第4話 深夜の来訪者

 「はぁ~......マジもう嫌になるなぁ......。」



 私は、目の前で白紙のプレゼンテーションページを表示しているノートパソコンにげんなりしながら小声で弱音を吐いた。

 上司の承認を得て先方に提出した説明資料が、先方の機嫌を大いに損ねるものであったらしく、その内容に関するリテイクをショートで求められてしまったのであった。



 (うわぁ、今日ぜったい帰れないじゃん......。)



 そう現実を再認識すると、急に私の胸が苦しくなり、頭に血がカーッとのぼった。同時にくらくらして顔がぽっぽと赤らんできた。さらに涙腺がわずかに緩み、視界がぼやける。

 デスクトップの時計を見ると16:03を示していた。わが社の定時は17:00である。しかし、周りはもう帰宅の準備を急いでいるのであった。

 なぜならば、今日は季節外れの大雨が降っており、その影響で午前から一部公共交通機関に計画運休が予定されていたのであった。故に、同僚たちは計画運休に巻き込まれるのを防ぐべく、帰宅の準備をしているのであった。



 「............。」

 (............。)



 オフィスから同僚の数が減るにつれて私の感情は絶望から無にへとグラデーションを描いて変わっていった。何かをしなければと自分を必死に駆り立てて、パソコンに向き合ってみるも書いては消してを繰り返し、結果的に焦りだけが積もるのであった。

 再び時計を見ると17:38であった。成果はなくともたくさんの時間だけがいたずらに過ぎていったことが恐ろしく感じられた。しかし、そんな状況でも人間としてやるべきことはやらねばならないと思った。つまり、私は夕飯を取る必要があると思った。

 私はのっそりと席を立ち、スリッパをすぱすぱと鳴らしながら建物の1Fにあるコンビニへと降りて行った。


 

 

 コンビニに入り陳列棚を見るとすでに棚には、数個のおにぎりしか残ってなかった。私には、このおにぎりたちも同僚に取り残されたものたちのように見えた。そして私は同情心を感じ、彼らとホットコーヒーの缶を手に取り、お会計を済ませた。

 おにぎりを温めることはしなかった。すでに冷え切ったものを無理やり温めても、なんだか無駄のように感じたからだ。

 エレベーターの中でオフィスフロアに戻るまで待っている間、ホットコーヒー缶を持つ手とおにぎりを持つ手をしきりに交代させた。コーヒーを持つ手は耐えられないほど熱いのに、おにぎりを持つ手は冷え切っていたからだった。しかし、交換した手が心地よく感じられることはなかった。




 デスクに戻ると私は仕事に取り組まず、情報収集用として設置されているテレビに目を移した。すでに同僚はおらず、私だけがテレビを占拠している形となっていたのでテレビの音量をあげつつ、おにぎりの包装を解いた。

 ゴールデンタイムに入りつつある番組は、スポーツやグルメ、バラエティなど世帯受けが良い無難な内容へと移ろいつつあった。20後半にさしかかった独身にとってはこれらの番組はあまり共感を得られないので、私はニュース番組を探し求めた。

 ニュースはいい、少なくとも見ることによって知識をつけ、私自身の価値を上げてくれる気がするのだから。


 あるキー局が夕方のニュースを放送していたので食事のお供として選ぶことにした。今日は大雨と雷が一晩中続く可能性があること、あるボクシングの選手が計量をクリアしたこと、練馬区で大衆食堂を経営する現役おばあちゃんが100歳を超えたことなど、内容はてんでばらばらであった。

 私はそれらをぼぅと眺めながら、冷たいおにぎりをホットコーヒーで流し込んでいた。



 「日本で発見、保護された行方不明のトルコ国籍の13歳の女性が、先月人道上の理由から特別在留資格を取得することになり、この出入国在留管理庁の判断が、前例を踏襲する行政の対応を抜本的に見直すきっかけとして注目されています。」


 「13歳のエブレン・デミルさんは、9月7日大阪府の大阪湾、夢洲付近で漂流している丸太に意識を失ったまま掴まった状態で発見され、府立病院で治療を受けていました。」


 「エブレンさんはその日のうちに快復して医師を驚かせただけではなく、その場に居合わせた入国管理局の職員に対して、私について正確に伝えるために日本語の学習がしたいと述べ、数日のうちに一般的な日本語表現を身に着けた後、抒情的な表現を使いこなし、担当の職員に対して自らの状況を供述したとのことです。」


