、毛はちりぢりになり、地肌は火傷のような傷を負っていた。その傷が痛むのかキュウキュウと鳴いている。



(いったい何が......どうすれば......?)



 彼女が目の前の状況に混乱している最中でも、油溜まりはどんどん湧き出していた。

 それに加えて、油面から先ほど彼女たちの脚を掴んでいた触手がヌルヌルと彼女たちに向かって伸び迫っていた。



(もっと高く......!)



 彼女は自身の高度を上げて触手を回避した。

 すると触手は周りの油溜まりを吸い上げ根元を肥大化させると、まるで生地が伸びるように太く長い鞭のようなと化し、さらに彼女に追いつき捕獲しようとした。


 触手の先端がぶるぶるっと震えるながら大きく振りかぶり......。



「くそっ!!」



 極太の黒鞭が、空気を切り裂きながら彼女に向かって振り下ろされた。

 しかし、彼女は横に素早く空中機動し、再び触手と距離を取った。



(完全に燃やしたはずなのに、なぜ......しかし、この石油の亡霊を何とかするには再び着火するしかない......!)


(だけど、この子たちを安全な場所に下ろさなければ、両手が使えない......!)


(どんなに陸上で頼もしい狼犬達でも、有毒な石油の中では......!)


(でも、この子たちを非難させるために、ここを離れるわけにはいかない......外に関心を向けさせるわけにはっ......!)


(くそっ......どうすればいいっ!?)



 一瞬彼女を見失ったため石油の触手はクネクネとさまよいながらも、一方で根元からドクドクと仲間たちを吸い上げつづけ、触手の先端にそれらを集中させていた。


 触手の先端が小判状に膨らむと、ブルブルと震えた後、あたかもチューリップのようにねっとりとした速度で先端が割れ、花びらの外見をした生物的な口が形成された。


 その”チューリップ”の割れた口の中には丁寧にも花柱、雄蕊おしべ雌蕊めしべのような突起物まで形成されていることが伺えた。


 そして蛇がカエルをにらむような所作で、彼女のほうに雄蕊と雌蕊をくねらせながら向き直ったかと思うと、おもむろに口を閉じゴボンゴボンと音を立てながら喉にあたる部分を波立たせた。



「なによ......。」



 蛇にらみ状態の彼女に向かって、チューリップは猛烈な勢いで大量のガスを吐きかけた。



「うあああっ......!!」



 そのガスのあまりの量に、彼女たちの周りの空気成分がガス成分と置き換わったようだった。呼吸を妨げるほどの強烈な硫黄と軽質油の匂いは、明らかに有毒なものだ。



(くそっ!すぐに離れなければ......!!)



 彼女は力強く翼を羽ばたかせた。


 しかし、身体が進まない。


 確かに羽ばたいているはずなのに。


 ......まるで空気の粘度や手ごたえを感じられないのだ。



(......なぜッ!!??)



 どれだけ力強く羽ばたこうとも身体は浮かび上がろうとしない。

 むしろ、彼女はがむしゃらに羽ばたく分、体のバランスを崩し姿勢の制御がみるみるうちに失っていき、急激に高度を落としていった。


 眼下に広がる黒い油面が、迫りくる。



「うあああッッ!!!」



 彼女は力の限りを振り絞り、翼を羽ばたかせた。

 すると油面すれすれのところで、落下は急停止し、あんなにスカスカだった空気の粘度と手ごたえが翼にしっかりと捉えられるようになっていた。



(......これは、いったい!?)



 理由はわからないが油面近くで飛行可能なことがわかると、彼女は高度の上昇を抑えて”チューリップ”と距離を取った。

 しかし、悪いことに低空だと硫黄臭が猛烈に感じられた。低空では有害なガスが滞留しているのだろう。



(これはあまり高く飛べないけど、低すぎても飛ぶことはできないわね......。)


(高いところで飛べなくて、低いところで飛べる理由は......。)


(......さっき吐き出したガス成分と大気成分が関係している......?)


(......メタンのような軽量物が上空の大気成分に比して多くなれば......揚力を失うことも納得できる......。)


(一方、低空には重たく有害な成分が滞留しているわけだから、飛ぶことが許される......。)


(......なるほど.............だが.....。)



 彼女は頭の中で一つの整理をつけることができたが、それが喜ばしいこととは思えなかった。

 何故ならば、この”チューリップ”をどのように排除するか、という最も重要な問題が解決していないからだ。


 応急的に危機から脱したところで、両脇に抱えたウルフドッグたちのことに気が付いた。



「フォボス!ダイナモ!!」



 ウルフドッグたちはうなだれて鳴き声にならない返事を絞り出した。明らかに大気の成分が彼らの肺や身体を蝕んでいた。



(この子たちは私と違ってただの狼犬......時間は、ない......!!)


(......くそっ!どうすれば......!?)



 彼女は自分のあまりのふがいなさに、歯ぎしりし眉間にしわを寄せた。

 それでも時は待ってくれず、経過とともにウルフドッグたちの身体から力が抜けていくことがわかる。


 残酷なことに、彼女が両脇に抱えているウルフドッグたちは大切な存在である一方で、彼女の能力や自由を大きく制限する重荷になっているのだった。



(......私は......私はどうしても大切な存在を守れないのか......?)


(......あの時だって守れなかった......。)



 ”チューリップ”が体を折り曲げ、彼女に向かって雄蕊と雌蕊状の触手を勢いよく伸ばした。

 それは直線的な動きだったため容易く避けることができた。が、彼女にはそれだけしかできなかった。



(......逃げることは、簡単だった......。)



 彼女を捕らえることができなかった触手は、今度は左右方向から彼女を挟み込むように接近した。しかし、その試みも彼女の見事な回避で失敗に終わった。



(......いつだって、自分だけ生き残ってきた......!)



 触手はなおも諦めることなく、今度はネットのように相互を絡ませて彼女を包み取ろうと試みた。

 やはり、彼女は避けることに成功した。



(でも......でもそんな自分が嫌だったから......地球ここに帰ってきた...!!)


(だから......テラ!!知恵を貸してッ!!!)



 なすすべのない元管理者は、地球の神に祈った。


 翼による飛行が長引いてくると、いくら元管理者とはいえ全身に疲労が蓄積してくる。特に脚による動きは姿勢制御に重要な役割がある。

 実は翼による飛行は姿勢によっては立ち泳ぎと同じ筋肉を使用する。



(あぁ...それにしても脚が......長くはもたないわ......。)


(え、あれ......脚......脚!?)



 その時、彼女の脳内に稲妻が走った。

 腕が使えなければ、脚を使えばよいと。

 ただ、ただ当たり前のことが脳裏によぎった。



(やれる......燃やしてやれるわ......!!)







 人は至極単純な正解にたどり着く前に、幾多もの過ちを経る必要がある。そしてその中身は、得てして「灯台下暗し」である。













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