初めての人間との戦い

私のお腹には、真っ赤なボタンが一つ存在する。

縫いつけられているかのように貼りついたそれには、黒と黄色のシマシマ文字で「危険!自爆!」と書かれている。

ちょっと奇抜な戦隊モノとかでたまに出てくる、巨大ロボット用の自爆ボタンだ。

ロボットに乗っている時にそれを押すと、わざとらしい警報音を出して、数分後にダイナマイトのような大爆発を引き起こす。そんで、そのロボットとの別れとかで悲しいドラマが展開されたりもする。

それが、なぜか私のお腹に。

当然押したことはない。というか、押したら私はもうここにはいないだろう。

これも、魔法少女の能力の一つなのだろうか?これを押したら、怪人がやられる時みたいに大爆発するんだろうか。

私が爆発したら、誰か悲しんだりはするんだろうか?


***


リョーコちゃんは私の唯一の友達だった。

中学の頃、引っ込み思案な性格のせいで周りに溶け込めなかった私に、彼女は寄り添ってくれたのだ。


「ねぇねぇ、千尋ちゃんっていっつもマンガ読んでるよね。あたしにも読ませてよ!いいでしょ?」


「え…えっと、あの、これはね…"魔法少女りん"っていう漫画で…」


そんな風に仲良くなって、リョーコちゃんと漫画の貸しあいっこをしたりした。

リョーコちゃんはいつも太陽のようにニコニコと笑ってて、私に元気をくれた。

彼女のそばにいるだけで、私は幸せだった、


そのリョーコちゃんが今、目の前で…二人の男たちに、足蹴にされている。


「……お、やっと気絶したかぁ。女蹴るのは趣味じゃねえんだけど……ま、身体の方は大したことねぇしな。別にいいだろ。」


「こいつには借金がある。ちょっと傷つけちまったが…身体でも売らせりゃ、金にはなるだろう。さ、車に運び込むぞ…」


スキンヘッドの男が、冷徹な口調でそう吐き捨てる。その足元で、ボロ雑巾のように転がっているのは……

───変わり果てた姿となった、リョーコちゃんだった。


「っ…ぁ……!」


喉から空気が抜けてゆく。脳を直接殴打されたかのような衝撃に見舞われた。

あんなに綺麗で凛々しかった、リョーコちゃんの顔には。

───いくつもの青アザが浮かび、生気の無い死人のような表情が張りついている。頭から流れる血が、真っ赤な化粧をつけていた。

───許せない。

ふつふつと、血が熱くなってくる。余計な思考が頭から吹き飛んでいく。

私は腰に差したピンクの銃を引き抜いた。そして、スキンヘッド達の近くの地面を狙う。直接当てなくても、威嚇射撃でいいだろう。

あいつらがこっちに気づいていない今が、最大のチャンス。

私はすぐに引き金に指をかけて………そのまま、引いた。

すると銃口から、電球サイズの光の弾が飛んでいって…

男達のすぐ近くの地面に当たり、どぅっ、と小さな爆発を起こした。


「な、なんだ!?爆発した!?」


「気をつけろ、近くに"魔法少女"がいるのかもしれねぇ!」


急な爆破攻撃に、男たちはあたふたと慌てだす。

私は勢いに任せ、銃を構えたまま男達の前に躍り出た。そしてそのまま声を張り上げる。


「手を上げろ!!ちょっとでも動いたら……えっと、その……う、撃つからな!」


ドラマか何かで見たセリフをそのまま言っただけだったけど、効果はあったらしい。二人は顔を見合わせた後、おずおずと両手をばんざいした。


「…てめぇ、魔法少女か?見た感じ、"魔道具型"の魔法少女っぽいが……」


「お、オレらに何の恨みがあんだよ!あんま調子乗ってっと殺すぞ!」


サングラスをしたもう一人の男が、唾を飛ばしながら騒ぎ立てる。「器の小さい人間」を絵に描いたような、いかにも下っ端って感じのチンピラだった。

しかしやつらが何と言おうと、今優勢なのは私。私がもう一度この銃の引き金を引けば…一撃で首を吹き飛ばす程の、強力な光弾を作ることができるのだから。

…ところが。

スキンヘッドの男が、突然低い声で笑いだした。


「くくく…んなおもちゃの銃持ってヒーロー気取りか?いかにもガキって感じで、見てるこっちが恥ずかしくなってくるぜ。」


男は下卑た声で、バカにするようにヘラヘラとニヤける。

こいつ、状況を分かってないのか?


「…今、あなた達はそのガキに脅されてるわけじゃん。私は魔法少女だよ?この銃があればあなた達なんて一発で───」


「いいや、銃が強いのは分かってるよ…だが問題なのはアンタだ、魔法少女さん。」


「私…?」


「アンタみたいなガキに…ホントに人なんか殺せるのか?」


───痛いところを突かれた。

そりゃ確かに、この銃には人を殺す力が充分にある。並の銃よりもずっと強力だろう。

でも私には…私には、殺人を犯す覚悟なんてあるのか…?

