第38話:マジック・オブ・ラブ08


 このクリスマスの魔力について脳内で論じていると、どこか静謐な真理の声が僕を呼んだ。真剣……というには剣呑有り得ざる声だったけど聞くに切れそうだ。


「両替機」


「何か?」


 呼ばれて僕は意外さを噛みしめる。クイと僕のサンタ服を真理が引っ張った。というか真理もサンタ服なんだけど。


「ちょっと外に出ない?」


「いいけど」


 多分状況的に真摯な話題なのだろう。体育館を出て、クリパの喧噪の届かない範囲まで真理は僕を連れ出した。冬休みの教室。やっぱり其処には誰も居ない。既に終業しているので、あえて教室に身を置こうなんて輩はそう居ないだろう。


「こんなところで何か話が?」


 僕が真理を見据えると、キッと彼女が睨んだ。


「マリンと付き合うの止めて」


 いきなり正鵠を射るような要求だった。


「何故?」


 真理のスタンスを知れば、あるいは誰もが疑問を持つだろう。そもそも彼女はこっちの恋愛事情に口を出せるほど義理がない……と彼女自身が思っている。


「気にくわないから。ソレじゃダメ?」


「ダメって事はないけど……で、僕の思慕はどうしろと?」


「私が埋めてあげる」


 絡みつくように真理は僕を抱きしめた。キンモクセイの香りが濃密にクリスマスの空気に飽和する。たしかに彼女は真理だ。首筋に真理らしからぬキスマークが付けられる。


「真理? なんか変だよ?」


「変にもなるよ。両替機を想えば」


 スリスリと抱きしめた僕に頬を擦りつけてキンモクセイの香りをなすりつける。


「ツンデレは?」


「両替機がマリンを想う程度には私も両替機を想っているよ?」


「好きってこと?」


「大好きってこと」


 えーと。


「なんならここでコスプレしても良いわよ?」


 コスプレ。コスチュームプレイ。要するに衣服を着て遊ぶ。


「うん。まぁ。それは嬉しいんだけど」


「懸念がある? スミスさんに悪い?」


「ていうか僕はスミスさんが好きなんだ」


「私より?」


「真理より」


「じゃあ内緒にしてあげる。だから……しよ?」


「ノーセンキュー」


 だから僕は絡みつく真理を拒絶した。


「私じゃダメ? その気にならない? スミスさんよりも魅力無い?」


「大好きだよ。真理のこと。でも僕が結婚の約束をしたのはマリンなんだ」


 致命的なことを僕は言ってしまった。でも真理に対して思っていたことでもある。


「僕が記憶を無くしたときに唯一憶えていたのがマリンとの約束。真理と誤解していたけど、その契約性は損なわれていない。あの日、確かに僕はマリンに結婚の約束を迫った。受け入れて貰えた。その事が酷く嬉しくて、だから僕にとっての唯一の真実がそこにある」


「マリンばっかりズルい」


 うん。実際に真理が僕を好きなら、その不条理は覚えるだろう。


「それでもマリンが僕の愛した人。だから真理。君を抱くわけにはいかない」


「マリンが……そんなに好き?」


「愛してる。結婚したい。本当に……僕はマリンにイカレてる。だから真理。君の恋慕には応えようがない」


「ど……どうしても……どうしても……ダメ……?」


「うん。僕が好きなのはマリンだ。その固有性はまだ胸にある」


 それは拒絶の言葉。真理を好きだけど、マリンほどでは無いという暫定。真理が僕にどれだけ罪悪感を抱いて、贖罪を求めても、そんな義理すら僕は不必要だと切り捨てる。


「う……うぁ……いや……」


 突き放した僕の声と仕草の双方に、彼女は涙した。ボロボロと泣いていた。望陀の涙を流すことに躊躇いがなかった。誰も居ない教室で、密着していた男女には相応値しないロマンスが、とても滑稽に映った。


「両替機は……マリンが好き……?」


「好き。大好き。愛してる。僕が本当に好きなのは誰在ろうマリンだけだ」


「本当に本当?」


「真理にだけは嘘はつかないよ」


 平然と嘘をついて僕は真理を突き放した。一種のショック療法だけど、殊更僕の心が痛まないのは、あるいは人でなしの証左だろうか?


