第22話 その名、ヤコーネ

 聊かレベルの低い(しかし、命の危険があった。)敵との邂逅から数日後、私とママはあの目覚めた部屋でテーブル越しに向かい合い、ある懸念について話していた。


 

 「金星の管理者エブレンがやってきたということは、当然次に近い火星の管理者もここにやってくると考えるのが自然じゃない?」


 「そうね、やってくるというよりかは、もう既に潜伏していると考えるべきだけど......。」


 「えっ!?」


 「既に彼女の気配を、確かに感じる。でもとても微弱で......何か積極的な工作活動をしているようには感じられないの。」


 「悪さしているわけじゃないんだね?」


 「でも、この分だと何とも言えないわね......本人の性格を考えると。」


 「性格?」


 「意思疎通に難あり、ってところね。」


 「えぇ......ものすごく凶暴な人なの......?」


 「いいえ、むしろ逆なのよ。私の記憶が正しければ。」


 「へ?」


 「あってみれば分かるわ。会うことが望ましいとは思わないのだけれども......。」


 「うぅむ......。」

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 アラスカ州最大の都市アンカレッジ。

 同州における通信や金融、国際貿易の中枢であり、経済活動全体を担う大都市である。同都市に居住する30万人の人口の内、最も割合が多いのは白人であり、イヌイットなどの先住民は2番目に多い。


 イヌイットで誤解されがちなことが、伝統的な生活に拘泥するというイメージである。しかし実際は、スーパーマーケットで肉や野菜などの生鮮食品を買い、ビタミンサプリメントによって日照時間の少なさに起因するビタミン不足を解消する現代的な生活を謳歌している。

 それらを購入するために必要な資金は、狩猟などの伝統的かつ野外的な仕事ではなく、我々と同じようにパートタイムやフルタイムの会社員として勤務し、日々得ているのである。

 彼らの生活は時代とともに大きく変化し、適応していった結果だといえるだろう。



 ............しかしながら、その時代の中でも変わらないものがある。



 

 それは友たる犬の存在である。

 古来より人間の最良のパートナーとして共に過ごしてきた犬たちとの関係は、極北の地では命を支え合えるかけがえのない存在である。それは生活様式が変わった現代でも変わらない。

 何故ならば、犬の存在は日照時間の短く、家に引きこもりがちな冬季において人の心を癒し、精神疾患を防止することで自殺を防ぐことができるからだ。

 極地における人の心の拠り所は、古来より友たる犬の存在によって支えられてきた、それだけは確かに不変なのだ。




 「......フォボス、ダイナモ......行ってくるね......。」



 浅黒い肌に漆黒のロングヘア、すっぽりと体を覆う厚い防寒着からちらりと声主の特徴が伺える。声の主は、見かけから15~18歳の少女のようだ。


 呼びかけに応じて2匹のウルフドッグが、呼気を荒げながら嬉しそうに駆け寄ってきた。

 彼女はウルフドッグたちを腕の中に抱きながら撫でた。



 「よしよし、今日もいい子だね......。」


 「ママ・・はね、今日もお仕事なんだ......。」 


 「お給料日だからね、ちょっとごちそうにしようね......。」



 彼女に耳元で囁かれ、ウルフドッグたちはうっとりしているようだった。

 耳をぱたりと畳み、大きな尻尾を左右にゆっくり揺らしている。



 「......じゃあ、行ってくるね......お留守番をお願いね......。」


 

 彼女はウルフドッグたちからゆっくりと離れ、手を振りながらドアノブに手をかけた。ガチャリとドアを開けるともう一枚ドアが現れた。極地では防寒の観点から窓やドアが2重だからだ。

 彼女は2枚目のドアを少し力を入れて開けた。どうやらドアが凍り付いているようである。


 

 「んしょっ......!」



 ドアを開けると目の前には、白い雪に覆われた夜の街が広がっていた。

 強い寒気と雪を伴った風がびゅうっと吹きつける。


 彼女はドアを施錠をすると夜空を見上げ、白い息とともに星をしばらく眺めた。



 「......地球ここから見れば、星はあんなに美しいのね......。」



 彼女はポケットに手を突っ込み、今度はうつむき気味で凍った夜道を歩み始めた。

 