 「供述によるとエブレンさんは、両親が爆破テロの犠牲者である孤児と自らを語っており、外務省がトルコ大使館に確認をしたところ、10年前に起きたスルタンアフメット広場の自動車爆破テロの被害者であり、供述内容が事実であることが分かりました。

  被害にあったエブレンさんは、3歳の時から孤児院で暮らしていたところ、今年の夏ごろから行方不明となっていたため施設から警察へ捜索願いが出されていました。」


 「またエブレンさんは、『行方不明の間の記憶がないけれども、今は生きていることがとても嬉しく、生まれ変わったように感じる。目覚めたとき、何故だかわからないけど、大きな困難を乗り越えたような清々しさと自信に満ち溢れ、多くの弱い人たちが苦しんでいる様々な社会的困難に挑んでみたいと強く思った。』と述べており、親がいない子供たちのつながりを創り出すNGOの設立を、当面の目標として取り組みたいとしています。

 しかし日本では未成年者の就業は法律により~......。」



 私はそこまで聞くと、冷めたホットコーヒーを一気に飲み干し、ごみ箱に放り込んだ。勢いデスクに戻ると時計を一瞥し、それが18:18であることを確認すると日付が変わるまであと5時間程度しか時間がないと自らを発奮した。

 私は仕事がしたくデスクに戻ったのではなかった。

 あの少女の境遇やたくましさ、賢さと比べて、自分がいかに弱く情けない大人であるかを自覚させられそうな恐怖心を振り払いたかっただけなのだ。


 

 ............プレゼンテーション資料の最後のページを保存して、まずは形だけの資料を作ることができた。

 目の奥と指の関節が痛い......。

 私は強く目をつむりながら、指の関節をしきりに動かしたり揉んだりした。目の端でちらと時計を見ると22:41を示していた。決して早い出来とは言えないが、資料が概成しただけでも随分気が楽になった。あとはこれを何度も推敲する必要があるのだが、質を上げるための作業というのは一種、自分自身との闘いであるのだからここからが最も辛い。

 私はそんなことを思いながらつかの間の休息を取るべく、窓の外に目をやった。

 窓の外では大粒の雨が窓にたたきつけられ、ゴロゴロと小さなうなり声が上がっていた。いつ噛みつくのかわからないほど、どう猛なその声は、時折閃光を伴って、遠くで油断して突っ立っている獲物に食らいついているのであった。


 私はぷいっと再びパソコン画面に目をやり、作成したデータを念のため社内クラウドサーバーへとコピーした。アップロードが終わり、再び作成したデータファイルを開いた。


 

 すると次の瞬間、大きな揺れと共に耳をつんざくような爆発音が鳴り響いた。




(なっ!?爆発ぅ......ッ!?)



 私は本能的に防御態勢をとろうとしたが、誤って派手に椅子から転げ落ちた。


 起き上がるために四つん這いになると、床が真っ黒になった。


 いや、部屋全体が真っ暗になったのである。


 一人漆黒に取り残された私は、これが外の状況から落雷による停電だと理解した。


 状況を理解すると、暗闇の中でも少し落ち着きを取り戻し考えを張り巡らせることができるようになった。

 そして、なかなか復旧しない電機と本来起動するはずの非常電源が全く稼働していないということに気が付いた。



 (......あっ!社内クラウドのデータがっ!)



 私は最も気が付きたくないことに気が付いてしまった。



 (どうしよ!どうしよ!保全のTさんに電話して早く復旧してもらわなきゃっ!)



 そう考え、私は被害状況をTさんに報告するために現場の写真を撮りに行こうと思った。ともかく今は言葉で説明ができる気がしなかったのである。

 それにおそらく落雷は建物の屋上に落ちたのだから、その場で火災などが起きていればすぐに逃げなければならない。

 


 私は一刻の猶予もないと考え、スマートフォンのライトを頼りに3階上の屋上へと階段で昇って行った。

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