銃を握る手に、汗がにじむ。

グリップが滑って、取り落としてしまわないかと不安になる。

精一杯積み重ねた自信が、一つずつ、削られてゆく。


「アンタ…見るからに一般人って感じだよな。今まで喧嘩もしたことないような、ただのか弱い子供だ。そんな奴が銃を持っても…いざ撃つとなった時、怯えて指が動かねぇだろうよ。」


「……っ!そんなことっ!」


「じゃあ撃ってみろよ───俺が撃つよりも早くな。」


男は素早く、懐から真っ黒な何かを取り出す。

それは紛れもなく本物の…ピストル、だった。

男はそのまま、銃口を私に向けて。


「銃ってのはな…こうやって撃つんだよ。ガキ。」


ぱあん。


認識できたのは、その破裂音だけだった。


「………ぇっ……ぁ……」


「お……大当たり、だな。」


気がつけば私は膝から地面に崩れ落ちていた。

立とうとしても、糸が切れた人形のように、ぴくりとも脚が動かない。

私の目の前の地面には……粉々に砕けた、おもちゃの銃の破片と……そして……


───元は私の手のひらだった肉片が、散らばっていた。


「さてと……これで脅威は無くなった。上手いもんだろ?」


「ヒ、ヒヤヒヤさせんじゃねぇよ…相手は魔法少女だぜ?もうちょっと警戒ってもんをなぁ…」


「大丈夫さ…魔道具型の魔法少女ってのは、からな。要するに…本体はただの、痛みを感じにくい一般人だ。」


男は私を指差して、事も無げに言った。

彼の言う通り……私の手には大穴が開いて、ボタボタとグロテスクな赤い液体を垂らしているというのに。風が穴を吹き抜ける冷たさ以外、何も感じなかった。

だから現実味も湧かず、私はただ呆然と、無くなった手の先を見つめることしかできなかった。

二つ、分かっている事がある。

この男たちに対する、私の負けが確定してしまったという事。

そしてもう一つ。

敗北者に待っているのは…むごい仕打ちだけ、という事。


「……調子乗りやがって、クソガキ!」


サングラスの男が振るった拳が、目の前まで迫ってきて。その拳が見えなくなるほど近づいたかと思うと、気がつけば私は地面に吹っ飛ばされていた。

雨に濡れたコンクリートの上に、べちゃりと頬がぶつかる。やっぱり、痛みは無かった。でも、恐怖だけは痛いくらいに感じられてしまった。

すぐに立ち上がろうとして、地面に腕をついたけど…

今度は腹部にきた衝撃に、またもや転ばされてしまう。泥まみれの地面の上で、私は滑稽に踊った。


「ったく、女蹴るのは趣味じゃねぇって言ってんだろ……ま、痛みが無いんならいいか。」


自分で蹴ったにも関わらず、男はそんな愚痴を漏らす。

それを聞いた私の中に、思わず怒りが湧いて───こなかった。


(…あれ?おかしいな。こんなの、許せないはずなのに…全然、身体が動かない…)


何度も言うけど、痛みは全く感じない。ちょっと背中が水溜まりに濡れて気持ち悪いと思うくらいで、立ち上がるのに支障をきたすような異常は何も無かった。

でも、動けない。

内臓に鉄の重りを詰められたかのように、身体が重くて、ひとかけらも動かせない。

きっと、身体的なダメージのせいじゃなくって…私の、心がダメージを負ってしまったのだ。

私の心に、グルグルと暗雲が渦巻きだす。必死に押しとどめていた負の感情が、どばっとあふれ出した。そしてそれは黒い濁流となって、私の心を覆い始めた。

魔法の力を持っていたから、てっきり自分は強くなったと勘違いしていたけど。中身は今の今まで引きこもっていた…ただの無力な一般人だ。

一般人にはもう、あんな奴らを撃退したりなんかできない。


(………また、諦めなきゃいけないのか。せっかく……勇気を出せたっていうのに。ごめん、リョーコちゃん……)


ぐしょぐしょに濡れた頬を、涙がさらに上書きで濡らしていく。

私はそのまま、そっと目を閉じた。目の前の全てから、現実逃避するために。


「がんばれーっ!魔法少女さんっ!!」


突如。

小さな女の子の声が、倒れた私に降りかかってきた。はっとして、首だけを動かして声の方を向く。

小学校低学年くらいの女の子が路上に立っていた。小さが脚をぷるぷると震えていて、今にも折れてしまいそうだった。それでも彼女は、胸元でぎゅっと手を握りしめて、悲壮な声で叫び続ける。

叫ぶたびに大きな赤いリボンが頭で揺れた。


「負けないでーっ!あんなのに負けちゃだめだよっ!立ってぇ!!」


「………なんだアイツ。どっから湧いてきた?」


「さぁな。ま、多分……音を聞きつけて近所の小学校から見物に来たガキだろ。あっちいけ!子供が見るモンじゃねぇぞ!」


男たちががなり立てると、女の子は怯えた顔をして建物の陰に隠れていった。

しかし………そこから、ひょっこりと顔だけを出して。不安そうに私をじっと見つめていた。


(まだ、まけないよね?)