 しばらく歩くと、ショッピングモールにたどり着いた。

 さらに彼女は、モールの1階に入居しているパン屋に向かった。



 「.......おはよーございます。」


 「おはよ、ヤコーネちゃん。今日はバゲットの焼きからお願いね。」


 「はい、わかりました。」



 恰幅の良い中年女性のパン屋の店員から声をかけられた彼女の名前はヤコーネといった。そして、ヤコーネもパン屋の店員であることがわかった。


 彼女はカウンターの裏を通り、さらに厨房を通り抜け更衣室に至った。

 そしておもむろに半袖のシャツと茶色のエプロンを羽織り更衣をした後、タイムカードを通した。

 

 05:28の打刻がなされたタイムカードをホルダーに格納すると、彼女は帽子を深くかぶり厨房へ向かった。



 「......おはよーございます。」


 「オハヨォ!ヤコーネちゃん!!」


 「......バゲットの焼きから入ってって言われてます。」


 「あぁ、助かるよ!ヤコーネちゃん焼くの上手いからね!!」



 大きな声の太った中年職人と2、3言葉を交わした後、彼女は木製のピール(大きなへらのようなもの)を持って、バゲット生地が詰め込まれてるパン箱とオーブンの近くへ向かった。



 (............。)


 

 彼女は明るいクリーム色のバゲット生地をピールに乗せると、スンっと熱い釜形電気オーブンの奥に次々と突っ込んだ。



 「......ふーっ......。」



 オーブンに入るだけのバゲット生地を入れ終わった時、彼女の額には汗の玉が浮かんでいた。

 寒さ厳しい極地の屋内は、屋外とは異なりかなり暖かくされている。電気オーブンの間口はその熱も相まって、かなり暑く感じるのだ。



 (......中々、この肉体に馴染めないわね......。)



 彼女は汗をぬぐいながら、バゲットの焼き加減を見守り続けた。

 15分程すると、バターの良い香りとともにキツネ色に焼けたバゲットができ始めた。



 「......んっしょ......。」



 ピールを取り、バゲットをすくい、木の机に優しく置く。それをひたすら繰り返す。その内、半袖なのにすっかり彼女は汗に濡れた。しかし、それには構わず働き続ける。

 パンを焼かねば店が潰れる、店が潰れればウルフドッグたちを養うことはできない。

 いつしか彼女はここに来た意義と自分が何者であるかさえを、愛犬たちを養うために、少しづつ忘れつつあった。



 「......お願いしまーす......!」



 彼女によって木のトレーに積んだ温かいバゲットがカウンターに差し置かれたが、彼女は休むことなく次のバゲットを焼くためにオーブンの元へ戻った。

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 パン焼き場の時計が11:00を指した、このパン屋では昼休憩を示す時間である。

 


 「ヤコーネちゃん、お疲れさま!先にお昼入っちゃって!」


 「......はい、有難うございます......。」



 中年女性の店員に促されると、彼女は賄いのサンドイッチとコーヒーが入った魔法瓶を手に取り、2階のフードコートへ向かった。

 平日で12時前だからかコート内の様子は、空席が目立っていたので彼女は通路から目立たない一人席に腰を掛けた。

 そして紙袋からベーコン、トマト、卵のサンドイッチをガサガサと取り出し、魔法瓶の蓋に熱いインスタントコーヒーを注いだ。



 「......んっ、いただきます......。」



 まだ温かいベーコンサンドイッチにかぶりつくと、強い塩気やスパイス風味と共に脂の甘さが口に広がり食欲が一気に亢進した。さらに脂をたっぷり吸った重たいパンを歯全体で噛みしめ、窮屈に飲み下すとその重たさが充実した多好感につながり、思わず表情に乏しい彼女の口元が緩んだ。

 熱いコーヒーを慎重に冷ましながら飲むと、汗で少し冷えた身体に温かさが染み入ると共にその苦みと酸味が更に食欲を亢進させるのであった。


 彼女は3口でベーコンサンドイッチを片付けてしまうと、一息つき、指についた脂をなめながら壁掛の大型テレビになんとなく目を転じた。



 「次のニュースです。アメリカ航空宇宙局によると来週、アンカレッジ上空に流星群が接近し、それらは肉眼で観測ができると報じました。」


 (......?別に珍しい話じゃないわね......。)


 「今回地球に接近する流星群は、太陽系の外縁部から飛来するものであり、非常に学術的に貴重なデータが得られる可能性があります。特に地球における生命の誕生に必要なアミノ酸や水といった物質を光学的に観測することで............。」


 (...なぜだろう...胸騒ぎがする......。)


 

 彼女の内でさっきまで泉のように湧き出ていた食欲が一気に減退するのがわかった。

 元管理者の一人として、どこか遠い記憶の中に刻まれた本能が、ただならぬ事態を予感し始めていた。

 



 

 

 

 

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