「ゴメ……泣くつもりじゃ……」


 大粒の涙を流して、フラリと真理はよろけた。重力に逆らえないようにふらついた。


「だから……ゴメン……」


 僕がトドメを刺すと、泣きながら真理は教室を出て行った。走って出て行った先に到達点が在るのかは、この際論じるに値しない。僕は真理をフったのだ。あんなに大好きだった真理を……嘘に塗れた虚飾でフった。でもそうしないとマリンにも申し訳なくて。だったら彼女に思惑を与える余地があるほどに僕は彼女に残酷になる。


「はー。好きな人に好きじゃないって言うのは辛いな……」


 けれど僕にとっては必要なことで。だったらやり尽くすより他に無い。


 体育館に戻ると、マリンが出迎えてくれた。


「マイダーリン。墨州さんと出て行ったけど……」


「ああ。ちょっと話をね」


「大事な話?」


「それなりに」


「そかそか。だったら告白されたでしょ?」


「そんなんじゃないよ。真理は僕にツンデレだし」


「拙はそんなこと言ってないよ?」


 じゃあ何よ?


「ねえ両牙くん。ちょっと拙とお話ししない? ここじゃない場所で」


 金色の髪が揺れた。サンタコスの僕らだけど、マリンは程よく似合っている。


「いいけど……何処に行く? 真理に逢わない場所となると……」


「校門にでも行きましょ。今なら誰もいないでしょ」


 たしかに。そんなわけで僕はマリンと校門に立った。一応サンタ服にはカイロを仕込んであるので暖かくはあるんだけど。


「何の話をしたの?」


 マリンはまず其処を抑えた。もちろん正答する僕でもない。


「ちょっと過去の清算をね」


「ヤった?」


「してないよ」


 もちろん強制すれば出来ただろうけど、そんなことで信頼を崩すのも有り得ない。


「やっぱ両牙くんにとって真理って可愛い?」


「この世界の誰より可愛いよ」


「拙より?」


「同じくらい可愛い」


 そうじゃなきゃ真理にもマリンにも不義理があるわけで。


「あのさ。両牙くん。拙だけじゃダメ? マイダーリンを独占するのは間違ってる? 拙がマイダーリンを想っている事は知ってるでしょ?」


「分かっているけど……マリンじゃ遠いね」


「ッ……。それって」


「僕は真理を愛している。その事だけは変えようのない事実だから」


「ッ」


 マリンの眼が見開いた。まぁそうなるだろう。僕はおよそかなり最低なことを言っている自覚がある。真理に言ったように、マリンにも虚偽を報告する。


「僕は真理が好きだよ。あの時……記憶を失って全てを無くした時に……僕を一人にしないでくれたのは真理だ。それが罪悪感の産物でも……僕の傍に寄り添ってくれたのは真理だ。マリン……君じゃないんだ」


「でも……でも……結婚の約束をしたのは拙だよね……?」


「関係ない」


 袈裟切りに僕は斬りつけた。


「例えどんな理由が在っても、僕にとって一人の僕を救ってくれたのは真理だ。本当に僕を救ってくれたのは真理なんだ。断じてマリン……君じゃない」


 酷く滑稽な、それはロマンス。


「結婚の約束の相手違ったけどね。でも墨州に囁いた愛は本物。だから僕はいつまでも真理を愛しているよ。そのことだけは過去記憶の無い僕にとっての絶対性」


「拙が見捨てた……と?」


「少なくとも一緒にはいてくれなかった。それを為したのは世界で真理だけだよ」


「だから拙を拒絶して……真理を愛すると」


「そういうことになる。本当に僕はイカレてる」


 真理にはマリンが好きだと言い。マリンには真理が好きだと言い。でも間違ってはいない。僕はマリンとの約束に救われ、真理との共有によって自我を保ってきたのだ。だからマリンが好きだし真理が好きでもある。なら、マリンに対して真理の方が好きだと言うことも……真理に対してマリンの方が好きだと言うことも……等しく僕の想念だ。


「墨州さんの方が拙より好きだって……そういうの……?」


「うん。だからゴメン。マリンのことは真理ほどじゃない」


 だからコレで良い。真理にもマリンにも拒絶を突き付ける。そうしないと僕は最低な野郎になってしまうから。どっちもを選べないならどっちもを拒絶するしかない。


「う……ぇ……好きぃ……両牙くん……」


「ん。多分本気でマリンはそう言ってくれている。でも僕は真理の誠実さが好きだから」


 およそ最低なことを申している。でも他に為す術を僕は知らない。


「両牙くん……私は――」


 そこで感極まったマリンが抱きしめたとき。僕にマリン特有のオレンジの香りが襲いかかって、それから車のブレーキ音がキュキィッと激しく鳴った。大きめのワゴンが校門前に制止したかと思えば、そこから現われたダークスーツの男性三人が僕とマリンを強制的に車内に連れ込んで、容赦なく発車した。えーと……え?

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