目だけで、そんな事を言っているように見えた。ヒーローショーでやられそうなヒーローを見ている時の、あの表情と同じ。

不安と、恐怖と、ほんの少しだけ期待を混ぜた、あどけない顔。

それを見てたら、なぜか───いてもたってもいられなくなって。

私はいつの間にか、弾かれるようにして地面から立ち上がっていた。


(…なんでだろ。あんなに簡単に負けちゃったのに。あんなに、あいつらが怖いって思ったハズなのに……今は全然、逃げたいって思わない!)


地に踵を叩きつけて、もう一度男たちの前に立ちふさがる。二人とも私を見るなり、ぎょっとした顔をした。

私はそれにも構わず───お腹のシャツを、捲りあげる。

そこにあるのは。

───当然、だ。

私はボタンの上に指を添えた。

しかしそこでぴたりと指が止まってしまう。自分の身体についている自爆ボタンを押すという恐怖が、押すのを躊躇わせたのだ。


「がんばれーーっ!魔法少女さぁん!逆転しちゃえーっ!」


しかし、少女の応援が聞こえてきて。

私は迷わずにボタンをぐっと押し込んだ。

瞬間……けたたましいブザーが鳴り響く。パトカーの音を何倍にも凝縮したような、とにかく大きくて耳障りな音だった。

そして同時に、機械音声のような声が数字を数え始めた。


『自爆モードを起動しました。自爆まで残り5秒…4…』


「なんだ!?コイツ…また何かする気か!」


「銃はもう無くなったってのに、今さら何ができる!」


男たちは分かりやすく慌てだしたが、自爆にまでは気づいていないようだった。

それに、今さら気づいたってもう遅い。逃がす気なんか無いんだから。


『3…2…』


爆発までのタイムリミットが、容赦なく迫ってくる。これが0になった瞬間、私は死ぬんだろうか。

最後のひと時に、私はリョーコちゃんのいる方を見ていた。

彼女は眠り姫のように、息もせずに黙って横たわっている。爆発が起きたら、流石に目を覚ましてくれるかな。

私はそっと目を閉じて、目を覚ましたリョーコちゃんの笑顔を思い浮かべた。


「…ねぇ、リョーコちゃん。これでやっと私も…」


『1…』


───本物のヒーローに、なれたかな?


『0。』


無機質な声が、ゼロと告げた瞬間。

私の身体は───白い光に、包まれて。

そして




───どん。




***


あたり一面には、白い煙が広がっていた。

自分の手すら見えなくなるほどの、濃い煙。

それがようやく、風に流されて晴れていった時……


真っ黒に焼け焦げた、の残骸が。

二つ仲良く並んで地面に横たわっているのが見えた。

片方のそれにはよく見るとサングラスらしきものがかかっているようにも見える。

ところが次の瞬間、サングラスがぐしゃりと踏みつぶされた。高いヒールを履いたその足は…


雛形リョーコのものだった。


痣だらけの彼女の顔には、ニタニタとした悪党のような笑顔が浮かんでいる。

そして足元の焼死体をぐりぐりと踵で踏みつけながら、彼女はひとり呟いた。


「……助かったわ、千尋ちゃん。ちょっと見ない内に、ずいぶん勇敢になってたのね。アタシ勇敢な人は好きよ。だって……」


彼女は滝のように片目を覆う、長い髪をかきあげる。

髪で隠れていた、その顔には───

が浮き出ていた。


「……簡単に、アタシの駒になってくれるんだもの。ドジ踏んじゃってどうしようと思ってたけど、おバカなヒーローさんが来てくれて助かったわ♪」


口ずさむようにそんな言葉を溢しつつ、彼女は男たちの残骸のポケットに手を突っ込み、黒い物体を二つ取り出した。焦げていてよく判別できないが…形状からして、恐らく二人の財布だろう。

地面に飛び散った魔法少女の残骸を、嘲笑うようにちらりと見下ろして、彼女は悠然と歩きだす。さっきまで殴られ、蹴られて地に伏していたのが、まるで嘘みたいに。

そして彼女の服から、真っ黒な布切れのようなものが生えてくる。それはしばらくうねうねと目的など無さそうにうねっていたが、やがで……

猛禽類が持つそれのような、大きな羽の形になった。布でもない、生物のものでもない、奇妙な物体でできた、魔法の羽。

その羽を大きく一振りさせたかと思うと、彼女の足が地面からふわりと離れる。

そのまま…黄昏の空に旅立っていった。まるで、夜空に舞う、一匹のコウモリのように。


地面に飛び散ったピンク色の肉片が、置いてけぼりにされて寂しいとでも言いたいかのように、風に煽られて転がった。

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